荻野目洋子氏が手塚治虫「火のとり天」あっ誤変換だが面白いので維持して…(笑)「火の鳥展」に行った、というポストをしたところから始まる。
渋谷ライブの翌日、手塚治虫「火の鳥展🐦🔥」に足を運びました。会期が終わる直前の週末の混雑を予想して、平日の午後に。コーナーごとの福岡伸一さんによる解説もとても深く、手塚さんの生原稿と共に、来場者は皆ゆっくりと歩を進めて行く。多少の疲労感はあったものの、行けて良かった!… pic.twitter.com/iU6nKnwe3m
— 荻野目洋子 (@oginome_info) 2025年5月26日
渋谷ライブの翌日、手塚治虫「火の鳥展🐦🔥」に足を運びました。会期が終わる直前の週末の混雑を予想して、平日の午後に。コーナーごとの福岡伸一さんによる解説もとても深く、手塚さんの生原稿と共に、来場者は皆ゆっくりと歩を進めて行く。多少の疲労感はあったものの、行けて良かった!
火の鳥の台詞にあるような「人間ってバカだと思わない?」
何故、戦を繰り返すのか…という問いを、私達は何度でも読み継いでいきたいし、未来を予測しているかのような後半のストーリーを特にまた今、読み返してみたいと強く思いました。23歳になった長女と、世代によっての感じ方もまた面白いので、色々語り合いました。
解説ブックレットは売り切れだった為、火の鳥バンダナや福岡伸一さんと坂本龍一さんの興味深い対談本を購入。(NHK EテレSWITCH インタビューに加筆修正されたものだそうです)
こちらの感想はまた後日…。
わぁ、荻野目洋子さんにご来場いただけたとは!! ありがとうございました!!!🥰 https://t.co/QEwjBXkQrT
— 手塚るみ子 (@musicrobita) May 26, 2025
そこではてなブログ「藤子不二雄ファンはここにいる」運営者のid:koikesan、あるいは仮面次郎氏が語る。
さすがは荻野目洋子さん!
— 稲垣高広(仮面次郎) (@kamenjiro) May 26, 2025
当時のアイドルが大好きな本を紹介する記事で『アドルフに告ぐ』をあげていた方ですからね😊 『アドルフに告ぐ』の連載が終わった翌年のことです。 https://t.co/hzW5CRkHAZ pic.twitter.com/4JsxHRtYAH
と、ここから本題に。画像にある若き日の荻野目氏が持っているのは、最初に刊行された文芸春秋ハードカバー版、なのだ。
そこから幾星霜、ソフトカバー版や文庫本や電子書籍もある中で、若い世代はこの版を目にしていないだろうし、これが出てきた時の「社会現象」化も知らないよね、という話だす。
そして作品は長く残るが、残り過ぎてしまって(ってへんな表現だが)作品が登場した当時の「反響」「社会現象」のようなものは、そこで呼吸していた人の記憶にのみ残り、記録されない、これもまたあるあるだ。
(このせいで、単行本として残った名作漫画でところどころ、意味不明な表現や言い回しがあるが、初出時の時代性、あるいは掲載誌の内輪のノリを知らないとわからん…という箇所がある)
世の中、ファンロードのように都合のいい、当時の空気を保存した資料はそうそうないのだ。それにファンロードはFRで、空気の組成が偏っているし(笑)
で、ここで仮面次郎氏が「アドルフに告ぐ」が発表された時「アドルフ現象」が起きていた、という話を書く。
荻野目洋子さんが愛読書に『アドルフに告ぐ』をあげた1986年は、TV番組で「アドルフ現象」なる語が紹介されるほど本作が話題を呼んでいました。ビートたけしさんも『アドルフに告ぐ』全4巻を買って一気読みしたとか。アトムの影響でたけしさんがやろうと思った事を聞いた手塚先生が大笑いされてます😆 https://t.co/IkZyVPrnTM pic.twitter.com/bFCrEUDk8s
— 稲垣高広(仮面次郎) (@kamenjiro) May 27, 2025
「アドルフ現象」という語が紹介されたTV番組とは、1986年1月17日NHKで放送された「ETV8文化ジャーナル 大河漫画アドルフに告ぐ 手塚治虫のメッセージ 若者はどう読んだか」です。手塚治虫先生と川本三郎さんをゲストに迎え、『アドルフに告ぐ』を読んだ高校生6人などにインタビューする内容でした。 https://t.co/gdHF0LZLdp pic.twitter.com/1XGldRGgbF
— 稲垣高広(仮面次郎) (@kamenjiro) May 29, 2025
そして俺がリプする
この時代、つまり1980年代半ばは「漫画が大人文化として受容されるか」の最終決戦…、大阪夏の陣かアバオアクー戦みたいな状況で、そこで決め手となったのが「アドルフに告ぐ」が文芸春秋からリアル調の表紙のハードカバーで出版、社会現象となったこと、だったと思いますhttps://t.co/UVa4hqUtLt
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2025年5月28日
『アドルフに告ぐ』の単行本があのような形態になったのは、出版社が文藝春秋だったことと大きく関係していますよね。当時の文藝春秋にはコミックスの編集部はなく、小説の単行本と同じようなスタンスで刊行されたのだとか。四六判ハードカバーという装丁も宣伝の仕方も文芸書と同じやり方だったと。
— 稲垣高広(仮面次郎) (@kamenjiro) 2025年5月28日
「社会現象としての手塚治虫『アドルフに告ぐ』」 という魅力的なお題に触発されて、 自分のメチャクチャ私的な史観と見解、そこから動いていった歴史をまとめてみました。https://t.co/UVa4hqUtLt pic.twitter.com/7YLClPBaoj
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2025年5月28日
※画像部分のテキストがこれ
・1985年
文芸春秋から単行本「アドルフに告ぐ」が発売
版元が漫画とあまり縁のない文芸春秋だったため、厚手のハードカバー、
表紙は漫画の絵でない、別のイラストを使った装丁に。
内容と、その形式によってベストセラーとなる
(※当時、流通がそういうハードカバーだと一般書籍と同じランキングに入る、ということもあったはず)
・1987年
秋田書店が「ん?ハードカバーにリアルな表紙、そして手塚治虫作品なら…復刊もいけるか?」
と「ブラックジャック豪華版」を発売。これまたバカ売れ
・あとは一気に「往年の名作/ハードカバー/リアルな表紙」が次々と発売。
当時、たしかに「以前の少年ファン」が「購買力のある社会人」になっていたこともあるし
「いかにもらしいコミックスは本棚に置きがたいが、これなら…」みたいな、当時の「漫画への偏見」が
かえって豪華版を後押しした面もある
・そして、その結果、学校図書室や公共図書館にも
「これは名作漫画だから、子どもに読ませていい…んだよな?」みたいな感じで、この豪華本が入る様になった。
統計的な根拠とかなく、私的な体験に基づくけど(笑)、この流れで間違いないと思う。
おかげでカムイ伝とか読めたんだよ。
・そして昭和から平成にかわったばかりの1989年、
手塚治虫が逝去する。
往年の『神様』としてだけでなく、数年前に「アドルフ」で、実力で現役漫画家の人気ランキングに
再度名前を連ねたからこそ、その死はさらに大きく扱われ、「手塚漫画は教養であり文化である」という
評価は不動のものとなった。
・あとは世代交代もあいまって、漫画がサブからメインに一方通行で進んでいく時代。
政治家がふつうに「好きな漫画」を挙げて語ったり、学者が持論や理論を、漫画の喩えに使ったり…
現在にいたる。
「アドルフに告ぐ」ベストセラーが衝撃的だったのは、…これは個人的でありつつ、一般的でもあろう話
・手塚治虫は戦後の漫画史をけん引したカリスマだったが
・ある時期、スポ根や劇画に押され、逆に「旧時代の作家」のイメージがつき
・虫プロ倒産もあって「終わった漫画家」とみなされた
・しかし「手塚の死に水を取る」というつもりで始まった「ブラック・ジャック」が逆転満塁ホームランを放ち
・そこから「三つ目が通る」などなども少年誌で連載、奇跡のビッグカムバックを成し遂げた。
ここまではよくお話にもなる、有名な話。
===========================
・だけど1980年代に入って、さすがにそのビッグカムバックもやや落ち着いた感じとなり(婉曲表現)少年誌ではチャンピオンで比較的短期のシリーズを発表するぐらい。

そことは違う媒体では「ブッダ」「陽だまりの樹」やってるんだけどね…
https://tezukaosamu.net/jp/manga/chronology.html

・そして現役人気ナンバーワンのドラえもんの作者(当時はAとF、ふたりでひとりね)が描く自伝漫画やエッセイで「手塚先生手塚先生」と持ち上げつづけた。
・そのせいで、現役感が逆に無かった。いわば川上や長嶋や、力道山とかと同じジャンルだった。いわば「漫豪」中の漫豪。
・そこに、「アドルフに告ぐ」の社会現象化が起きた!! それはまるで、川上哲治や長嶋茂雄がカムバックしてホームラン王を争うようなイメージだった……のです。
・そして、上にあるような、アドルフに告ぐから発した「漫画をハードカバーで刊行(往年の名作を復刊)」させる動きもあった。
・呉智英の「現代マンガの全体像」も1980年代半ばぐらいに出たのか。
このへんがどんどん相まって、……まあ、メインにある原動力は上に書いたように「かつて読んでいた人たちが大人になった」もあるのだろうけど、ただ「大人になれば卒業するものだ」という鉄壁の概念、社会通念があったらそれを捨てていただろう。
「卒業しなくてもいいんだ」という雰囲気づくりに、手塚治虫「アドルフに告ぐ」は間違いなく貢献した、と思う。
余談だが、客観的には晩年の作品だが、これが大ヒットして「調子に乗ってる」感の手塚治虫がうれしい(笑)
いや、全体的な表情とかを見てよ。
ま、そりゃ当然でさ、晩年といっても50代だもんな。
令和の今と平均寿命、健康寿命、肉体的な若さにやっぱり違いはあるから単純比較できないけど、ぜんぜん老成してない今の島本和彦より若いんだからさ、この時の手塚先生は。
ヴァンパイヤやら「アオイホノオ」で、もう一度夢を見たいとしてる島本和彦より野心的であってもおかしくない。
そしてもし、島本氏が「アドルフに告ぐ」級の社会現象を巻き起こしたら
どれぐらい調子にのるだろうか想像してみて(笑)
それはともかく、調子に乗った手塚は…いや通常営業だったかもしれんな…。彼は「ルードリッヒ・B」、「グリンゴ」「ネオ・ファウスト」の3作を同時連載し始め、そして病に倒れ、これは未完となったのでした。
その時代の記憶を懐かしく思い出しつつ、ちょっとメモするだけのはずの文章がこんなに長くなった(笑)
いちおう
【日曜民俗学】
の準タグもつけておこう。
※準タグです。この言葉でブログ内を検索すると関連記事が読めます
m-dojo.hatenadiary.com