INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

リトアニア勇者伝。彼らが「BUSHIDO」を名乗るに値する理由

この試合で、村浜武洋選手と対戦するのが、リトアニアレミギウス・モリカビェチス選手。

相手が一回り体格が小さく、レミーガが苦手とするグラウンドの選手ではないがゆえにたぶん有利だとは思う。豪快な勝ち方をすれば、すぐれたルックスともあいまって爆発的な人気を得ることが出来るかもしれない。
しかし、他との交流や情報の少ないリトアニアだから、寝技の知識は圧倒的に不足しており、異名の「小さなミルコ」は「小さなギルバート・アイブル」にしたほうがしっくり来そうな選手。
よほどツボに相手がはまり、かさにかかって勢いに乗らないかぎり、どんどん上位に上がっていくとは正直思えないのです。


しかし 、リトアニアの人々にはぜひ頑張って欲しいと思う。
ここでレミーガとは別の、あるリトアニアのサムライについてお話ししたい。


伝説的なNHKディレクター吉田直哉氏(司馬遼太郎山本七平らそうそうたる人々と協力して今なお残るドキュメンタリーを作った。著書多数)が作ったドキュメンタリーを本にまとめた本だ。初版は1984年。

子供の私が、リトアニアという「国」・・・・当時も「国」というべきだろうか・・・・について初めて知ったのは、20年以上前の、この話である。




「本国のない領事館」

ニューヨーク、セントラルパークの西、八二丁目の通りは、プラタナスの並木の美しい静かなアパート街であった。
個人と国家の緊張関係を問う私たちの取材の旅は、アメリカから始まった。もはやこの地球上に存在しない国、すでに消滅した国の領事館が、今でもニューヨークの片隅で活動を続けている、と聞いたからである。
(略)
私たちがたどり着いたのは、何の変哲もないアパートの5階、さびの浮き出たドアの前であった。そこには一国の代表部を誇示する看板はもとより、その部屋の主を示すプレートすらなかった。(略)
ためらいつつ、ブザーを押してみる。やがて姿を見せたのは、瀬の高い、厳しい目をした老人であった。

リトアニア領事館はここですか?」
老人はいぶかしげに私たちをながめ、短い沈黙のあと私たちをじっと見据えながら答えた。
「私が総領事のリムティスです」
老人の背後の壁の、長さ1メートルほどの鉄の盾が、私たちの目をとらえた。盾に描かれていたのは、槍をふりかざした忠誠の騎馬兵の姿、そして周囲に鮮やかに刻まれた文字「リトアニア共和国」−−。

そして老人は、祖国の苦難の歴史を語る。中世に栄えたかの国だが、その後ロシアの併合を受け、民族自決の風が吹いた第一次世界大戦後に独立を取り戻す。
しかしそれもつかの間、スターリンヒトラーという稀代の独裁者が結んだ握手によって、バルト三国ソ連に蹂躙され、併合された。



1940年6月15日、「祖国崩壊の日」。

リムティスさんの脳裏には、40年前の祖国崩壊の日の記憶が昨日の事のように刻まれている。

「私は、着任してまだ1年の事務官でした。その日、上司のもとに本国から訓電が届きました。ただちに領事館を閉鎖して全員帰国せよ、という命令です。上司の総領事は苦悶していました。その訓電が祖国リトアニアからのものでなく、占領した支配者からのものであることを知っていたからです。”祖国”が消えてしまったのです、祖国が・・・。みな、呆然としていました。
私たちは帰国命令を拒否しました。たとえ母国が占領されても、”リトアニア共和国”が存続することを同胞に示すためにも、この領事館は閉鎖してはならないと思ったからです」


「しかし今はもう本国のない領事館ですね・・・」


「ええ、でもリトアニアという国が地図から消えても、ここにその一部が残っているということは大事なことなのです」

若き一介の事務官であったリムティス氏は亡くなった前領事の後を受け、自分も含めて3人の「領事館」の二代目総領事となる。マンハッタンの中心部から安アパートに移転し、隣人の顔色を伺いながら細々と続ける業務・・・。

本国のない領事館を今日まで存続させてきたものはいったい何であったのか。老人の意地だけなのだろうか。その疑問を解く鍵は、領事館に大切に保存された40万枚を越すファイルであった。
それは、戦後世界各地に難民となって散ったリトアニア人が、唯一ニューヨークに残った祖国の政府機関である領事館に、接触を求めてきた記録であった。

(略)
その多くは、すでにアメリカなどさまざまな国の資格を得ている。彼らが領事館に求め続けていたもの、それは老人が発行する公文書、リトアニア共和国のパスポートであった。

老人は、2日前に届いたという1通の手紙を私たちに見せた。そこには出国後カナダでくらしていたこと、孫娘がうまれたこと、そして家族全員にパスポートを発給して欲しい旨が書かれていた。

そして老人は私たちの前で、彼らのためのパスポートを作成して見せた。遠い日々、国が存在していた頃とまったく同じ書式で、次々と必要事項が書き込まれていく。老人にとってもっとも厳粛なひとときだという。鮮やかな印紙が貼られ、ひときわ大きく総領事のサインがなされ、最後に騎馬兵の紋章のスタンプが黒々と押される。


リトアニア共和国のパスポート。それは、もはや現実の世界ではなんの効力もない。
まして、そのパスポートをもってバルト海のほとりの郷土を訪ねることなどできるはずもない。それを知りつつ、人々は幻の祖国リトアニアのパスポートを求め続け、そして老人はこの40年間、ただの紙切れにしかすぎないパスポートを発行し続けてきた。そこに、たとえ新しい国籍を得、その国の市民となっていても、自らがリトアニア人であることの誇りと証を求め、失われた祖国との絆を求めようとする人々の意志を見る思いがした。


果たして祖国とは何か・・・・・・・・・・


当時70歳であったリムティス”米国総領事”は今も存命されているか、いや1991年に再独立した祖国の土を踏めたかも疑わしい。
しかし、その有無に関わらず、彼の生涯と闘争(いや生涯自体がそのまま即闘争だった−−)は、単なるナショナリズムや冷戦構造を超えて”侍の生き方”であるという以外に何と呼びうるだろうか。彼に、何の効力もないパスポートを求め続けた海外のリトアニア人も含めて。




ま、自分で盛り上がって自分で水を差すのもナンだが(笑)、レミーガの国籍がリトアニアだからといって、あんまり直接の関係はないやな。しかし、彼を含めたリトアニアンが、強烈なまでに祖国を背負う意識を持っていることはよく聞く。
まだ経済的にも恵まれていなく、上に書いたように情報不足もあるリトアニア選手だが、今回、その底力を見せて”HERO(英雄)”になってほしい。

20年前、ニューヨークの安アパートでNHKのスタッフが遭遇した、もう一人のヒーローのように。


補足。この番組を今見るには?

たしか新聞で、各地方のNHK放送局がケーブル回線でつながるライブラリーを作り、多くのドキュメンタリー(ドラマとかと違って著作権処理が比較的簡単だからね)が閲覧可能になっているという記事を読んだことがある。
この「21世紀は警告する」はNHKの中でも歴代5本の指に入る評価を受けているはずで、これが見られないわけがないと思うんだが・・・後で、どうにかして確認してみようと思う