以前も紹介したが、「ハコヅメ」105話にこういう話がある。comic-days.com
で、話は本来的には、いわゆる性自認の問題である「トランスジェンダー」ではなく、「異性装」の話である。
ただ、トランスジェンダーの問題にもまた戻ら
ざるを得ないかもしれないので、その時はご容赦を。
だが、話自体は簡単なんで…表題に描いた通りなのだけど
男性だが女装をしたい、女性だが男装をしたい、そういう人がいる。それはわかる。
だけど、よく考えたら男性服・女性服という区分は生物的な本能その他とかでも何でもなく、文化が作ったものであろう。世界中に男性服、女性服の区分がある所がほとんど、だとはいえ。
・だったら、そもそも社会のほうが「男性の服/女性の服という区分がある」という認識を変えて「服は服があるだけ、誰が何を着ようとかまわんだろ」となれば、…たとえば男性がスカートを履こうと、口紅を塗ろうと、あるいは女性が三つ揃えのスーツにネクタイを締めようと、別に女装・男装にならない、そんなことも可能なのだろうか?
・いや実際、そんな物語はすでにある
スカート穿く男子高校生描く、鳥野しの新刊「ボーイ☆スカート」
2015年6月8日 20:32 121 19
「オハナホロホロ」で知られる鳥野しのの新刊「ボーイ☆スカート」が、本日6月8日に発売された。
「ボーイ☆スカート」の主人公はスカートを穿く男子高校生・太一。「女装がしたいわけではない」という優等生な彼の不自由と恋が、ユーモラスに描かれる。巻末にはなぜスカート男子を描こうと思ったのかを鳥野が明かす、あとがきも収められている。
この作品読んだし持ってるんだけど、細部は忘れてしまった。現物はどこにあるのか…探さないと出てこない。
だが「同性愛者でも女装愛好でもない。男性だが単純にスカートを履こうと思ったんだ」という設定であったことは間違いないと記憶している。
ここだと20ページ読めるから、話がだいたい把握できるはずだ。
「はてな」ではそれでなんの問題も無い、何かある?むしろ望ましいことだ、という人が多いだろう。
(それがはてなという村の村風である。自分も古参村民になったので、そう言える)
たださー。
逆に言うとさ。
女装・男装ーー異性装を「したい」という人がいるわけでしょ。個人の自由な選択の結果として。
さらに、自分では変更不可能な属性として性自認が生物学的な性とことなり、その結果として服装も異性装になる人もいるわけでしょ。
もし、いわゆるジェンダーレスな服が一般化したら、
あるいは今のスカートやスーツなどはそのまま存在するけど、男性も女性も普通にそういう服をボーダレスに着用し、周囲のほうが「これは女性が着る服、男性が着る服」という認識がなくなったら、その時は、その欲求はどうなっていくのですかね?
これ、別の範囲にもつながっていて…子供の性別違和って、現在も実際に「男子なのにお人形遊びやおままごとが好きだった」が判断材料の一つだと聞く。もちろん医学的な区分がつくのだろうと思うけど「性別違和感、性自認が生物学的性と異なる結果としてお人形遊びが好きだった」というのと、「男子も女子も無く、単純に娯楽、エンターテイメントとして人形遊び、ままごとを楽しくエンジョイしてた」は違ってるのかね。区分できるのかね。
できるんだろうな。
さらにいうと、実は岸田文雄首相の異名として言われる「増税メガネ」から、この話って連想した部分もあるのよ。
増税メガネの「メガネ」は、近視や老眼などの視力低下に伴う医療的な補助具…つまり個人の自由意思では変更不可能な属性(それも障害)の呼び名であり、ポリコレ的によくない。たとえば「増税義足」というか?
という話も、なるほど理屈はみごとに筋が通ってる……のもわかるが、一方で「メガネは、あまりに一般化しすぎて、肉体的なハンディキャップを補助するための補助具という意識が社会的には極めて薄くなっている。そこでの『メガネ』には深い意味はない」という趣旨の主張もわかるんよ。
で、その話ってたとえば、男性の…、「いま現在は一般的に女性が着るとみなされている服を着用する」というのも広い部分ではつながる、というそんな連想が働くのでした。最初の話も、「自分で自分を縛って女物のワンピースを着ている男性というだけで職務質問をするのは不当だ」という話になるかもしれない。ならぬかもしれない。
これ時間をかけてもう少し考えて、文章を練ればもうちょっと話が深まるのだけど、ちょっとこれから一杯飲むので(笑)、時間が限られている中で思いつくまま書きました。