ゴング格闘技、最新号。平良達郎表紙のやつ
発売日の関係で超RIZIN2の結果とかは載っていないけど。
ここで細田昌志氏の、キックボクシングの戦後史を深堀する連載インタビューがある。
題名は「沢村忠に真空を飛ばせた男 外伝」
この本の補遺、という扱いだ。「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」にも同様の外伝インタビューがあったっけ。
で、この号で話を聞いているのは山本信太郎氏。肩書は…「ニューラテンクオーター」のオーナーだ。失礼ながらまだご健在なんだね(1935年生まれ。若くして世に出てたのか)
その人がなぜ登場するか、というと実はこのフロアでデモンストレーション風に行われたのが、ムエタイ・キックボクシングの日本の曙なんだそうだ。
ただ、見てみた山本氏は「ピンとこなかった」「こりゃ可能性ないな」と思ったらしいが。
そもそもかの新宿FACEという、新宿のビルの一角を使って修斗やスマックガールが大会を開いた、あそこの顧問的な仕事を最近前してたようです。というか「新宿FACEのうみの親」なんだそうな。冒頭から面白い
実は前々からお会いしたくて、ようやくお目にかかることが出来ました。
「随分と追っかけていただいたそうで、こんなに追いかけ回されたのは力道山の事件以来かもしれない(苦笑)」
いきなりその話から入るんですね。
「だって、あのときはウチの店が現場だったでしょう。だから、力道山に近い東声会の若い衆に、しばらく追いかけ回されたん ですよ。「山本信太郎を出せ」「山本は許さん」とか脅迫の電話がジャンジャン鳴るもんだから、ウチの電話交換手が参っちゃって、次々と辞めていったんだもの」
そんな歴史の証人である山本信太郎さんは「新宿FACE生みの親」と小耳に挟んだのですが本当ですか?
「まあ、そうなりますね。あそこのヒューマックスグループのオーナーだった林(瑞祥)さんとは長い付き合いで、今も「昭和 10年会」のメンバー。彼が慶応ボーイの頃からの遊び仲間なんです。その林さんが「リキッドルームが移転することになった。ここで何が出来るか考えてよ』って言うわけ。 そう言われて “だったらプロレスや格闘技 をやればいい”って…」
いい案だった。都心なら、数百人規模であってもイベントが成り立つ会場は貴重だった。
まあ、その話は別の話……ではなく、めちゃくちゃつながる。
ーところで、その新宿FACEも入居しているヒューマックスグループの林オーナーは台湾の方ですよね。
「そうです。瑞祥さんのお父さんは林以文さんといって、蒋介石の側近だった人。中国は日本との戦争が終わって、共産党と内戦が始まったでしょう。国民党が負けて台湾に逃げ込むんだけど、それでも蒋介石の身の上は安全とは言えなかった」
ーああ、毛沢東は台湾に攻め込むつもりでしたからね。
「そうです。そうなったら台湾からも逃げなきゃいけなくなる。となると、蒋介石の亡命先は地政学的に東京しかないでしょう。それで、東京に根を張っていた林以文さんは、国民党から莫大な資金を渡されて、新宿の一帯をざっと買い占めたんです。それもこれも、蒋介石の拠点を作るために」
―だから、歌舞伎町の風林会館の一帯が台湾タウンなんですね。
「そうです。その後、以文さんは「新宿ムーランルージュ』とかいって、コマ劇の向かいに劇場をこしらえたり、映画のビジネスを始めたりもするんだけど、そもそもは、蒋介石を迎え入れるためだもの」
そんな戦後秘史が新宿FACEにつながるなんて思いもしなかったです。
「面白いでしょう。戦後って本当にいろいろあるよね」
…いや、面白いけど、面白さの種類が格闘技雑誌と違うよ!!!
こんな秘史を知ってましたか。そもそも、どこまで真実なんですか。
世界線が変わっていたら「じゃあ新宿ついたら、台湾亡命政府政庁の、門の前で待ち合わせね!」とか、そんなこともあり得たんですよ。
こういう話がゴン格に載るのも偶然ではなく、戦後の格闘技は、大陸浪人的な右翼の大きくかかわった戦前武道と、進駐軍と結んだ興行師や、博打まがいのボクシング大会などと繋がっているから、そこからこういう「戦後の光と影」的な話に接続されるというのも、平仄は合うのであります。
(ジャンプの大人気連載「ドリトライ」や、はじめの一歩のジム会長の若い日を描くパートなど想起されたい)
manga-comic-netabare.com
最近、こういう話題が世間を騒がせた。
ただ、単純に軍事力の衝突というだけでなく、確かに台湾が中国大陸からの侵攻を受けたら、その行政機関や政府の中枢が、亡命政権を日本に設置する可能性、とかも視野に入るのは間違いない。そういう想定を、どこまで、どこの機関や民間がやっているのだろうか…