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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

佐高信氏批判再録。住井すゑの責任に関する二重基準について

最初に来た方へ。このシリーズをまとめて読むには
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/searchdiary?word=%2a%5b%ba%b4%b9%e2%bf%ae%5d


この話題がコメント欄で出てこなかったら、自分のPCに文章を死蔵したまま忘れていたよ(笑)

佐高が繰り返し批判している対象といえば、長谷川慶太郎谷沢永一、西部進、藤岡信勝といった人々である。そして彼らに対して、佐高が投げかける言葉は「元共産党員(主義者)のくせに…」と、いう台詞だ。

「元共産党の谷沢がいわゆる進歩的文化人を批判するのはオウム脱会者がオウムを批判するようなもの、と断罪する」(「佐高信寸鉄刺人」)

「かつて清水幾太郎がそうであったように、いま、谷沢永一や西部進がそうであるように、転向者(以前と180度考えを変えた曲がり者)は現在の陣営に忠誠を誓うために、ヒステリックに昔の陣営を叩く」

「同じ転向者の長谷川慶太郎のように、共産主義が崩壊するのはわかっていたとかつての自分にツバする喜劇を藤岡も演じている」(以上、すべて同書)

……ま、対象の人は多くても言ってることは変わりマヘン、例によって(笑)。要は「かつて支持した思想を変えるのは裏切りだ」というだけである。
その考察がいかに浅いかは、他でも触れたオバタカズユキインタビューで明白である。

オバタ  内容じゃなくて、書き方が納得できない。例えば、長谷川が胡散臭いことはあの濁った目を見れば同感できます。けれでも、それを「元アカだろ」という書き方をされる。元アカで転向して、だからあっちもこっちも知ってて厚みがある。そうも言えますよね?
(略)

佐高  あのー、長谷川が一生懸命隠しているいちばん痛いところをついたわけなのね、こっちは。ただ、その諸刃の危険性っていうのはあなたに今言われて初めて気付いたみたいなところもあるわ。正直言ってね。

おーい………(++;)。
ふつう、「転向」の問題を扱うときは真っ先に考えるべき問題だろおが!!
こんなこと、93年に指摘されてはじめて気がつくのかよ。

ところで保守派の左翼体験だが、1985年に出版された別冊宝島47号「保守反動思想家に学ぶ本」末尾に置かれた36人の保守派一覧表では36人中、過半数の14人(←後から註:過半数じゃないなこれ)が何らかの形でそれの洗礼を浴びている。佐高が「隠している」という長谷川もはっきり「有り」となっているのだ。


問題は、その思想遍歴をどれだけ自分の中で消化し、変わったならその変わったなりの筋道をはっきり思想として打ち出せるかだ。長谷川はよく知らないが、谷沢・西部・藤岡らはその著作のそこここで 自分が共産主義を捨てた理由をはっきり述べているではないか。


これは進歩的陣営でも同じで、吉本隆明本多勝一らは軍国少年からの決別の経緯をはっきり書いているし(その点、少年H的欺瞞からは遠いといえる)、藤原彰氏は元士官学校生、花も嵐の若桜…あれは学徒出陣か(笑)として育ったところから、今の考え方になったことを説明している。少なくとも私は、彼らのような人をとがめだてする気はない。

問題はこういうヤツだ。


「ほほほ……何書いたか、みんな忘れましたね」
「書いたものにいちいち深い責任感じていたら、命がいくつあっても足りませんよ」


これは『橋のない川』で知られる作家、住井すゑ氏のコメントである。
それは、彼女が戦争中に書いた戦意高揚プロパガンダ小説について尋ねられた時のことばだ。その小説とは

「戦争は神の賜物であるとつくづく思う。」

「無敵皇軍を不穏だなんていった腰抜野郎、いまこそ出て来い」

「神国日本は開闢以来無敵なんだ」

「マニラも陥ちたね。いや、愉快だ」


いやー、凄いね。HANボードならすぐ削除だ(笑)。これに興味のある方は、一次資料として朝日新聞社RONZA(註:現在の「論座」はこの雑誌のリニューアル版)95年8月号を探すこと。また、これを引用して論を進めているものとして呉智英「危険な思想家」、福田和也「グロテスクな日本語」がある。


長谷川をして前歴を隠す「消しゴム評論家」とか立場を変える「長谷川ハエ太郎」とよぶ佐高氏であるから、その伝で言えば住井氏は「ペンテル修正液作家」であり、「住井はゑ」(爆笑)となること疑いない…と思ったが。

彼は徹底的な弁護に回った。それもきちんとした、論理的な反論などではない。
永六輔が同じく弁護して「屏風は曲がっているから、立っていられるんだ」という言葉(さすがラジオ職人、これは上手い)を引用し、佐高はそれに呼応して「(ronzaは)なくなったほうがいい雑誌」と来た。それには反対しないけどさ(笑)。


そして、住井すゑがなくなったとき、彼はまた「葬送譜:住井すゑ(作家)」(世界、第8回97.8.p262) でほぼ同じようなことを書いた。それでもなお、自分の矛盾に気付かない彼の幸せぶりは、或る意味うらやましい。


(追記。住井すえの「葬送譜」にでてくる児玉義誉士夫のエピソードは、また佐高の恣意的な解釈が出てきて笑える。
今調べると、元ネタは永と住井の対談「人間(じんかん)宣言」らしいのだが


>この本には『橋のない川・四部』を書いた時,児玉誉士夫が「いい小説を書いてくれてありがとうございました」といってきたという驚くべきエピソードも語られている。 http://www1.harenet.ne.jp/~suga/dshakai.htm


で、佐高は「右翼の児玉に、このように挨拶させるほど住井はすごかった」という話にもって行くのだが、普通ならこの話から導き出せるのは、コダマ氏がエライって結論ちゃうか(笑)。それを、佐高は右翼を褒め(られ)ないから、「そうさせるのは住井の力だ」ということで「定説」に収めてしまう。そんな貴方は「最高ですかーーっっっ!(福永法源調)」やば、この手のネタすぐ風化するのに(笑)。)

参考リンク
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/3271/taidan/kyouiku.html

http://www.koshoku.org/~minoda/souko/kyousoukyoku.html



ところで、元左翼問題に戻るがそういう佐高氏自身は学生時代、どのような活動をしていたのか。これが実はよくわからないのだ(続く)。※結局、続きませんでした