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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

山藤章二氏、逝去。筒井康隆本の挿絵からブラックアングル、「忘月忘日」まで

 イラストレーターで稀代の風刺画家であった山藤章二さんが9月30日、老衰で亡くなった。87歳だった。葬儀は未定。週刊朝日で「ブラック・アングル」を45年、「似顔絵塾」を40年にわたって連載した(いずれも2021年終了)。「ブラック・アングル」などで様々な作風を駆使した風刺画やパロディー画を発表し、「現代の戯れ絵師」を自称していた。

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この追悼文はさすが、長い縁を結んだ週刊朝日の編集者だけあって読ませる。

自分との付き合い(交友関係はない、一方的に読むだけ)も超古い。だって筒井康隆のエッセイ「狂気の沙汰も金次第」新潮文庫版を小学生の時に読んだ時についてる挿絵画家だったのだもの。
ドラえもんこち亀から、エリア88のような漫画に移行する前、すでに本格的な「大人の風刺漫画」に触れてたのだ。横山泰三でなくてよかった(笑)


今出ている電書版「狂気の沙汰も金次第」はひょっとしてこの挿絵が無いかもしれない!!そんなんでいいのかね。挿絵に触れた文章もたくさんあったのに
booklive.jp
(試し読み部分で割愛されてるだけか?)



あ、いま書いてて思い出したが、まだ昭和の図書館の漫画コーナーが「大人の教養、時事性・資料性に値するものしか置かないザマス」だった時代、手塚治虫田河水泡と並んで大版の「ブラック・アングル」も置かれていたんだ。
だから否応なく、こちらの目に触れて「有名漫画家」の一人として認識したのか、なるほど(一人納得)



朝日新聞発行の週刊朝日連載で、自分も認めているようにはじめは「角さん(田中角栄)」だより、その後は中曽根康弘の長期政権と、竹下のリクルート事件……となっていったので、風刺はおのずからそちらに集中、いかにも「朝日的」な感じに期せずしてなったが、山藤章二本人は相当に保守的な面を持っていた。
もちろん保守的といっても、別に自民党べったりというわけでなく……なんというか昭和の頑固おやじ的価値観を愛し、それを保ち続け、たとえば時代遅れだと言われても、その時代遅れを自ら愛し、時代遅れでけっこう、と開き直る、的なね。
価値観のアップデート、など、アップデートと思っていなかったろう。

このへんはビートたけしと同じく、その価値観の古い暴言がお笑い、ギャグとして受け取られるから延命出来た部分もあったろう。

たくさん資料は持ってるのに実家にあるのでパッと出せないが、ブラックアングルに告ぐ”代表作”のひとつとなっている「忘月忘日」という、手書き日記コラムに挿絵を添えた作品は表紙もその作品からとっている。書影から少し読めるかな…

忘月忘日

我が意を得たり、なもっともな指摘もあるが、「ただの言いがかりだよおじいちゃん」な、好き嫌いだけの主張もあること、この一枚でわかる(笑)


そんな人だから、一国の首相がこだわりなくいろんな人に電話をかけて親しく話すことで「ブッチフォン」と呼ばれた小渕恵三にはたやすく篭絡されて(笑)、その後も、自民党的な人たちとの人脈も保ち続けた。
小泉首相から依頼されて、ブッシュ大統領が来日した時のお土産として浮世絵風?のブッシュ似顔絵を描いたのだ。それも9.11事件の報復としてアフガン戦争に乗り出そうというブッシュを「流鏑馬の弓を放つ武士」に見立てたもので……

この話は大きなトピックだから、訃報の報道でも取り上げられていたな。

あの時、自分はすでに山藤氏の保守性ある価値観を、文春経由とかで受け取っていたから「ありゃー、週刊朝日を『朝日的価値観』で読んでる読者って、この一件に衝撃受けてるんじゃないか?」とひとごとながら心配になった…のだが!!!!


 ブッシュ元米大統領は、今もどこかに自分の似顔絵を飾っているだろうか。平成14年に初来日したとき、当時の小泉純一郎首相からお土産として贈られた。

 ▼ブッシュ氏は滞在中、明治神宮流鏑馬(やぶさめ)を見学している。似顔絵は、その流鏑馬でブッシュ氏が弓を引いている図柄だった。小泉氏から絵の制作を依頼された山藤章二さんには、ひとつ後悔がある。

 ジョージ・ブッシュの語呂合わせで「常時武士」と文字を入れる「遊び」を入れられなかった。「サムライのように毅然(きぜん)として勇ましい男」「刀を抜きたくてうずうずしている男」。文字の意味は、好きなように受け取ればいい(『論よりダンゴ』岩波書店)。
www.sankei.com

岩波書店から出た本に(笑)こう書いている。
仮にその文章を入れていたら、風刺が持つパワーとその限界に関して、大きな参考となっただろう。うまく本人に献上するその絵に、「刀を抜きたくてうずうずしている男」という毒をひとつまみ入れたことを評価するのか、そもそも権力者にそういう絵を渡すことを批判するのか……。




そんな二面性は、落語を中心とした笑いの演劇、エンタメの見巧者としての資質にも繋がっていた。
彼の落語論やお笑い論は、いまでも異彩を放つものが多いし、昭和平成のお笑いクロニクルともなっている。
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立川談志(彼が自民党議員でもあった、というのに山藤章二の価値観はかなり似てる気がする)との交流もあったし、「ザ・ニュースペーパー」を見出し、何度も紹介してプッシュし一流どころに押し上げた。


その一方で、たとえば少年漫画、いわゆるメインストリームの漫画についていったかというと手塚治虫以降はもちろん触れてもいないような感じで、審査員を務めた文春漫画賞
「この賞は古い『大人漫画』に寄り添う価値観でいい。どんなに古くなっても、それでいいじゃないか」というふうに自己規定し、はたして文春漫画賞はそのまま古くなり、役目を終えた(笑)
だが、それも見事と言えば見事で、鬼滅の刃や葬送のフリーレンに文春漫画賞を与える山藤、の姿は想像しがたい(笑)

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週刊朝日はなにしろ「後ろから開かせる男」とまでなって(※ちなみにこの二つ名、山本夏彦も諸君!連載の「笑わぬでもなし」で受けていた)いたので、やめどころもなかったが、やはり老齢を理由に引退。

マッカーサーは「老兵は死なず…」と言いました。(略)「週刊朝日」からいつか引退しなくてはなりません。これは致し方のないことです。いまのまま、居座っていいのか、どうか迷っています〉

 80歳前後からは右ひざが痛み、歩きづらくなった。手術や長期入院にも耐えつつ描いた「ブラック」だが、さすがに昔日の輝きが薄れてきたのを本人がいちばんわかっていたと思う。

 21年12月に「ブラック・アングル」は2260回、「似顔絵塾」は1990回で終了することになった。

 山藤さんは『自分史ときどき昭和史』に書いている。

〈私の選んだ道は諷刺であり、皮肉であり、滑稽である。すべて観察と距離感を必須とする世界だ。ホドのよい賢さと愚かさ。ホドのよいマジメさとフマジメさ。ホドのよい協調性と孤立性。ホドのよい自信と不安。こういった二律背反するものの微妙なバランスの上で成り立っている商いである〉

 自分を分析しつくし、辞め時もスマートな山藤さんだった。
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そしてほどなく、週刊朝日自体も休刊……これも、寂しくはあったが「そうであろう」と受け入れられた。

そこからしばらくして、今回の訃報である。
或る意味、ピタリとはまった見事な人生設計であった。


ただ、タイガースの2024年のCSでの戦いを見逃してしまっていいのか、とは言いたくなる(笑)

お疲れさまでした。

読み損ねていた、晩年のコラムをこれから読んでみようかしらん。



(了)