あー…?? 画質的に読める?? ぎりぎりかな????
たぶんオリジナルサイズはこちらをクリックして表示 で見ると、少しクリアかもしれない。
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/g/gryphon/20130909/20130909081302_original.jpg?1378682085
背景を説明する必要があるかないかわからないけど、ざっと箇条書きすると
・名古屋が「1988年五輪開催」都市に立候補した。
・その当時、バリバリの新進お笑い芸人として大人気(ただし、アングラ的なにおいも濃厚)だったタモリの芸風に「名古屋人を誇張して嗤いのタネにする」があった。
・その一環としてタモリはさまざまな場で「名古屋オリンピックをつぶそう」と語ってきた。
・そして本当に落選した。当選都市はソウル。
その日の夜、タモリが語った言葉…をお笑いに理解の深い山藤章二氏が、おそらく「記録に残したい!」という情熱ゆえに、許可を取ったかどうかしらないが、週刊朝日の巻末一こま漫画連載「ブラックアングル」で”誌上再現”したというわけ。
公のニュース価値すらある”伝説の放送”であり、1981年のことだから、カセットテープレベルでは録音した人も多いだろう。ただし、まだラジオの放送なんて "On Air"後は空気の中に消えていくという感覚が一般的だった時代。この山藤氏と云う”記録者”の記録は、現にこうやって助けになっている。
(youtubeあたりにこの録音があるのを知ってる人は教えてください)
この本ね。
- 作者: 山藤章二
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1985/03
- メディア: 文庫
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なぜこれを紹介するかというと、つまりはいまの五輪は、当然のように反対論や冷笑をそこに織り込まれた状態で存在すると思うし、逆にいえばそれを織り込める都市のみが開催に値する、というのだ。
そこで落選した名古屋を引き合いに出すのもあれだが(笑)、実はこの「ブラックアングル」、単行本ではネタ元になった時事問題を紹介するために関連新聞記事の切抜きを載せてる。
これはちょっと、画像では読めないだろうね。要はこの年、1981年8月にタモリは名古屋で初のお笑い漫談・音楽公演を開催し、その名古屋DISにもかかわらず終始歓迎ムードだった、という記事。
実はタモリの名古屋ネタは差別の笑いだ、とかヘイトスピーチの元祖だ、とかいう批判もあって、実は部分的には納得できないわけでもない。ただ、総体的に見ると、タモリのそれは日本のブラックユーモアの地平を広げたものだった。名古屋五輪はその尊い犠牲になったと思えば多少は浮かばれるかもしれない(笑)。
この種の冷笑もまっこうからの反対論も含めて、第二次東京五輪は行われるし、行われるべきだろう。
上でイスタンブールやマドリッドといったよき競争相手へのエールの交換(すべきとの論)を紹介したが、これは五輪賛成派と反対派の間にもなしえるのではないか、と思っている。
【追記】ブクマで教えてもらったのだが、これはアンサーソング…なのだろうか?
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