皆さん、私が毎週のように宣伝している「愛川欽也 パックイン・ジャーナル」見た?
今回こそは見ないとだめだって。はてな内でウォッチしているのが俺だけという状況は打破したいのだ。
何しろ、築地の朝日新聞本社から直接放送してるんだから(マジ)。
さて今回は文字おこしとかできる環境でないのでザックリと。
田岡元帥(田岡俊次氏)はなんと???
この番組は田岡に始まり田岡に終わる。他はおかざり。
で、前書いたことの補足だが、田岡氏は主張の半分くらいは朝日のメインストリームからは外れている。
今回も、問題の本質はそれではない、という主張を述べるためとはいえ
「あの番組を流したら安倍氏の圧力は正当化される」
とアサヒ的にトンデモないことを。
しかし、世代的なこともあるのだろう、実は田岡氏は朝日新聞あるいは新聞自体の「権威」に挑戦されると、きわめて忠実にそれを守る側に立つ傾向がある。
年金問題では岩瀬達哉も同番組に出ているが、田岡元帥は日本に隠れもなき記者クラブ擁護派でもあり、また、防衛庁の自衛官に「お前は飛ばして(左遷させて)やろうか、バカだよ、アホだよまったくお前は」と罵倒したなんて伝説もあるのです。
(この事件について詳しく知りたい人は回りの軍ヲタに聞くか文芸春秋「紳士と淑女」第二巻をひもといてください。俺も概要しか知らない。)
要は、田岡氏は完全に朝日側で、「問題はなぜNHKが受信料でこんな虚偽を流すのかだ」というてました
ある権利の放棄
そこで田岡氏を含め槍玉にあがったのが、例の
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050121#p7
「朝日新聞虚偽報道問題」というテロップ
の話。まだ虚偽かどうか分からないのに一方的な見解を題にするとは何事か、ということですが、いいのかな。タイトルを自分達の見方、見解、主張に沿ってつける「タイトル権」を手放すと、ニュースとトーク番組の違いとは言え(いやほんとはこの番組ニュース解説番組なんだけど)、パックイン・ジャーナルこそがたいへんな制約を受けることになるのではないか?
メディアふたつが相争うと、ほんとに呪って掘った墓穴が隣り合う。
テープの存在
田岡氏に愛川さんが「で、取材の録音テープはあるんですか?」とたずねると、田岡元帥閣下は「これはイスラエルの核のようなもので(おい、その比喩まずいって!!)、あるともないとも言えないですがね・・・でも、あれだけ詳しく一問一答を紙面化出来ることから察してください」(大尉、いや大意)。
戦略的あいまいさ、つーやつ?
うん、たしかに1/20の朝日の「取材の詳細」は、当時も書いたと思うけどなかなか細かく、リアリティがあるんだよ。これはテープなしでは書きにくいかもしれない。
しかし・・・細部のりアリティをいうなら松尾氏の「ひそかに会えませんか」「すり合わせしたい」も安部氏の「中川さんと私は同席できるはずがない、と言ったら黙った」というのも同様に詳しく、迫真性がある。
で、これラ一連の言い分を読んで,俺なりに推理したことがある。
けっこう、これが正しいと思うんだが・・・・・↓
俺の推理。
本田雅和氏ほか一名は、やっぱり録音機を隠し持ち、松尾氏に無許可でやりとりを録音したのではないか。
しかし、田岡氏が「あんなに詳しく書いている」といった1/20の紙面を再読すると・・・「圧力とは感じますよ」に松尾氏は
「圧力とは感じるけど、それはひとつの意見だったと聞く耳は持ちましょうと」と言っているらしい。
あたしが朝日側だったら、(これが事実としても)この松尾氏の弁明はかなり周到、有効なものであってチッ、うまく逃げやがるなと思う。「意見として聞く」(政治家側から言えば「意見を言う」)これ自体が問題なのだ、というのが最近の片方の主張だが、その範囲に収まってしまうおそれありなのだ。
しかし、今回本田氏か朝日全体かはうしろに「ひとつの意見だったとして聞く」うんぬんというのがあっても「圧力」の言ありで攻められると判断した。
NHK(松尾)側は、逆にその補足で「圧力」という言葉はあっても無効化されている、と判断している。
であるから、どっちも「俺は正しい、証拠も有る」と思い、今回の全面対決になったのではないか。
テープ=核説(田岡氏談)の真意・1
実は、「放射能をそこら中に撒き散らして、使ったほうも被害が大」という意味ではないか(笑)
いや不謹慎でした、失礼。
というのは最初に戻って、小生はこの種の話で、やはりディテールが詳しいとそれなりに信用します。
こういう場で、なかなか「小説」は書けないものだと思う。
だったら、これもさっきの繰り返しだが、松尾氏の記者会見での取材風景の説明も相当に細かく、ありそうな話なのだ。
実をいうと、もともと話し言葉を活字にするときはどんな文学者でも手を入れないと重複も省略も多すぎてだめだ。それでも、この種のやり取りでは、当然ながら答える側のほうを比較的忠実に記し、質問者のQはあたうかぎり簡略化する。ま、当然だよね。
しかし、今回、その質問者の質問振りが表に出ると・・・・「はじめに結論有りき」「執拗に聞いた」というのは事実だったのではないか。
「29日に会った」という一言も、あっちから29日にあったよ、というのと
「29日に会いましたね?」
「いや、記憶は定かじゃない」
「会ってるはずですよ」
「どうかな」
「会ってますよね?」
「会ったかも」
の場合、同じ「認めた」でも信憑性が大きく変わるんだよな。どんな感じだったかは聞かねばわからんが。
テープ=核説(田岡氏談)の真意・2
あと控えているのは、朝日新聞社の中の「録音は隠しどりはせず、必ず相手の許可を取る」という取材内規に反しているのでは、との問題だ。実は元スクープ記者でかなりイケイケの田岡元帥は「そんなの違法でもなんでもない。単なる内規なんだから」「書類不備で家宅捜索して麻薬が出てきた犯人が、違法捜査で不当だって言うようなもん」(大意)と切り捨ててる。
なるほど、令状不備で捜索して犯罪の証拠が見つかれば、公判維持できるかどうかは別として犯人は明らかになる、といえる(これが古典法廷ミステリー「復讐法廷」のモチーフだね)。
ただし。この原則、社内内規はたんなるウチワの話ではなく、地村さん事件などを通じ、同社が社会へのけじめ、責任として打ち出したものだ。今回の件では(松尾氏も同意している以上)公開が妥当とはいえ、許可をとらずに録音したこと自体を社内で責任をとらないと、だれも今後取材を信じなくなる。
正しいという主張で、録音を出した場合は
主張は主張、無許可録音は録音という形で
けじめが必要になるかもしれない。
しかし、実は田岡元帥の言はハッタリで「イスラエルの核」ではなく「イラクの核(実はない)」かもしれませんよ?? いや、それはまじいって。
田岡氏があれだけ自身満々に語って、外れたりしたことがこれまで一度でもあったか?
いや答えるなよ、そこ。