昔は、「ある作者がこういう本を製作途中だ」なんていう情報は業界内でしか漏れてこないで、書店の棚に並んで初めて知ることになるのだが、いい時代というやつだ。
http://www.hakusuisha.co.jp/topics/talk070906_5.php
森:現在進行している話を聞かせてください。
中島:書き下ろしで「平成ネオ・ナショナリズム」という本を書こうとしてます。僕たちロストジェネレーションと言われている世代の若者になぜ、スピリチュアリティとナショナリズムを兼ね合わせたような世界観の中に没入していくヤツがいるのか。代表的なのは窪塚洋介ですね。僕は窪塚君のインタビュー記事をかき集めて、赤線を引きながら読んでいるんですね。このテーマは「終わりのない自分探し」という問題と絡んできます。90年代半ばぐらいの宮台真司さんは、自分探しというのはもう終わりなんだ、そういうものはもうケリがついた、人生は意味じゃなくて強度で生きるんだという議論だった。しかし、90年代末から出てきた現実は、「終わらない自分探し」だったわけなんです。
もう一人、僕自身はどうしても気になるのが堂本剛という人なんですよ。彼の書いたものはほとんど全部熟読しています。僕たちの世代のキーワードは「ゆるくて熱い」ということだと思っているんです。「堂本剛の正直しんどい」という番組があるんですけれども、一見すると彼は非常にユルイ感じで出てきて、ダラダラしている。しかし一方で、書くものは非常に熱いんですよね。自分に負けちゃいけない、とかいろんな言葉が出て来る。さらに2004年から05年ぐらいに、その中に「神」という概念が非常にたくさん入ってきたんですね。非常に超越的になっている。その「終わりなき自分探し」という問題をどう考えるか。
同時にアニメなどに出てきている「セカイ系」といわれる流れ、その辺を噛み合わせた時に、今の「ロスジェネのナショナリズム」が、実はこれまで考えられていたものとかなり違うものだということが出て来るんじゃないかと。それが僕にとっては今、考えている非常に大きなテーマなんです。もう全くインド研究からはみ出てしまっていますね。
森:面白そう。いつ頃本になりますか。
中島:それは聞かないでください。まだ一行も書いていないんですけれども。編集者との約束は今年中に書いてね、と。ちくま新書なんですけれども。サボリ癖があるものですから。
森:同時並行で今いくつか進んでますよね。
中島:実は2冊対談の本を作っておりまして、左/右両陣営の方と対談をやっています。一人は姜尚中さんと、パトリや郷土、そこからネイションなどの問題を巡って議論している対談本を一生懸命つくっています。もうひとつは、西部邁さんと保守というものについての論争をやっています。「日本には今、保守というものは存在しません」というメッセージを込めた本をつくっています。保守とは根源的にどういう思想なのかという議論をしっかりしなければ。(略)
僕は近代日本にしっかりとした保守主義者というのは2人しかいないと思っているのですが、一人は西部さんで、もう一人は福田恒存(福田恆存)。この二人は非常に重要な保守思想家だと思います。もうひとつ、『父・ボース』という本も作っています。ボースの娘さんから聞き取りをしまして、お父さんの思い出などを色々話を聞いて、それをまとめています。なかなか泣ける本です。生粋の江戸っ子のような方なんですよ。インド人と日本人のハーフなんですけれど、すごく気っ風のいい方でしてね、僕はいつもお会いするのを楽しみにしているんですけれども、非常に面白くて、切なくて、いい本なんですよ。(略)ご遺族がもっていらっしゃった写真などもたくさん付けながら出します。ぜひそちらの方も楽しみにお待ちいただければと思っています。
森さんはどのようなご予定ですか。
森:まず遅れに遅れているのが死刑をテーマにした本で、これは今月中には脱稿しなければならないという感じです。光市母子殺人事件の加害者少年に会いに、多分来週行くことになると思うんです。それをエピローグ的に加えて、なんとか10月刊行を目指しています。……2年ぐらい前からずっと目指しているんですけれど。
本当は途中も(略)はしたくなかったのだが、さすがに膨大なのでちょっとだけおためごかしに削った。直接見ていただいたほうがいいな。ふつう、新書ってどれぐらい制作時間がかかるのか。福田和也と香山リカの対談本は二回だか一回、あって話しただけで基本的には完成したという。
中島氏の対談本というと、毎日新聞の「アジア的!」がまとまるのかと思ったけど違っているようで残念。
姜尚中との対談本はあまり期待せず。西部邁との対談もどうなるか気になるところ。上の「しっかりした保守主義者は西部と福田の二人のみ」という話が面白く、かつ「?」な気がするのは、二人は最福田の晩年に交流があったものの、もともと出自としては過激な新左翼活動を潜り抜け、そのパッションや過激さの方角を変えての保守主義者となったのが西部で、福田は本当に文学的感性からの保守主義を、生涯にわたってぶれずにやっていた人だから。
ただ、西部も福田も源流を辿れば「英国流」に行き着くという共通点もまたある。そのへんのことが中島氏によって分析されたらおもしろい。
こちらが、野次馬的に対談を見たいというなら、同じちくま新書で、先行してそのものずばりの
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また、まっとうな保守主義者が上の二名なら、「まっとうじゃない保守主義者」との論争のほうがおもしろいじゃないか、とヤジウマ的にさらに思う。
とするなら、西部邁と犬猿の仲で、しかし福田恆存との人的・心的交流は西部よりずっと深い(学生時代から交流あり)西尾幹二との論争。
各社の編集者はご一考ください。
しかし、ヒンドゥー・ナショナリズムのこと、ここで書きたいといってて、まだ書いてないな。予告編だけだ。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070706#p2
「日本のナショナリズムを分析するには、日本と似た国のそれを観察するか、あるいは日本とまったくかけ離れた正反対の国を観察してみるといい」
と書いたことがあり、「正反対の国」という点ではイスラエルなどを挙げた。インドも、自分はあの複雑すぎるカースト制度やヒンズー教を考えると「正反対の国」のカテゴリーで、そこから日本を逆に浮き彫りにすればいい…と思ったのだが、意外やある一面では、日本との共通点が多いのだよ
これだけかよ。
あと、余談ながら、中島−森対談ということで、その紹介エントリにコメントを付けさせていただいている。
例の「シモヤマケース」問題が、ちょっと中島・小林よしのり論争と関わっている気がしたのでそれを紹介させてもらった。
http://www.indo.to/log/nakajima/?itemid=909