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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「靖国」上映館中止問題…権利や自由の欠如ではない、複数の権利と自由が重なると、かくなるのだ。

昨日も紹介したが、一気に全国4紙の社説を比較しつつ読める(日経・東京(中日)はなし)お勧めサイト


靖国」上映館中止問題
http://massacre.s59.xrea.com/othercgi/shasetsu/index.xcg?event=568

今日、確認しておくのはタイトル通りの話なんだわ。
今回の事態が厄介なのは、今回、どこの人々も勢力もそれなりに強固なエクスキューズがあるということにつきる。
時系列で行こう。

■中国人監督が自身の創作意欲と問題意識に基づいて、映画「靖国」を作るのは自由だし権利だ。
(※取材協力者の一部から「約束違反」「無許可撮影」的な批判も出ているそうだが、そういう批判は可能)


■その制作費を得るため、行政機関である文化庁(外郭団体の振興会)に申請し、公的助成を得るのも自由だし権利だ。
(※「政治的、宗教的宣伝意図がない」などの助成条件違反だという批判は可能)


文化庁が、独自に判断し、その助成金支給に許可を出し実行するのも自由(というか合法)だし権利だ
(※上に同じ)


■国会議員が民意の代表者として「文化庁の助成判断に疑問」と調査質問、批判をするのも自由(合法)だし権利だ
(※どの程度、国会議員らが行政から特権的に情報を引き出せるかは個別の批判可能。首相諮問機関の委員であった猪瀬直樹や、社会保険庁への質問魔として知られる民主党長妻昭にまで絡む話だけどね)


■で、ここが問題。その映画を問題だと考えた(考える可能性のある)、いわゆる「街宣右翼」「行動右翼」が、街宣車などで抗議行動、もしくは威圧・脅迫行動を起こす。
この時の行動が非合法で違法ならもちろん違法。合法・遵法の抗議行動(例えば反戦デモと同様の)の範囲なら、そのスタイルが不愉快で醜悪ではあるが合法・遵法で・・・残念ながら、自由だし権利だ。


■そして上映予定の映画館が「合法だろうが違法だろうが、右翼の抗議って対応が面倒くさいからな。うちが上映するかどうかはうちの判断だし、面倒を避けるために上映やめちゃえ」と判断する。・・・これも「このヘタレめ」「カッコわるう」という”美学””道義”の批判は可能だし、するべきだと思うが、・・・間違いなく、彼らの自由だし権利だ
(※上映ということが既に契約済みなら、契約違反としての批判は可能)


一覧にしてみると分かるが、要は下から二番目と、一番下の話。
未確認情報なのだが、右翼の街宣車というのは、実は今、けっこう洗練されているらしくて、ひところは非合法上等、逮捕も勲章ぐらいの勢いだったし、警察が怠慢、事なかれであることも多かったが、今の街宣行動はひとつひとつ詰めていくと、はて取り締まれる根拠がない・・・そうだ。各自治体の条例では、かなり詰められるところも出てきて、大使館周辺などでは取り締まれるそうだが。
上にも書いたが「自由な意見表明をしているんだ、反戦デモと同じだろ?」と言われるとなかなか難しいからね。
やるとしたら、ここを厳密というか厳密以上にやり、ある程度警察が職権を乱用してでも(笑)取り締まれば多少は効果がある。
あとは法律や条例の強化だな。
適当な検索で見つけたものだが、神奈川県が今月から条例を強化した。
http://www.police.pref.kanagawa.jp/mes/mese3013.htm
■拡声機の使用による暴騒音の規制に関する条例の一部改正について


われらが公安警察の武力と威嚇によって、関係者の肉体的安全を無事守りぬいた例もある。
週刊金曜日が抗議を受けた時の話。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20061228#p3

週刊金曜日も。周囲を警察に固めさせ、抗議に来た団体を数人の公安警察に取り囲ませた上で牽制している。

http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/32f9e618b34205f77f4e2389c0065694

本社前には警視庁神田警察署の藍色のワゴン車が一台、四囲目を光らせる場所に終日配備され、師走に入ったばかりの、それでなくとも慌ただしい出版社ひしめくビル街の一角に張りつめた風景を出現させた。

取り囲む数人の公安警察の存在に臆することなく、それら(注:批判団体の抗議)は展開された。一連の対応をしたのは副編集長の土井伸一郎と同・片岡伸行の二人。

おまわりさん、頼りになるなあ。われらが公安警察万歳。


そして一番下の、映画館。
一応、商業的成功が見込めると思ったのだから上映をいったんは決めたのだろう。ただし商売だから当然プラスマイナスは考えるだろうし、考えちゃダメとはいえない。
だから要はこのプラスマイナスを操作するしかないので、まずは警察の制度と体勢によって、街宣(の非合法部分)というリスク=マイナスを極小化する。
しかし合法的街宣、合法的抗議というのも確実に存在するわけ(そんなものは無いという人はいるまい)で、そのマイナスは存在する。 そこで「でも上映すれば客は入るな」というプラスと、マイナスにマイナスをかけるとプラスになるような・・・つまり「上映中止は情けない」「そんな映画館に今後は行かないぞ」と、上映中止がマイナスになるような形になればいい。これもひとつの圧力かといえば、もちろん圧力だ。このへんはこの前のプリンスホテルで書いたことと同じ。

「それは皆を萎縮させる」と萎縮させるというパラドックス

最初に戻って、各紙社説の中で一番問題なのは毎日新聞のこの部分だろう。

……映画の内容をどう評価し、どう批判するのも自由だ。しかし、国会議員が公にそろって見るなど、それ自体が無形の圧力になることは容易に想像がつくはずだ。それが狙いだったのかと勘繰りたくもなるが、権力を持つ公的機関の人々はその言動が、意図するとしないとにかかわらず、圧力となることを肝に銘じ、慎重さを忘れてはならない。

上の映画館の態度とも関係するのだが「無形の圧力」とか「意図するとしないとに関わらず圧力」と批判し、そういうこをとやるなと命じるのは、結局は法や実体の裏づけが無い以上、「遠慮しろ」という形で本来自由な、少なくとも「やってはいけない」と明記されていないことを制限するという点では、逆に自由や権利にとっての脅威となり得るんだよ。
だいたい「無言の圧力を感じる」というのは、たやすく新聞記者やテレビ局の「取材」「記事掲載」というものにも敷衍できる。あれは実際、被取材者にとっては相当の「無言の圧力」だろう。
あとで「それとこれとは違う」と言っても遅い。


さっきリンクした週刊金曜日のエントリにも、当時鈴木邦男氏が主張した意見に対して私は批判しているよね。
それを再度掲載しよう。

鈴木邦男氏のコメント。

新右翼団体・一水会顧問の鈴木邦男氏は「週刊新潮が一番悪い。抗議した右翼の話を間接的に聞くと『あそこまで書かれてしまったら、やらざるを得ない』ということだった」とメディアの責任に言及する。

唖然。

いったい何をどうしたら「週刊新潮が一番悪い」ことになるのか。隠された事実を暴き、当事者たちに取材し、自分のスタンスで批判する。それは、この報道があったほうがいいのか、無かったほうがいいのかと考えるだけで分かることだ。

沈黙の螺旋ってやつですか。

というかね、週刊新潮記者でもいいや、一期限りは恐らく確実の(笑)稲田朋美議員でもいいや。
「こんな事実を知った。批判(&調査・取材)したいんだけどな。でもやると街宣右翼が(彼らに対して)騒ぐからな。批判(調査・取材)は控えよう」
こんな心の動きで自粛したら、右翼の影響を予想することによって行動を規制されるという点では、映画館の上映中止となんら変わらないではないか(爆笑)。

関連してパロディでも作っておこう。

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「議員の行動は無言の圧力」と言われたとき、私は議員でなかったので何もしなかった。
「週刊誌の記事は無言の圧力」と言われたとき、私は週刊誌記者でなかったので何もしなかった。
「テレビカメラの撮影は無言の圧力」と言われたとき、私はテレビマンでなかったので何もしなかった。
「すべての取材活動は無言の圧力」と言われたとき、私はジャーナリストでなかったので何もしなかった。
「ブログの記事は無言の圧力」と言われたとき、私はブロガーだったので行動した。
 だが遅かった。


ブログや週刊誌の「記事」が”無言”というのはおかしい、とツッコむいやな人(笑)は「存在」と置き換えていただいてもいい。