本当にメモってだけ。
とあるところにコメントする関係で、以下の4年前の記事を引っ張り出したんだが、
m-dojo.hatenadiary.com
そのついでに、記事についたブクマを見直したら、以下のようなコメントがあった。>>
引退後の新井白石といえば「異世界から帰ったら江戸なのである」ですよね/白石党つながりで「魔岩伝説」もあげておこう
新井白石と「思想的名勝負」をしたシドッチの遺骨見つかる。白石のその後も含め、思いを馳せる。【記録する者たち】 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-b.hatena.ne.jp
- [歴史]
引退後の新井白石といえば「異世界から帰ったら江戸なのである」ですよね/白石党つながりで「魔岩伝説」もあげておこう
2016/04/07 01:00
ふむー?
題名からして、そもそも「?????」で、異世界ってのは今の社会から離れた設定や舞台で想像を広げる話なはずなのに、そこから江戸にもどるって…
- 作者:左高例
- 発売日: 2015/05/30
- メディア: 単行本
- 作者:左高例
- 発売日: 2015/12/26
- メディア: 単行本
ま、そこんとこは置いといて「引退後の白石」が、そういう創作物に登場するとは。
引退というか「失脚」なんですよね、彼は。
致仕後、白石が幼少の家継の将軍権威を向上すべく改訂した朝鮮通信使の応接や武家諸法度は、吉宗によってことごとく覆された。また、白石が家宣の諮問に応じて提出した膨大な政策資料が廃棄処分にされたり、幕府に献上した著書なども破棄されたりしたという。
江戸城中の御用控の部屋、神田小川町(千代田区)の屋敷も没収され、一旦、深川一色町(江東区福住1-9)の屋敷に移るが、享保2年(1717年)に幕府より与えられた千駄ヶ谷の土地に隠棲した。渋谷区千駄ヶ谷6-1-1に渋谷区が設置した記念案内板がある。当時は現在のような都会ではなく、一面に麦畑が広がるような土地だったと伝わる。
ja.wikipedia.org
白石は、ケタはずれに優秀な人であった。そのことを一番よく知っていたのは、当人自身であった。彼はそれを語り続けた。だれにでも、どこにでも。
(略)
だから人に嫌われた。そこで彼は、後世に向かってそれを語った。(略)シドッチは「世界には500年に一人ぐらいこういう人が出る」と嘆息した。それをわれわれが知りえるのは、白石がそのことを、世界にむかって語ったからである。
(略)
彼が最も心を傾けて語った相手は、仙台の学者佐久間洞巌であった。失脚後手紙で知り合った、一度もあったこともない人である。
<老朽は夢ほどの学文候と名誉の清朝・朝鮮・琉球・阿蘭陀などへ聞え候て、亘理来り候ものものヽいかゞが無事に候かなどたづね候…>
「わたしの名前はね、北京、南京、琉球、朝鮮にまで知られているんです。ねえ、聞いてください」…こころをひそめて「折たく柴の記」を読めば、初めからしまいまで、通奏低音のように老白石のつぶやきがきこえる。−おれはえらいのだよ、おれはえらいのだよ、おれはえらいのだよ、おれはえらいのだよ、おれは…
- 作者:高島 俊男
- 発売日: 2007/05/21
- メディア: 新書
有名な出来事の後「それからの…」が面白かったり、キャラチェンジした有名人もけっこういるぞ、という話
「「〇〇〇」で知られたあの人は、実はその後も長く生き、こんなことをしていたんです!!」がおもしろいひと、意外な人。
ここを掘っていくと、けっこうな鉱脈がまだあると思うのです。
- 作者:佐藤 国雄
- 発売日: 1990/03/01
- メディア: 単行本