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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

ゴン格3.3UFC特集、”高島節”全開の巻頭論文…永遠の課題「確実な勝利vs派手な打ち合い」/しかし新風の兆候も

他の格闘技出版物が多く、楽しく、発売10日すぎでようやく紹介できることになるゴング格闘技


今回は注目度も段違いのUFC日本大会特集、表紙は血をしたたらせながら笑顔のヴァンダレイ・シウバだ。


そして、一体何本の原稿を書いているのか毎回数えるのも大変な高島学記者。
今回は、大会規模や注目度だけでなく、大会の試合の内容も氏にとっての「男の花道」だった。

というのは・・・・・・かなり大雑把に単純化しますが

高島氏は簡単にいえば、長年ずっと、観客を意識して、会場を盛り上げるためにど派手に殴り合って、両方が派手に倒し倒され・・・という試合だけをよしとする風潮を嫌い、しっかりした判定基準を双方が視野に入れながら、隙を作らないよう慎重な戦略に基づきオフェンス、ディフェンスを展開、そして動きがなくいけど、結果的に大接戦で判定・・・みたいな試合の価値を説いてきた人だ。

そして結果的に、日本大会は注目の高いシウバvsスタン、マーク・ハントvsステファン・シュトループが前者に、岡見勇信vsヘクター・ロンバート水垣偉弥vsブライアン・キャラウェイが・・・ちょっと違うけど後者のような試合になった。

つまり高島氏も、このうえなく注目度の高い記事で、長年の自らの議論を展開することが出来るのである。そして表紙をめくり、ページを開くとこういう記事が目にとびこむ・・・

ヴァンダレイ・シウバの壮絶なKO勝利後)周囲の盛り上がりから、何か見えないバリアで遮断されたように――MMAの難しさばかりが胸に去来していた。「まだ、そうなんだ」という気持ちが膨らみ続け、爽快感は微塵もなかった。
 
  
(専門メディアが陣取る)その席から「これが格闘技だ」「これが見たかったんだ」という興奮した声が聞こえてくると、寂しさは「何も変わらないんだな」という絶望感へ変わっていく。
 
 
試合がなかったUFCファイターは「なぜブライアン・スタンがああいう試合をしたのか…」と疑問を口にした。(略)ヴァンダレイはともかく、スタンはあの戦い方を米国で繰り返すことはまずない。。あのような試合を周囲が奨励し続けると、ファイターは壊れてしまう。
 
 
−凄かったが格闘技として間違いもたくさんあった−PRIDE復活劇にしてしまっては意味がない。

選手の安全性の問題は、少し別の話かもだけど、それはそれとして「高島節」だねえ、という定番感をこっちが受け取るのは長年、読者として付き合っているゆえで仕方ない。

一方で、GSPの試合を評したUDF158の記事は・・・これちょっと面白かった
「見ていて退屈だと非難するつもりは毛頭ない」
「リスクを抑えて安全に戦うことを世界戦で5Rに及んで持続できるファイターが、この世界にどれだけ存在するだろうか・・・8度も防衛できたファイターが、彼以外に誰がいるというのか」

と称えつつ、フィニッシュが必要だ、と論じる。
だがそれは、後半のタックル失敗やコンディット戦での左ハイ被弾に触れ「5Rを闘うスタミナにかげりが見えたかもしれない」「完全無欠ではなくなりつつある」からこそ、早めに試合を極めなければいけない・・・という逆説的な論点。

で、これは例の「実戦経験ゼロの、MMA史上最強の軍師」グレッグ・ジャクソンの同誌の言葉と連動している。

みんなうちのチームは判定勝ちを目指しているというけど、そんなことは安全じゃないからやらないよ。だって5分3Rフルタイムで闘ったら、それだけ相手がこちらを倒す確率も高くなるってことじゃないか。判定勝ち狙いは、戦略として理にかなったものではないんだ。(34P)

うーん、こういう芸談、それぞれの記事が連動するのが雑誌のうれしいところだ。
さて、このグレッグジャクソン記事の聞き手は・・・?堀内勇氏。


ここではすっと、高島記事をフォローする役目を担った、形だが・・・最初の話に戻ると、ヴァンダレイ・シウバにインタビューして、一転して高島学最大の敵になる!!(偶然だろうケドね)

あの大戦争を制したヴァンダレイはいう。

自分は試合ですべてをぶつける。選手はみんなそうしなくてはならないよ。いい仕事をしなければ。ファンの感情をかきたてなければいけない。負けることをおそれずにね。勝ち負けは相対的なものだ。我々選手は質の高いショーを見せることにこだわらないといけないよ。このスポーツが発展するためにもね。”戦う”意志を持った選手がもっと必要だ。そうすれば我々もファンも、みんなが勝利するんだ。今回の試合が、選手たちが敗北への恐怖にとらわれなくなるための良い見本になってくれればと思う。白星を挙げなくてはいけないという義務感が、選手から戦う気持ちを奪っている。(後略)

うわーー、大演説だ。名演説だ。さらに名言が続くのだが、ちょっと同誌に申し訳ないので、さらにボルテージの上がる後半は割愛した(それがないと名言として完結しないのだが)。ヴァンダレイはUFCデビューの頃は英語はあまり上手くなかったはずだけど、向上しているのか、ポルトガル語通訳が別にいたのか。どちらにしよ、日本語にした記者の功績も見てほしいところだ。


これは堀内氏自身の持論とどのぐらい似ているのかは分からない。堀内氏は柔術選手でもあるし、MMAの試合経験もあるのだ。実はゴン格編集部屈指の武闘派??
 
それに雑誌の”商品”としては、シウバインタビューで完結しているような気もするが、コーチのコルデイロにも話を聞いているのだから。

「本当はああいう試合をさせるつもりはなかったんだよ。落ち着いて様子を見ていこうと話していたんだ。 」
 
「スタンがどんどん攻めてきたから、あんなクレイジーファイトになったんだよ(笑)。・・・でもああいう展開だとお互いに勝つチャンスはフィフティ・フィフティ・・・」
 
「『もう少し冷静になってくれ』、と言ったよ」

などの証言を引き出している。フィニッシュのコンビネーションは、”新しいヴァンダレイ”が生んだものだという。
そういう点で、高島巻頭論文をヴァンダレイの名言がKO!のように見せて、コルデイロがダウンを奪い返す!!そして岡見勇信ページが、GSPvsニック記事が・・・と、最初に高島氏が提示した「壮絶な打ち合いとKO」と「緻密な、判定ポイントをめぐる攻防」の比較論が、今月号は一冊を通じた通低音になっており・・・「ゴン格 多重アリバイ」になっていた、と思うのです。

「高島時代」、から「高島・堀内時代」?UFCの大会レビューは分担で書かせてくれ。

今回、巻頭インタビューを堀内氏が担当したのは、アメリカに帰国したヴァンダレイに話を聞くのに在米で英語に堪能な堀内氏が適任だったから、というのが一因だとは思うが・・・
当方は堀内氏と数回面識はあるが、ここ最近、そういうのと関係なく・・・まず「面白いなこの記事。ブログに書こうっと」と読み直し、名前を確かめたところで、それが結果的に「堀内勇」署名だった・・・という記事がほとんどだ(ちなみに高島氏の記事やインタビューも、最初に書き手聞き手を意識しないのは同じだが、文章と質問内容で99%「あ、これは高島記事だ」と途中から分かる(笑))。
 
うん、今検索したらすべてがそうだ。全部「おもしろいな、引用しよう」が先に来て、紹介のために詳しくチェックして初めて気づいたものばかり。

ベンソン・ヘンダーソン、母親を語る。「僕はコリアン・ファミリーが助け合う、あの街で育った」(ゴン格)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130302/p1
■「柔術は護身。だから極められなきゃOK」…グレイシー三代目、格闘技に”哲学的挑戦”?
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130120/p2
■米の五輪柔道選手「ヘンゾ道場の柔術のお陰」、ヘンゾ「日本が柔術を学ばねば…米国が追い抜くだけだ」(ゴン格)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120904/p1

堀内氏の記事で、ここで紹介したら一般はてな読者からもブクマがついた「グレイシー三代目」「グレイシーのおかげで五輪の柔道で5位入賞したよ」インタビューなんて、僕的には語り手の名前で注目する選手じゃないからね。そして「判定か、激闘か?」というテーマに関わってくるものも多い。


そういう点では、高島記者から堀内記者は・・・格闘全体へのスタンスや好きな試合はだいぶ違うだろうけど・・・たぶん「問題意識の系譜」を自然と受け継いでいるような気がする。


そこで提案、要望。
さいわい、今UFCは非ナンバーも含めるとかならず1カ月に複数開催する。だがその総括的なレビューのほとんどを高島氏が担当することが多い。今回は日本大会、GSPvsニック、ロンダ・ラウジー戴冠のすべてを高島氏が担当した。そして、それはかなり、戦評でもありつつむしろ「オピニオン」である。そこは週プロ的な文化が息づいている・・・というか、自分はそういうほうが好きだ。

ただ、ゴン格は別に「論説委員」がいて社論を統一しているわけでもない。
そこで、意図的に「UFC大会レビュー」の担当者をもうちょっと振り分けて、「高島流の戦評(大会評)もある。松山郷流の戦評もある。堀内流も、茂田浩司流も・・・」とあったらどうかなあ、と思うのです。これまでゴン格はUFC大会評が巻頭にいくことが多く、やはり雑誌の”色”の印象づけをしていく(全部読み込む人はそう多くないだろうし)。

てか、実際ひとりでぜんぶ書くのは物理的にきつくないのか(笑)。