INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「21世紀は警告する」という昭和のNHK番組に出演した「本国の無い領事館(リトアニア)」の総領事、独立回復を生きて目にし国連大使も務めたそうだ。

【過去記事から】まず、大前提として、2005年の当ブログ記事に頂いた反響である、ということ。
m-dojo.hatenadiary.com

それはまだいいんだが、そもそも元の話が1980年代半ばに放送されたNHK番組である(番組自体は大反響のあった有名番組とは思うが)という点で、興味を持たれるのはごくわずかであろう。
それでも記憶、記録として残しておく。


上の記事もそもそも、当時の総合格闘技界で「レミーガ」の愛称で知られた軽量級のリトアニアファイターがいた、というところから連想した話で…彼も2016年、若くして亡くなった。逆に令和6年の今、60戦以上を闘い、数日前、引退をかけた試合で劇的な勝利を収めたばかりの所英男と同年代のライバルだった、といえば話題の古さもわかるかな(笑)


まあ、そんなところから連想して、2005年にこのブログで、それこそ子供の頃に読んだ「本国の無い領事館」の話を紹介したのだった。引用部を、再び掲載する。

「本国のない領事館」

ニューヨーク、セントラルパークの西、八二丁目の通りは、プラタナスの並木の美しい静かなアパート街であった。
個人と国家の緊張関係を問う私たちの取材の旅は、アメリカから始まった。もはやこの地球上に存在しない国、すでに消滅した国の領事館が、今でもニューヨークの片隅で活動を続けている、と聞いたからである。
(略)
私たちがたどり着いたのは、何の変哲もないアパートの5階、さびの浮き出たドアの前であった。そこには一国の代表部を誇示する看板はもとより、その部屋の主を示すプレートすらなかった。(略)
ためらいつつ、ブザーを押してみる。やがて姿を見せたのは、瀬の高い、厳しい目をした老人であった。

リトアニア領事館はここですか?」
老人はいぶかしげに私たちをながめ、短い沈黙のあと私たちをじっと見据えながら答えた。
「私が総領事のリムティスです」
老人の背後の壁の、長さ1メートルほどの鉄の盾が、私たちの目をとらえた。盾に描かれていたのは、槍をふりかざした中世の騎馬兵の姿、そして周囲に鮮やかに刻まれた文字「リトアニア共和国」−−。

そして老人は、祖国の苦難の歴史を語る。中世に栄えたかの国だが、その後ロシアの併合を受け、民族自決の風が吹いた第一次世界大戦後に独立を取り戻す。
しかしそれもつかの間、スターリンヒトラーという稀代の独裁者が結んだ握手によって、バルト三国ソ連に蹂躙され、併合された。



1940年6月15日、「祖国崩壊の日」。

リムティスさんの脳裏には、40年前の祖国崩壊の日の記憶が昨日の事のように刻まれている。

「私は、着任してまだ1年の事務官でした。その日、上司のもとに本国から訓電が届きました。ただちに領事館を閉鎖して全員帰国せよ、という命令です。上司の総領事は苦悶していました。その訓電が祖国リトアニアからのものでなく、占領した支配者からのものであることを知っていたからです。”祖国”が消えてしまったのです、祖国が・・・。みな、呆然としていました。
私たちは帰国命令を拒否しました。たとえ母国が占領されても、”リトアニア共和国”が存続することを同胞に示すためにも、この領事館は閉鎖してはならないと思ったからです」


「しかし今はもう本国のない領事館ですね・・・」


「ええ、でもリトアニアという国が地図から消えても、ここにその一部が残っているということは大事なことなのです」

若き一介の事務官であったリムティス氏は亡くなった前領事の後を受け、自分も含めて3人の「領事館」の二代目総領事となる。マンハッタンの中心部から安アパートに移転し、隣人の顔色を伺いながら細々と続ける業務・・・。

本国のない領事館を今日まで存続させてきたものはいったい何であったのか。老人の意地だけなのだろうか。その疑問を解く鍵は、領事館に大切に保存された40万枚を越すファイルであった。
それは、戦後世界各地に難民となって散ったリトアニア人が、唯一ニューヨークに残った祖国の政府機関である領事館に、接触を求めてきた記録であった。

(略)
その多くは、すでにアメリカなどさまざまな国の資格を得ている。彼らが領事館に求め続けていたもの、それは老人が発行する公文書、リトアニア共和国のパスポートであった。

老人は、2日前に届いたという1通の手紙を私たちに見せた。そこには出国後カナダでくらしていたこと、孫娘がうまれたこと、そして家族全員にパスポートを発給して欲しい旨が書かれていた。

そして老人は私たちの前で、彼らのためのパスポートを作成して見せた。遠い日々、国が存在していた頃とまったく同じ書式で、次々と必要事項が書き込まれていく。老人にとってもっとも厳粛なひとときだという。鮮やかな印紙が貼られ、ひときわ大きく総領事のサインがなされ、最後に騎馬兵の紋章のスタンプが黒々と押される。


リトアニア共和国のパスポート。それは、もはや現実の世界ではなんの効力もない。
まして、そのパスポートをもってバルト海のほとりの郷土を訪ねることなどできるはずもない。それを知りつつ、人々は幻の祖国リトアニアのパスポートを求め続け、そして老人はこの40年間、ただの紙切れにしかすぎないパスポートを発行し続けてきた。そこに、たとえ新しい国籍を得、その国の市民となっていても、自らがリトアニア人であることの誇りと証を求め、失われた祖国との絆を求めようとする人々の意志を見る思いがした。


果たして祖国とは何か・・・・・・・・・・

www2.nhk.or.jp
NHK特集 21世紀は警告する
放送年度:1984年度
20世紀とはどのような時代であったかを総括し、このまま進むと21世紀までに何が起こるかを分析し、きたるべき時代への警告とするシリーズ。第1集は、「祖国喪失」。放送当時、地球上には1,500万人を超える難民、亡命者がいた。第2集は、「国家が“破産”するとき」。第3集は、「飢えか戦争か」へと続く。国家と個人の緊張関係を探った壮大なシリーズ。CGのホロン博士、吉田直哉が進行役として出演した。

2005年、まだウィキペディアもインスタグラムもない、だったかな。
この人物の、その後を知るすべもなかったので、そもそも1990年のリトアニアの再独立(独立回復)を、彼が生きて迎えられたかもわからなかった。…のだが執筆から19年目、この記事にコメントが寄せられたのだよ。
(これが、SNSのように流れずに滞留するブログのいいところかもしれない)

id:sissi

初めまして、偶然、こちらのブログに出会いました。
実は、私も同時期「21世紀は警告する」の祖国喪失を読み、彼のその後が気になっていました。
ネットのある時代になっても、カタカナ表記の彼の名前は、ヒットしませんでした。
けれど、2024 年7月、Facebookで、偶然、リトアニアの女性と知り合ったことから、彼のその後を知ることができました。
彼の名前は「Anicetas Simutis」です。
NHKの日本語表記は、かなりいい加減だったのですね。
彼は、冷戦終結後、国連大使になったようです。
ウィキペディアは、リトアニア語ですが、翻訳アプリで読むことができました。
少し、こちらにリンクを貼りますね。

https://lt.wikipedia.org/wiki/Anicetas_Simutis

https://www.vle.lt/straipsnis/anicetas-simutis/

SNSでは以下のようなやり取りをして……


その工夫とは、ウィキペディアの項目作りだった。
ja.wikipedia.org


あのクッソめんどくさいタグの形式や、どんなふうに人物伝の項目を立てるべきか、みたいなマナー講師(「ウィキペディアにふさわしくない」クリエイター)に怒られるようなところは全然考慮せずに、まずは掘っ立て小屋を建てた。
詳しい人、形式が美しくないと感じる人は自由に修正してくれ……


ともあれ、そういうことで
・昭和の時代に番組も、その後刊行された書籍も話題となったNHK「21世紀は警告する」というコンテンツがあった。
・そこに難民問題の象徴として取材され、出演した人物がいた。それは当時まだ独立を回復していなかったリトアニアの実質亡命政府のような形式で、象徴的な活動を米国でしていた「本国の無い総領事館」の総領事である。
・個人的に彼の「その後」が分からなかったが、今回情報が寄せられ、氏は生きて独立の回復を目の当たりにし、その復興政府から国連大使の任を与えられ活躍した……という。


そんなささやかな、「その後」の謎の解決を、当時の視聴者・読者…まだ覚えている人がどのくらいいるかは兎も角、ここにシェアし、記録しておきたい。


今、熱戦が展開されている2024年パリ五輪にも、リトアニアは当然、選手団を派遣し、世界を沸かせている。
www.jiji.com


(了)