最近、感想を書く余裕が無いけど所さんの目がテン!は面白いのが続いている。
先週は赤トンボの特集だった。アカトンボというのは俗称で、アキアカネなど複数の種なのだが。
しかし、そこでショッキングなシーンだったのが、バリバリと頭からそのアキアカネを食らうギンヤンマ(笑)。一回り大きいとはいえ、同じトンボ仲間を食らう様はまさに修羅…。
ただ、そんな天敵ギンヤンマを見ると彼らは一目散に逃げていくのだが、このギンヤンマを赤く塗るとおなじ種だと思ってやってくるというからアキアカネも阿呆だ(笑)。
だが問題はそういうところじゃない。
あるものを怖い、とか認識して、実際の被害に会う前に逃げてしまうというのは、けっこう高度な、なんつーかすごい能力だと思うけど、人間様ならそりゃやくざはんでも警察でもおばけでも、被害にある前に怖がってしまうのはわかるんですけど、節足動物もそういう意識があるのかねえ。両生類とか爬虫類はどうだろう。というか、本能的にそういう感覚が鋭敏でないと生き残れないのかな。
よくハチの黄色と黒やテントウムシの赤と黒は警戒色であると。
それは鳥やカエルがこういうのをパクリとやって、刺されて痛っ!とか、毒液(血液)で苦っ!となり、それに懲りて他のハチやテントウムシを襲わなくなると。
聞けば納得するようだが、だが「そんなにカエルは頭がいいのか?記憶しているのか?」という疑問はやっぱり抱えている。
つづく。
そこで人間様の話なんですけど、
ヘビ。
わたしはセーム・シュルトと同じく、ヘビ大好きです。子どもの頃から、それはもちろん毒蛇は警戒しなければならないが、ただの一回も人生においてヘビに嫌悪感を持ったことがない。無毒のアオダイショウ(最近違う研究結果も出たそうだが)やシマヘビの場合、見つけたらまず捕まえにかかるのがセオリーでした。
ところがこれはどうも少数派のようで、ヘビというのはなんつーか、気味悪がる人のほうが多いみたいなんですね。
なんでなんでしょう。
それは怪獣をふくめ、悪の象徴でもあり、神の使いでもあった。ドラゴン、ヤマタノオロチ、ゴジラ、ロストワールド・・・なぜか爬虫類。
これも何でかしら。
実はこの前の「宗像教授異考録」では、このヘビに対する人間の恐怖・畏敬の念がテーマになっていました。
もとより「宗像教授」の説はどこまで作者の創作で、どこまでだれかが実際に唱えた説なのか、教養のないこちらはよくわからんのですが、宗像氏は「ヘビを神様と感じるのは『米をかじるネズミを食べてくれる』と感じる稲作の弥生民族。山を歩く狩猟の縄文民族は、ヘビを強く恐れていた」と、おおッ、ヤマタイカ以来の「日の民族vs火の民族」を提示してくれています。ほら某大臣、やっぱり単一民族じゃないじゃん(笑)
ところで、これもうそかまことか(創作か資料があるのか)「鏡餅は、とぐろを巻いたヘビを模したものである」という宗像教授説が(笑)来年の鏡開きに際しては、ぜひともこの宗像説を思い出しながらお汁粉を召し上がっていただきたい(笑)
ほらこのコマ。
さらに続きます。
ヘビがなぜおっとろしい、マジパネー(まじめに、半端でない)存在なのか。
聖書の作者が、エデンの園でイブを誘惑する重要な悪役のキャストにヘビ君を起用したところ、これが非常な当たり役となったのはよかったが、そのせいでその後の役どころが限定されてしまった…という「ヘビ=天本英世の死神博士」説というのがある(例えが古い?)。
しかしそれでは中国の神龍や、日本のヤマタノオロチについては説明がつかんだろう。(青森県の戸来村から伝承云々は無しで。)
上の「宗像教授」ではヘビが
■矢が飛ぶさまに似ている
■天から落ちてくる稲妻に似ている(稲妻の名の通り、雷は豊作につながるので(気温が暑く、雨が多い)喜ばれる)
■恵をもたらす川が、名前の通り”蛇行”している(※これは別の回です)
などによる連想があった・・・としている。
アイザック・アシモフは
同じ形で、脱皮によってどんどん大きくなるのは、古代人には「死と再生」に見えた。医者の象徴ヒポクラテスの紋章がこれなのは、そういう意味だ・・・としている。
そして忘れちゃいけない、宗像ならぬ、「ミナカタ教授伝奇考」…じゃなかった、南方熊楠の「十二支考 蛇篇」。
なんと天下の青空文庫も、まだ十二支考全部はテキスト化されていないそうだが、幸いにもこちらは出来ていた。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/2536_20184.html
しかし怪物熊楠でさえも
…グベルナチスが動物伝説のもっとも広く行き渡ったは蛇話だといったごとく、現存の蛇が千六百余種あり。寒帯地とニューゼーランドハワイ等少数の島を除き諸方の原野山林沼沢湖海雑多の場所に棲み大小形色動作習性各同じからず、中には劇毒無類で人畜に大難を蒙(こうむ)らするもあれば無毒ながら丸呑みと来る奴も多く古来人類の歴史に関係甚だ深い。故にこれに関する民族と伝説は無尽蔵でこれを概要して規律正しく叙(の)ぶるはとても拙筆では出来ぬ。
と、このヘビに関する俗説神話伝説の多さに音を上げる始末だ。
それほどまでに、なぜにわれわれはへびを意識するのか。
ここでいきなりだが、この前読んでいた森下一仁氏の「思考する物語」という本を紹介します。宇野常寛「ゼロ年代の想像力」と同様に、90年代のSFマガジンに長期連載されていた評論だ。
通して読んでみると、けっこうSF好きには常識的な認識をあらためて説かれているような迂遠な感じもして、すごく感動したとか興奮したでは正直なかったけど、上の「へび怖い問題」について、ある説を引用していたのだ。
やや余談めくが、人がなぜこれほどまでに蛇を嫌うのかという問題もこのこと(※何を指すかはあとで分かります)に関係しているようだ。蛇に対する恐怖には本能説と学術説があって、従来はどちらかというと本能説のほうが優勢だった。学習説は、蛇には毒があるからかまれると危険だ、だから恐怖を感じる、というものだが、蛇を怖がる人が必ずしも危険な目にあったわけではないし、毒をもたないと分かっている蛇も非常に嫌悪されるからだ。
ところが10年ほど前、ウィスコンシン大学でミネカという大学院生が行った実験がこの情勢を逆転させた。彼はまず、生まれて一度も蛇を見たことのないサルが、蛇を恐れないことを確認する。
次にそのサルの前で、別のサルが蛇を見て怖がる場面を目撃させる。本の一瞬、しかも一度きりの経験で、そのサルは以後、蛇を恐れるようになったのである。(正高信男『なぜ、人間は蛇が嫌いか』)
生命に関わる学習は一回きりで身に付くということを「ガルシア効果」というらしいが、それは自分自身の体験に限らず、仲間の危険を目撃することによっても同様なのだ。このような現象は、恐怖体験以外ではありえないようである。
以前、「人間の蛇嫌いは恐竜に追われていた小型哺乳類が、遺伝情報レベルで爬虫類への恐怖を持っていてそれを受け継いでるから」という説を聞いたこともあるけど、それよりは説得力がある。水や火、暗闇や高いところへの恐怖…なんてのもこれで説明がつきそうだ。
そして、こういう本があることが森下氏の著述から分かった。
なぜ、人間は蛇が嫌いか―入門・人間行動学 (カッパ・サイエンス)
- 作者: 正高信男
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 1994/12
- メディア: 新書
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だいたいこれで、蛇を嫌うという話はおおよその概要がつかめた。
ここには本からの引用も含め詳しく書いてある。
http://www.wvase.co.jp/WVASE/THINK-IMAGE/thinks5.html
これで以前からの疑問は多くがわかりすっきりしたのだが、じゃあその恐怖を人間、ことに古代人はどう再把握し、あるものは悪魔の使い、あるものは正義の味方にしたのか。「いいもわるいもリモコンしだい」ではないだろう。
そして想像力が、おそらくヘビを、スーパーへびモード、すなわちドラゴン、龍、怪獣としていくことになるはず…
今後、この続編(ドラゴン編)の登場を示唆し、いったん筆を置こう。