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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「維震」にすればよかったね(一部ウケ)

◇政治体制一新の意味「挑戦の門出、新年らしい」−−カレンダー・HPで使用
 ◇クーデターで使われた歴史「言葉に無神経」
 海上自衛隊が、05年公式カレンダーや公式ホームページに「維新元年」のスローガンを掲げたことを疑問視する声が出ている。この言葉は、2・26事件など軍人が政権奪取を目指した時に使われた歴史があり、識者らは「言葉に無神経としかいいようがない」と指摘している。
 広辞苑によると、「維新」は「政治体制が一新され改まること」。明治維新後、維新は、政治体制の一新を目指す際に多く使用され、1936年の2・26事件では、「昭和維新」を唱えた陸軍青年将校が、政府要人を殺害した。軍事クーデターで政権を取った韓国の朴正煕元大統領も、「維新体制」を標ぼうした。
 カレンダーは縦73センチ、横51センチの一枚もので、約6万部作成。海自の艦艇28隻と航空機11機のイラストを描き、上部に「維新元年 2005 海上自衛隊」と記している。
 公式HPの表紙にも「維新元年〜この旗の下に集う五十年」とのコーナーがあり、クリックすると自衛艦旗制定(1954年)までの経緯を紹介するページが表示される。
 海上幕僚監部広報室によると、「維新元年」のスローガンは、昨年11月に作成した自衛艦旗制定50周年記念パンフレットに収録された古庄幸一・前海上幕僚長(先月12日付で退職)のあいさつ文から引用したという。古庄前海幕長はあいさつ文で「自衛艦旗が掲揚されて50年の今年、『維新元年』を掲げ、次なる半世紀への挑戦の門出としたい」としており、同広報室は「新年にふさわしい言葉として選んだ」と話している。
 軍事評論家の前田哲男・東京国際大教授は「『昭和維新』が国家革新の合言葉として使われ、戦争に突入していった歴史の否定の上に、現在の憲法自衛隊があることを再認識すべきだ。何を維新しようというのか」と批判している。【遠藤孝康】

「何を維新しようというのか」と聞かれたら「そう、それは僕たちの心を・・・」とか答えれば終わるわい。「維新」を完全なネガティブ用語として捉えるのは実際的にも歴史的にも無理がある。というか、コメント仕事だからといって無理に付き合わなくても、前田哲男さん。

代わりに、もっと酷い用語を無神経に使っていた例をお教えしよう。
(これ、操作失敗で消してしまあったと思ってたが、他の下書き部分に残っていたもの)
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ナチススターリン毛沢東

まずは金平茂紀さん受賞記念(笑)ということで、筑紫哲也ニュース23「多事総論」から。

2月22日(火)「造友有理?」


私どもの番組もそうでありますが、このところライブドアフジサンケイグループへの挑戦ということが毎日のようにニュースになっております。

それだけではなく、本来経済ニュースかと思うのですが、巷の関心が非常に強い。それはなぜこんなに興味を待たれるかというのも、大変興味深いテーマではないかと・・・

内容はべつにどうでもいいっス。凡庸極まりないし。
ここで重要なのはタイトル、「造反有理」です。
この言葉は、毛沢東語録に「マルクスの言うことを要約した一言」とあり、もっとも盛んに連呼されたのは文化大革命の時ですよね。あの人類史上に残る巨大な権力犯罪の。

ナチス・ドイツに関しては、元は古代ローマに端を発する、片手を上げた敬礼にしても、仏教や少林寺拳法ポケモンカードまで(笑)巻き込んだ「カギ十字」追放にしても、弾圧事件を当時のナチ側が呼んだ言葉(ではあるがだいぶ広まった)「水晶の夜」という語の使用も、すべてひとくくりにけしからんとなって責任問題を追及される。

日本でも、頭が悪いことで有名な(笑)森ヨシロー首相(当時)が、「神の国」・・・これは内容まで踏み込んだから賛否はあっていいとして、「国体」「銃後」などの言葉を使用したら問題となった。

著名ニュースキャスターが、「中国の文化大革命で使われた用語」を批判的にでもなくそのまま援用する・・・「最終的解決」とか「アーリア的精神」というのとあんまり変わらないのではないか。


http://www.asahi.com/paper/editorial20050222.html

■ヤルタ60年――ますます多難な世界で


 1945年2月、当時はソ連、今はウクライナのヤルタに米英ソの3首脳が集い、欧州の分割や国連の創設など、第2次大戦後の世界の姿を決めた。

 千島列島と引き換えに、ソ連が対日参戦する密約がかわされ、大日本帝国の命運が決した場でもある。

 60年後のある晩、会談場だった宮殿の一室からこんな会話が聞こえてきた。

 「ウクライナの選挙に介入するなんて、プーチンの何たる失態だ。君がヤルタ協定を足場に他国に干渉してつくりあげたソ連圏だって、東欧の民主化であっけなく消えた。強権政治もいつまでも続かない。彼は君の失敗に学んでいない」。ソ連スターリン首相にまくし立てているのは、ルーズベルト米大統領だ。

 「そいつは心外だ」とスターリン。「プーチンの件はともかく、欧州に勢力圏をつくったのは、ドイツと日本に軍国主義が復活するのを警戒したからだ。君の次のトルーマンが日本に原爆を投下したのもそんなリアリズムからじゃないのかね。その後の冷戦時代に米ソの熱い戦争が避けられたのは、我々が賢明な現実主義者だったからだ」・・・

歴史上の人物や架空の人物の対話を通し、現在の問題を論じるという手法自体は珍しくないが、そこで対話の相手からは批判をされているとはいえ、ヨシフ・スターリン同志が登場し、論評の主体となるというのはなかなか大胆である。「ヤルタが舞台だからしょうがない」となるか。例えばミュンヘン会談○○周年というとき、ドイツで架空の「ヒトラー氏」と架空の「チェンバレン氏」、あとチェコの・・・すまん名前忘れた氏(笑)が現在の欧州について談論風発したら、仮に2者の口からヒトラー批判があっても大騒ぎになるのではないか。


・・・・といいつつ、個人的結論としては、これらを「アリ」にしてもいいかとは思う。
この種の自主規制は往々にして堕していくものだし、それが自由な言論を妨げることになりかねないからだ。


しかし、その前提として、毛沢東文革4人組)やスターリン、もしくはレーニンの行ったことに関して言及や、用語の引用、パロディとしての人物登場をするときは「ヒトラーへのそれに、そのまま匹敵する」ということに対し、現在は見逃されているではないか、ということを指摘したいのであります。それでええんなら、ええです。