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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

高島俊男と新井白石

今週の週刊文春「お言葉ですが・・・」は、新井白石の残した文章について書いている。
新井白石は昔「日本の歴史」という本でも、少年時代からの猛勉強やイタリア人宣教師との対話、金銀の海外流出や朝鮮通信使への対応ぶりなど「絵になる」エピソードが多かったせいか、取り上げ方も大きかった。
しかし高島氏は、それらの多くが『自伝』であることに着目、そしてそもそも江戸時代に、自分で自分のことをかく「自伝」という文学形式がなく、これが極めて特異なものであると喝破する。
同様の指摘は、司馬遼太郎も「この国のかたち」で書いていた。

しかし高島氏はもう一歩踏み込んで、晩年に失脚してからの新井白石の生活が、極めて不遇で心淋しいものであったことを語り、その不遇の中でひたすら「俺はえらいのだよ、おれはえらいのだよ・・・・」と自分語りをする孤独な老人像を見て取る。
高島氏はそして、そこに共感する。


実は、講談社エッセイ賞を受賞し、日本最大の週刊誌に長期連載コラムを書いている高島氏も、妻子ももたぬゆえか大学人としての生活をまっとうできなかったゆえか、飄々とした文章の合間合間に「報われることなき、悔い多き人生なり」という寂寥感をたまに記す。
だからこその共感であることは間違いない。
われわれにしてみたら、そのへんの象牙の塔の「中国研究者」よりはるかに仰ぎ見る存在なのにね。