そういえば故・石原慎太郎氏の著作って、ほとんど読んでいない。ソニー盛田昭夫氏らとの共著「Noと言える日本」は当時のミリオンセラーだったから一応目を通したはずだが、ミサイルの電子技術がどうだの、へちまだのという話でいまや記憶にも残ってない。
文学はいわずもがな・・・・・・・
唯一面白かったのは、議員辞職―東京都知事選の間の潜伏期間に描いた自伝というか断片的回想記で、そこの「他人を描いたゴシップ」のあれこれは、悪口陰口めいていて一寸興味深かった。
そんな感じで、イマイチ石原慎太郎のライフヒストリーには詳しくないのだが(斎藤貴男、佐野真一らの評伝は読んでるのに!)、
ただ、石原慎太郎がかつてブームだった「キックボクシング」にコミッショナーという形で携わり、しかもただのお飾りではなく、日本のキック史に大きな影響を与えた重要人物らしい、という話を最近詳しく知ったので紹介する。
それは、この本…
この中では、石原の著作も引用されている。それを孫引きで紹介する。
……石原自身は次のように振り返っている。 《当時キックボクシングには二つのリーグがあっ て、私の方は4チャンネルと2チャンネル をキイ にしたリーグ、片や6チャンネルをキイにしたも のだった。そして向こうにはSTというフェイク によって仕立てられた無敵(?)のチャンピオン がいて大層な人気だった。(中略)テレビ会社としてはどうしても視聴率が気にな る。である時、テレビ会社から、さきに国際式から 引退したSSを第二のSTに仕立てて稼ぎたいのでどうか了承してほしいといってきた。
私はコミッショナーへの就任の折に一つだけ条 件をつけていて、何であろうと格闘技なのだから 選手たちのためにも八百長は一切しないと念を押していた。(中略)
そして私の友人の協会事務局長から裏で選手た ちにそんな経緯を密かに流させておいた》(『わが人生の時の人々』石原慎太郎著/文春文庫)
コミッショナー就任時のコメント。
「八百長は絶対許さないというのが大原則だ。スポーツは純粋な意外性を追求するもので、 プロットとかフィクションがあったら、それはスポーツではない。私はスポーツのコミッショナーに就任したのだ」
石原の発言は沢村忠に向けられたことは明らかだった。
野口プロに、沢村の貸し出しを拒まれた協同プロと岡村プロは、石原太郎の地位と名声を利用して、沢村批判を繰り返すことで 反撃の狼煙としたのである。
この時期には関係者だけではなく、一部の小学生も(※フェイクに)気付き始めていた
話がややこしいようで単純に見えてやっぱりややこしいのだが、要はこういうこと・・・・・・・らしい
・沢村忠をエースに据えて、野口修が始めた新格闘技「キックボクシング」はたちまち大人気を博し、それを見た日本テレビと金平は、ボクシングから転向した西条正三(文中の「SS」)をエースに、対抗団体を作る。
・その時、権威付けに国会議員になっていた石原慎太郎をコミッショナーとしてかつぎだす。
・この時期のキックボクシングは、ぶっちゃけ沢村忠が週1回戦い、100以上の連続KO勝利をするような…まあ、今から見れば公然の秘密ともいえるフェイク性があった。
※こちら参照ブクマ経由の新情報
石原慎太郎氏は「キックボクシング」史の、ある意味重要人物らしい。沢村忠のフェイク批判・追及とか…。 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-b.hatena.ne.jp
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つい最近どっかで見たなぁこの話…と思ったらNumberだった( <a href="https://number.bunshun.jp/articles/-/851822?page=1" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://number.bunshun.jp/articles/-/851822?page=1</a> )
2022/02/02 16:50当たってもいないパンチで「見事にKO」される片八百長も…沢村忠からシバターまで、格闘技の“リアルとフェイク”の狭間に迫る
number.bunshun.jp
・だが石原は、知ってか知らずか(いや知ってたんだろうね)「八百長は許さない」「真剣勝負が前提」とか言い出し、暗に沢村忠(文中の「ST」!)はフェイクだともほのめかす。
・その結果…かどうかしらんが、西条も真剣勝負をせざるを得なくなり、”ホンモノ”である藤原敏男と対戦して敗れる。作られたスターで商売するという路線は行き詰まり、別団体の沢村忠も突然に引退。
・キックボクシングは長く低迷する一方で、毎週のテレビ番組でスターが勝利する必要も無くなり、地味ながら普通のスポーツとなった…、という話。
このへんは、リアルタイムで沢村忠や黎明期のキックボクシングを見た世代では、常識のようなものらしい。石原慎太郎は、普通にキックの世界の登場人物だった。
だが、自分は世代を離れていて、そしたら即座に実感がゼロ。後から、後付けで知ったようなものだ。
まあ実際、ワイドショーなどであれだけ訃報が取り上げられても(その描き方は、追悼だから、とはいえ批判性や批評性がコメンテーターからも少なく、正直へきえきさせられる)「キックボクシングのコミッショナーだった」なんてことを紹介するメディアもない。
うーん、まあ、そりゃ順当かもだけどさ(笑)
著者の細田氏が、訃報に際して関連ツイートをひとつしていた。
拙著『沢村忠に真空を飛ばせた男』にも石原慎太郎は登場する。最初は三迫仁志との「大学生芥川賞作家.日本王者対談」
— 細田昌志『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』第43回本田靖春賞・3刷重版 (@kotodamasashi) February 1, 2022
次は協同企画に担がれて全日本キック協会のコミッショナーになる箇所。
ただ、原稿からは落としたけども、初監督作品『若い獣』のロケ場所が目黒の野口拳闘クラブという縁もあり。 pic.twitter.com/Ol80WOb4Mt
ちなみに昭和のキックボクシング(とボクシング)は、それを創始したプロモーターの人脈関係で、元から国粋主義団体(という美化用語があるが、要は右翼団体だ)とのかかわりが深かったようだ。
石原慎太郎は、まだまだどっぷりとしがらみのあった芸能界の関係のほうか、それともこういう格闘技スポーツ界の関係なのか、そういう点で右翼諸派と実に怪しげな関係を保ち続けていた。
これはひとつの、非常に脆い(と認める)仮説なんだが、
「本人の思想がもともと右翼的なので右翼諸派と人脈でつながった」
より以上に
「芸能・スポーツの流れで右翼諸派と人脈が繋がり、その流れで右翼的スローガンを掲げた」
可能性も、いくつかの軌跡を見る限りではあるのかもしれない?と。
もともと若いころは無頼的な個人主義もあり、たとえば皇室に関しても個人主義的な反感を表明するなどしていた石原がその後の政治路線で右翼タカ派的になったのは、案外ニワトリと卵どっちが先かわからないなあ、という気もするのであります。
もしそうであったら、そっちのほうがいい加減で失笑に値する、ともいえるし。
このへんは、彼が亡くなった以上、今後の政治史研究で、むしろ今以上に解明されていくのではないか。
そもそも彼が初出馬した時「あいつが『自民党から出るなんて!』」的な衝撃が走ったりしたんですよ。
石原慎太郎が、ベ平連代表の候補者だったこと、皆さまご存知ですか。
— Kamiya Mitsunobu, Ph.D. (@okapi0408) February 1, 2022
7日「若い日本の会」石原慎太郎は1958年大江健三郎や江藤淳らと「若い日本の会」結成。60年に安保反対を表明するなどして、それまで盟友だった大江と江藤が思想的に深刻に対立するきっかけともなった集まりですが、石原氏の奇妙なネーミングセンスの根っこはここ(命名者は不明ですが)?
— 佐藤 貝 (@satoukai) April 7, 2010
1958年に結成された若手文化人による「若い日本の会」という反自民党の社会運動団体があるが、このメンバーが大江健三郎、谷川俊太郎、石原慎太郎、黛俊郎、永六輔、寺山修司、江藤淳、開高健、浅利慶太、羽仁進などで、その後見事に右翼と左翼に別れているな。
— 竹熊健太郎《地球人》 (@kentaro666) August 19, 2018
※どっち側に行っても、この時の面子って「政治が大好き」であり続けたよなあ、と感心する。
石原が「日本では共和制はあり得ないですか?」と聞いて三島に「●すぞ、今日は刀持ってきてる」と返される対談が全文貼ってあるブログ見つけた。 https://t.co/YetFvWv32i
— ou bon (@oubonnn) February 1, 2022
最後に守るものは何だろうというと、三種の神器(ジンギ)しかなくなっちゃうんだ。
石原 三種の神器って何ですか。
三島 宮中三殿だよ。
石原 またそんなことを言う
三島 またそんなことを言うなんていうんじゃないんだよ。
なぜかというと、君、いま日本はナショナリズムがどんどん浸食されていて、
いまのままでいくとナショナリズムの九割ぐらいまで左翼に取られてしまうよ。
石原 そんなもの取られたっていいんです。
三種の神器にいくまでに、三島由紀夫も消去されちうもの。
もひとつ余談。夢枕獏的な、当事者目線で単純な単語を羅列する格闘シーンの小説描写は、石原が影響を与えたのではないか?
いま、手元に資料が無いんだが、覚えてる。佐野眞一の石原評伝「てっぺん野郎」で引用されてた石原氏のボクシング小説が、夢枕獏っぽいんだよ。
・闘う当事者の、一人称的なモノローグっぽい文章。
・格闘中だから、むやみに長いことを考えてはいられない。即物的な「殴った!」「いてえ!」「俺は!!」みたいなことが脈絡なく、断片的に羅列される。
・・・・・・・という描写が引用されていて「あっ、これ夢枕獏?餓狼伝??」と思ったことであったよ。
ただ、ハードボイルド小説の歴史や文体に疎いので、こういう手法はもっとありふれたものかもしんね。
この部分は、まず該当資料「てっぺん野郎」を探した上で判断しよう。