宗教がらみでもうひとつ。本当なら詳しく展開したいところだけれどとりあえず簡略版という部分で。
高島俊男が週刊文春に連載していた「お言葉ですが・・・」は、個人的には大好きで、識者の間でも評価が高く大好評連載のように思っていたら、その実、読者が高齢化したこともあるのか、単行本が売れなくなって最後は小さな出版社から出ることになった・・・・という話は、以前述べた。
この本は地味豊かでいくらでもここから引っ張ってひとくさり話すことができるんだが、ちょいと年配の方に読了後すぐ貸したこともあり、論じる暇がなかった。
今回改めて再読し「あ!!このこと書いてなかった!!」と思い出した話。
緊急性もあるので今回そのことを書いておく。
いつごろからか、
「預言と予言を使い分けなきゃいけない。
『予言』は占い師や超能力者が未来を当てること。
『預言』とは特にセム系一神教で、モーゼやムハンマド、キリスト(この人は別格の三位一体の神の子との見方もあるが)が神の言葉を伝えること」
という話があって、自分もいろんな読書の中でそういうことを何度となく目にして、常識だと思っていました。高島氏は、著書のなかでそういう主張をしている例として遠藤周作、山本七平などの「才子連」を槍玉に挙げているが、たしか、と学会系の本でも読んだ気がしますなあ。高島さんはそんな本そもそも読んでいないだろうけど。
さて、どんな風に違うのか・・・実はあらためて探すと、すでにはてな内でも週刊文春に連載されていた段階で
http://d.hatena.ne.jp/wata300/20060730/p1
が引用し、ブックマークも8つとそれなりについている。自分も 文春を読んでああネタになるな、と思いつつ忙しさで置き去りにしていたか。
どんな風に「預言と予言は違う」が俗説なのかは上リンクを読んでくださればよい・・・だが、そもそも高島コラムは結論に導くためのさまざまな知識の披露、悪態、名調子が再読再々読に耐えさせるのであって、本当なら実際に読んでいただくしかない。
- 作者: 高島俊男
- 出版社/メーカー: 連合出版
- 発売日: 2006/11/01
- メディア: 単行本
- クリック: 4回
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このテーマだけで4つも5つも書いている。
自分も何しろ今まで俗説を信じていて、その上だれかにこれを吹聴したような記憶もないではない(笑)。
で、啓蒙のためには上のブログ主に続いて独自貢献しなければと思い、検索でも結構上位にあるはてなダイアリーの中の
「預言者」
「予言者」
をば(梶原一騎調)、修正させてもらいました。これで目に付く人もいるでありましょう。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%cd%c2%b8%c0%bc%d4
は、上リンクよりもう少し詳しくかいているかもしれない。
・・・・俺は大いに驚いて、知的にも刺激を受けたんだが、ひょっとして大多数は「そんな使い分け論、そもそも知らんかったわ」ってなるか?
そうかもしれんな。じゃあ「ムー」読んでいる人とかに届け。
あ、タイトル後半部分は書いてないのでこれは未完。
というか、ちょっと調査・取材しないと後半はかけない。
【追記】こちらは両者使い分けを支持する意見。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060529/1148879893
BigHopeClasic 『finalventさま、はじめまして。
「預言」は神から言葉を預かること、ではなく、「予言」と全く同じ意味の「あらかじめ言う」という意味である。という解説が高島俊男氏によってなされています。
すなわち、
1.「豫言」という漢訳語ができ、それが日本に輸入された。
2.「予」は「豫」の略字であり、「預」は「豫」の異字で意味は同じである。従って「予言」と「預言」は同じ意味である。
3.中国語の「預」には「ものをあずける」という意味はなく、日本において初めてその意味が字に付された。などなどの論点があり、結局預言と予言を分けて考えるのはどうも根拠がないようです。詳しくは高島俊男『お言葉ですが』第11巻(ISBN 978-4897722146)をご参照下さい。』
finalvent 『BigHopeClasicさん、こんにちは。高島先生のそれは既読です。この説については知っています。単的にいうと高島先生のユーモア(イロニー)か誤りだと思います。3が成立するなら近代日本は中国の属国であり、そして日本では西洋文献の翻訳が成立しません。実際には歴史はその逆で、日本人が西洋文明の翻訳のためにたくさんの造語を行いそれによって日本語を拡張しました。我々の日本語文化はその継承にあります。予言と預言をごちゃまぜにすると聖書すら翻訳できません。と、いうふうに私は考えていますし、字引などでもこの二つは分けています。近代日本語の用例からも支持されるだろうと思います。』