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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「コタツ記事」の是非に関する、私的な覚え書(ほぼ再紹介)

これへの返信の形で疑問を提示した


われながら、それぞれの論点が異なっていて、どれもなかなかに急所を突いていると思うが(自賛)、そもそもこの話、ずっと追っていてきのうきょう考えはじめたおあにいさんとは、おあにいさんのできがちがうんでぇ、ってやつです。


江川さんが批判の対象になると「リベラル」攻撃だ!と思う向きもごく一部であるが、そもそもコタツ記事の是非をリベラルだ非リベラルと結びつけるのも滑稽千万で、リベラルとは多分言い難いかもしれない百田尚樹氏に批判的な話を書いた流れでコタツ記事というのは役立つではないか、と論じたのってたった2か月前だしね。
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過去記事のリンクもそこで作っていた。それらを見れば足るし、典型的な例示もそこでしておいた。

根本の問題として
「ネット上でAが、〇〇という発言をした。それに対してXXXという反応があった」…これ自体が現代においては「事件」であり、「杉並区で住宅火災がり、1件全焼した」とか「大阪府吹田市で車2台の交通事故があり、2人が軽傷」、あるいは「国会で何某議員が、〇〇問題について質問した」というのと同様、とりあえずそれ自体に報道する価値がある、と考えるべきであろう、ということ。

それが既に「現場」なのだ・・・・・

「コタツ記事」というものは決して間違いではない、と思っている。
ネットの情報量はあまりにも膨大であり、誰かがどこかで何かを「書いた」ら、それですべての情報が完結しているわけではまったくない。「…というところに、…という話がかいてあったよ。これまでの経緯がこれこれであり、だから重要だよ」というのを、誰かが…あるいは自分自身で紹介しないと、その情報が埋もれるだけである。
タツの中からネットに接続し、モニターを眺めるのは2018年の「現場」であり、あさま山荘や内戦のユーゴスラビアに行くのと同じ…とはいわないが、それでもそこが現場であることは、善悪を超えて事実として正しい。

江川氏のためにひとつだけ弁ずるなら、たしかにどんなコタツ記事でも…たとえば江川氏がnoteやらtwitterに〇〇についてXXと書いた、という記事なら、そこで江川氏に取材して「あれを書いたのは〇〇〇だから」といった真意コメントを得たり、言われた方の「XXX」という反論を取材して載せたり、といったことでコタツ記事でない記事も書けるだろう、といえば言える。

だけれども、それも交通事故記事と同じでね。多くの周辺取材や当事者の談話を得た深い記事はそれはそれで立派だが、それで単純な事実を述べた記事が否定されるもんでもない。


ついでながら、2021年に共産党の政治家がツイートした内容を日刊スポーツが「コタツ記事」にして、共産党からの抗議を受けて同紙が取材が不十分だと謝罪、記事削除した話は、今から見れば政治勢力の圧力に報道が屈した」一件でしかない、と再評価されるべきかと思います。(その後も同様の取材型式に何の変化もなかったのだから。)
 
https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2021/04/02/011413
https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2021/04/07/083448



というテーマについて述べてた過去記事リンク集。

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おまけ

というツイートを受けて、弁護士ドットコムが出したこのコタツ記事って、高度な皮肉なのか、自己矛盾に気づかなかったのかどっちなんだろうね?

www.bengo4.com

タレーランがしかけた「陰険なユーモア」
弁護士ドットコム