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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

パリ五輪柔道・雑感~斉藤の関節技での敗北とか、リネールとか、報道とか

まだ団体戦があるけど。

柔道部物語の三五十五は、他作品にも出ている。五輪で一回戦負け


・五輪前に「寝技、関節技の攻防が見たいもの」と書いたが、100キロ超級で日本が敗れた時に一番いいそれが見られる、というのも…しかし、寝技極め技ファンとしてはそれが素晴らしければ称賛するしかない。
ウズベキスタンの選手だったか、斉藤ジュニアを完璧にサブミットさせるワザマエでした

Xに動画はまだなかった


・それで「腕十字」その他で動画検索したら角田夏実の例の”1.5本”があったんで埋め込んどく。



・そういえば斉藤ジュニアは本戦準決勝での敗戦、あの韓国選手の背負い投げで解説者が言ってたけど「キム選手は斉藤を背中に乗せてかつぐんじゃなく、斉藤が転がるスペースを作っておいてそこに落とすような感じだった。あれでは回らざるを得ない」といってて、あーなるほどと。言葉じゃ説明しずらいな、映像でみるとわかるんだがな。

あー、こんな感じ



・そしてそのキムから完璧な払い腰をするのがリネール…


柔道は頂点に近づけば近づくほどきれいな投げでの一本なんて減ってくる、と思いきや、これだからね。自分は払い腰って、特に決まる感じが実感できず、たぶん公式や練習でも決めたことないな。ただ見せ技、おとり技には使って、そっちは効果的なんだ。
だから、払い腰ってそんなイメージなんだけど、いや綺麗なフィニッシュだね。



・そして自分が好きでもあり得意でもあり、決まりそうという実感・自信があるのは「肩車」なんだけど、今回肩車が得意という選手が男子・女子でも何人か出て、何回か勝ってた。メダル取った人もいたはず。
だけど、実況が「決まった肩車!」とか言った時、「えっ、さっきの…肩車?」と。入り方や流れによっては肩車には見えないけど肩車、という技があって、ちょっと驚きつつ興味深くもある。

それは探して見つからんのだけど、関連の動画・画像。





団体戦後の追記
まさに、令和版のアップデート肩車が炸裂して阿部一二三が敗れるという事態が発生しました






・柔道報道で




・「●●の三四郎」という呼び名についてのこだわり


eJudo編集長 古田 英毅
@eJudo

元号」+三四郎、という称号は柔道界にとっては特別な思い入れのあるタームです。かつてテレビ番組で「平成の」と紹介されることを打診されたある柔道家(凄い実績の方です)が顔色を変えて「それは私ではありません。古賀稔彦さんです。絶対に使わないでください」と固辞したというエピソードがあります。その継承には柔道家はナーバス。「令和の」の称号の周辺に近づいた柔道家はこれを名乗れるか、誰が名乗りうるかを非常に気に掛けていたと思います。「昭和」なら岡野功さん、「平成」なら古賀さん。基準になったのは体重無差別での戦いの成績と振る舞い、「小よく大を制す」を体現していかということです。お二方とも全日本柔道選手権のファイナリスト、岡野さんは複数回の優勝があります。もちろん体重別でも世界一。

なので、かねがねTV局の勉強会講師などを務める際に「安易に使うのは本人に対しても失礼です。ファンと業界にご配慮お願いしたい」と訴えていたのですが、非TV媒体もあっさり踏み越えましたね。与えられたファーストネームは動かしようがないしキャッチーな言葉を求める気持ちもわからないではないですが、とても残念です。「それもこれも柔道競技の存在感が薄いから。社会に理解されにくいから。私たちの力が足りないのが悪いんです」と一言言って収めるのが安全なんでしょうけど、私も「元号三四郎」に一際思い入れてこの言葉を尊重してきた世代の柔道人。あっさり受け入れる心情にはなりがたい。「とても大事なことなんです」と、上を説得するなり、取材対象のジャンルを思いやる気持ちが欲しかった。

当方では、村尾選手がこの先体重別で世界一になり、無差別でも勝ったときに、この称号を使いたいと思っています。応援しています。
最終更新
午後4:01 · 2024年8月1日

嘉納治五郎の功績 再放送(ゴング格闘技より)

m-dojo.hatenadiary.com

「私が常に聞かされていたクリシェ(使い古されてきた決まり文句)の一つは、グレイシー柔術はもともとマエダ(前田光世)によってブラジルにもたらされたものを、グレイシー一族が実験を重ねて発展させたというものだ。しかしいろいろ書物を紐解くと、それが実際に起きたことの極度の単純化であることは明らかだ。私が調べて分かったのは、ブラジリアン柔術の父はカノウと彼の柔道だということだ

――グレイシーではなく。

「私が思うに、カノウこそ近代においてもっとも卓越したマーシャルアーティストだ。その成し遂げたことを考え合わせると、彼がどれほど驚くべき人間だったかということに感嘆するのみだ。たった一人の男が、昔からある日本の柔術の諸流派―つまりコリュウだ―から柔道を創り、そこからさらにサンボやブラジリアン柔術が派生し拡げてたんだ。つまり、世界の着衣レスリングの三つの主要な形態は全て、ただ一人の男を源流とするんだよ。これはもう、インクレティブルな達成としかいいようがない」

――確かに。

「加えてカノウは、武道にオリンピック競技という栄誉を授けた唯一の人物だ。彼が柔道をオリンピック競技にするよう働きかけた。
第二次世界大戦の直前に亡くなることがなければ、それを自身の手で成し遂げたかもしれない。しかしそうはならなかった。彼の満願が実際に叶ったのは、あの悲惨な大戦を経た後の1964の東京オリンブピックだ。
とまれ、柔道、柔術、サンボを学ぶ我々すべては、カノウという近代におけるグレイテスト・マーシャルアーティストから、計り知れないほどの恩義を受けているよ。そして彼は、近代のマーシャルアーツトレーニングにおける、もっとも偉大な叡智をもたらした人物でもある」

――もっとも偉大な叡智?

「マーシャルアーツの価値を決めるのは個々の技術ではなく、トレーニングシステムだということだ。そして彼はそのトレーニングシステムを導入した。ランドリだ。そのことによって、コンバットスポーツ(格闘競技)と伝統的武道(トラッディショナルマーシャルアーツ)の違いが生み出されることとなった。文字通りの形で、だ。
そしてこのコンバットスポーツこそが、現代のマーシャルアーツにおける大いなる革新をもたらしたんだよ」

――確かに......。決められた動きの反復練習だけでなく、フリースパーリングを導入して競技化することによって、技術は飛躍的に発達しますよね。

「ここまで話した全てが、カノウの功績だ。我々すべて、グラップリングにおけるコンバット・アスリートのすべては、それは莫大な恩義を彼から受けているんだよ」