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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

読売新聞政治部「外交を喧嘩にした男」(大戦略論2)

外交を喧嘩にした男 小泉外交2000日の真実

外交を喧嘩にした男 小泉外交2000日の真実

読売新聞の企画記事をまとめたもの。そういうのは文章の色気や、一冊の本としての一貫性が無かったりしてあまり好きではないのだが、やはり読んでみると新聞がもつ日常的な情報の集積、関係人物との接触の深さによる内部情報、そして多数の人数を擁したマンパワーが十二分に生かされた出色の記録となっている。

タイトルが実に言い得て妙で、この書名だけで大勝利、なのだが
プロローグに書かれているこの短文が、本質を示していよう。

小泉流の『ぶれない愚直さ』には軸足が定まっていることにより、信頼感と安定感が生まれるという利点がある。他方、状況が悪くなった場合、気転がきかず、手詰まり状態からなかなか抜け出せない、という不器用な外交にもなりかねない。

あらためて小泉外交の記録を・・・・いや、すべての外交史の本を紐解くと痛感させられることだが、かっこう外交のプロたちがやっている交渉も、うっかり間違いや両方の「めぞん一刻」や「釣りバカ日誌」も顔負けの誤解の連鎖、あるいはその場の思いつきでけっこう左右されてしまうということだ。


例えば、靖国参拝は最初から最後まで小泉外交の争点であり続けたが、最初に小泉−江沢民会談が2001年に行われた。どうもこの際、小泉は「靖国参拝に理解を得た」と思い、江沢民は「以後、小泉の参拝は無い」と思ったらしい。

中国高官は(略)「首相は今後、参拝しないということですよね」と阿南駐中国大使に尋ねた。阿南は淡々と答えた。
「首相が会談で言ったとおりですよ」
極めて深刻な日中間のすれ違いの始まりだった。

そして2002年、靖国例大祭に小泉は参拝する。
で、このとき何が起こったかというと中国内で、この失態を招き情報も取れなかった(小泉は外務省にも知らせていなかったので仕方ないが)ということで駐日大使、外相、外務次官、そして朱ヨウキ首相まで国内の中で嵐のような批判を浴び、面目を失った。

知日派にすれば、『日本に裏切られた』という思いだったという。
「中国は、2002年は首相が靖国を参拝しないと思い込んだ。日本は、8月15日を避けて参拝すれば、中国がさほど反発しないと楽観視していた。完全なボタンのかけ違いだった」
政府高官はこう振り返る。


その後、言われているように江沢民から胡錦濤体制にバトンタッチされると、この中国内の権力の緊張関係が、微妙なアレンジをされながら日中関係に響いていく。上海の汚職摘発が江沢民の影響力を大きく減じさせ、それと連動するのか偶然なのか、安倍晋三体制での日中関係改善は進んでいくのだが、それに先立ち胡錦濤体制発足直後、雑誌に「中国の愛国は国に災いをもたらす群集行動」「謝罪問題は既に解決」「日本の繁栄はアジアの誇り」などとする異例の論文が出ている。
インターネットでは売国奴だ!と攻撃されたそうだが、著者の人民日報論説委員

「党中央指導部から『君の考え方は理解できる』と、お墨付きを得ている」

と自信ありげに語っていたという。
新聞の論説委員が国からお墨付きをもらってもなあ、という気はするが(笑)、それはそれとしてこういう部分から、二国間の変化というのは読み取れるものなのか、と感嘆する。

ちなみに、日中関係で小泉前の面白いエピソードを。
小渕時代の江沢民主席訪日直前、某料亭で外務省事務レベルの日中交渉が行われた際・・・

「それは72年の中日共同声明の精神に反する」
この王(王毅・現中国大使)の高圧的なひとことに対し、丹羽(日本側の外交官)が激昂した。丹羽は72年当時、条約局の事務官として共同声明の作成作業に直接関与していた当事者だからだ。
「お前がそんなことを言うのは10年早い」
丹羽は啖呵を切ると同時に、よく読んで見ろとばかりに、王に分厚い条約集を投げつけた。王は色を失った。

こんな本宮ひろ志漫画みたいなことを(笑)。


あとひとつ、日米関係に関し、先日退陣した”ブッシュのプードル”ブレアと同様、小泉外交は対米追随だという批判が多かったが、同書ではむしろ、小泉は結構、米国・ブッシュに例をみないほど率直に意見を述べた・・・というトーンで書いている。

日本には昔、将軍と天皇がいた。将軍は権力を持ち、天皇は権威が会った。(略)イラクの戦後問題は米国だけでは解決できない

と国連の重要性を説いたり、

小泉は突然、イスから立ち上がった。二、三歩前に進み出ると両手と両足を左右に開いて身構えた。
「日本には『横綱』という大相撲のチャンピオンがいる。横綱は決して自分からは仕掛けない。相手が仕掛けてきたときに始めて受けて立つ。米国は横綱相撲をとるべきだ」

この発言は外務省の用意した発言要領にはなく、小泉のアドリブだったそうで、今も公式記録に無い。


ただ問題は、ブレアもそうであったが、結局何を言ってもアメリカがやるとなったらそれを止めることは不可能で、そのときに最後の局面で支持するか、フランスやドイツのように反対で一貫するか、ということとなる。最後に支持してしまえば”追随”となる。
また、面白いことに小泉ーブッシュは例の”ケミストリー(科学反応。日本で言う”相性”)”の良さで、かなり率直にものを言ってもそれであまり波風が立たない。これもまた、結果的に「追随」という形になるという(笑)パラドックスだ。
この個人的友情は、政策でも大きく作用しており、アーミテージはこう語っている。

実は、我々は当初、小泉訪朝に反対だった。だが、大統領が「ジュンイチロウが決めたことだから」というので、それ以上は何も言えなかった。


なんにせよ、豊富な秘話エピソードを交えたこの本は読んで損はないようです。
戦略論シリーズ、しばらく続く。