日本ではそれなり、海外では人気作品として知られる「ヴィンランド・サガ」、アニメの3期目はあるのでしょうか。
で、2期目の最後を飾った「ケティル農場の戦い」は、国家の財政強化を狙ったクヌートが、意図的にケティルの息子に罪をかぶせて、その罰という形で農場の接収を狙ったのですが、最終的な、正式な刑は「平和喪失刑」でした。デデン。
その前にアンケート…可能ならお答えください
https://t.co/LjAb6WLReQ
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) July 1, 2023
に関連しての質問。
「平和喪失(の刑)」という言葉を聞いたことがありますか?
中世における「追放」、「ヴィンランド・サガ」の中にも「平和喪失刑」ってのが出てきたが、「法の支配かからの追放」すなわち「人権全てが奪われ」た上で「法の支配領域からの追放」なわけで、要はもう「人間扱いされない」という最も過酷な罪なわけだな。
— SOW@ (@sow_LIBRA11) May 25, 2022
#VINLAND_SAGA この回でデンマーク兵士がケティル農場に対して言った「平和喪失」とは、犯罪に科す刑罰。宣告された者は特定地域内において、命や財産を保護する法律が執行される。事実上の国外退去命令。ケティル一族は10年間の平和喪失処分を命じられたが、ケティルはそれを拒否し全面対決に
— 宮野@天狼 Sirius the Jaegerはいいぞ (@hikari8787) May 15, 2023
平和喪失とは。法律でもう守ってあげないよ、ということでございます #ヴィンランドサガ #VINLAND_SAGA pic.twitter.com/Eb8qGHQkzv
— ガタリ (@gatariblue) May 15, 2023
わーいみんな見てるー?アイスランドサガ名物の平和喪失刑(追放刑)だよー pic.twitter.com/0GXo3bMjBi
— ゆきま_創作本通販中 (@Ch_yukima) 2023年3月11日
さて、この言葉、皆さんご存じですか。
自分がこの言葉を知ったのは…2018年だと思ったら、それより「数年前」と自分で書いてた(笑)。そっちは思い出せないけど、強く再認識したのは、このまとめを作った時で間違いない。
誤読は恐ろしい。昔聞いた、「・・・史料には『私は鳥のように自由だ』とあって、民衆に解放の喜びが」「ちょっと待って、”Vogelfrei”ってあったの? それは”法的保護を離れた”つまり”心細い”ってくらいの意味ですよ!」で学会報告の中心テーゼが一瞬で崩壊・・・というのが忘れられない。
— 『ナチスと鉄道』(NHK出版新書)/『ふたつのドイツ国鉄』/『鉄道のドイツ史』も発売中です (@MIZUTORIAB) March 29, 2018
意外なことに、この言葉そのものでもウィキペディアは無く「帝国アハト刑」という項目へ飛ぶ。
ja.wikipedia.org
帝国アハト刑(ていこくアハトけい、ドイツ語: Reichsacht、ライヒスアハト)とは、神聖ローマ帝国内で行われた法益剥奪刑。帝国平和喪失刑とも称され、神聖ローマ帝国皇帝や帝国議会などがこれを決定した。ächten(無法者・無法者になる)とも。概要
ゲルマン古法のアハトに由来する。アハトは絶対的平和喪失、フェーデは相対的平和喪失とみられた。帝国アハト刑に処せられた者は、帝国内における全ての法的権利や財産を剥奪される。受刑者は基本的に死人とみなされ、誰との交流もできず、援助もされない。恩赦によってのみ救済され得る過酷な刑罰であった。
神聖ローマ帝国内の領主はたびたびこの刑を受けた。対象となった領主の領邦は周囲の領邦から征服されることになったばかりではなく、その領民もその保有する債権を破棄される好機として利用されることがあった[1]。マルティン・ルターもこの刑を受けたことで有名である
ja.wikipedia.org
プロスクリプティオ(羅: proscriptio)とは、共和政ローマで実施された特定の人物を国家の敵として法の保護の対象外に置く措置。コルネリウス法によって定められ、リストに登録された者の生命・財産を奪っても罪に問われなかった[1]。
歴史上の執行例
共和政時代
プロスクリプティオは少なくとも2回行われたことが記録されている。ルキウス・コルネリウス・スッラが終身独裁官に就任した時で、自身に反対する元老院議員やエクィテスなど300名以上の名前を公示、9000名近くが殺害されたとされる。
第二回三頭政治の時期で、プロスクリプティオによってマルクス・トゥッリウス・キケロらが殺害された。
過去にいくつか関連したtogetterまとめもできていた。
togetter.com
togetter.com
自分が、この「平和喪失」刑に興味を持つのは、権力が人間性へある意味で「信頼」をしているからこういう刑がある…と思われるところ。
つまりさ、もしその受刑者の周りがみんないい人なら「平和喪失刑?そりゃあご災難でしたね。まあそれに関係なく、今後もおつきあいのほどを」とみんなニコニコ、あれこれ面倒、味噌醤油、助けられたり助けたり……となれば、これは刑罰の意味はなく、そのまま「平和」が続くんですよ。
そうじゃなくて、平和喪失刑を宣言されたら、とたんに回りの皆さんが鎌や鍬をそれぞれ手にしてその受刑者の家を襲撃、家財道具から農地まですべて略奪、本人の身体は五体バラバラか奴隷市場で競売……別の意味でみんな「ニコニコ」なんですよ(笑)まさにヒャッハー。
そして一方で逆に、まさにこれは「力」次第なわけで「ふっ、平和喪失刑だと?もともと俺には国家の保護など不要!この腕一本、剣一本ですべて守ってみせるわ!」は可能だし、実際にヴィンランドサガのケティルも王の直属軍という最強集団と事を構えたから敗北したが、辺境でなら、実力でその地域に君臨し続けてもおかしくはないんだよね。
で、こんなのは入れ墨刑、鼻そぎ刑、磔獄門……のように、近代国家ではあり得ないといってよさそうな刑なので、だから逆に「(異世界)ファンタジー」とかに持ち込むとそれっぽい。(逆に、現代社会に敢えてこれが存在したら?というSF的設定もあり得る。「自殺島」「無法島」のイメージですね)
younganimal.com
younganimal.com
だから、「平和喪失刑」という言葉、概念を、みなに広めたい…「ポケモン」ぐらいにといいたいとこだが、まぁたとえば「魔法陣」とか「神前決闘」とか「タイムパトロール」とか……現実には目にしなくても、それぐらい有名な用語・概念に近いものにしたい、そんな壮大な夢があるのです。
既に視野に入れている人もいる。
ファンタジー世界観今考えてるけどひとつだけ重視したいなって思うのがあって。
— オクビニ (@Okubini) June 29, 2022
「何かしらの共同体の庇護に入れないと死ぬ」
これはきちんとやりたいなって。山賊するにしても単独じゃ魔物にモグモグされて終わりなのだ。だから山賊するにしても山賊団という共同体にいないと群れないと死ぬのだ
日本にも「平和喪失刑」はあった?中世の『公事持』とは?
ここで話は、日本に行く。週刊文春5月18号掲載の清水克行「室町ワンダーランド」52回「甲賀のお尋ね者」。
現在、コラムの著者は1570年の甲賀の一揆集の掟を研究しているらしい。甲賀とは、中世的な色彩を色濃く残しており、それゆえに忍者が生まれる余地があった、という複雑な地域だけど、その掟書にはこんな話があるそうな。
平和喪失刑に実質的になりえる日本風のアウトロー、それは「公事持」と呼ばれる。
はいこれも覚えて持ち帰ってください。
…僕らが読んでいる甲賀の掟書には、こんな条文が見える。
一、どんな公事持でも、仲間から追放されたり、親類から絶交された人物は支援してはならない。宿を提供することもあってはならない(第二十六条)。
お尋ね者である公事持は、他所で問題を起こした人物であるから、確認次第、すぐに捕縛して元の土地に引き渡さねばならなかった。もしヘタに保護を加えたりすると、他所とのトラブルにもなりかねなかったので、それを保護することは堅く禁じられていた。
しかし、意外なことに甲賀の土豪たちにとっての頭痛の種は、お尋者が内を徘徊することよりもここぞとばかり彼らを討ち取ろうとする荒くれ者たちによる、次のような問題行動だった。
一、当地へ公事が出入りしたのを、その敵方が他所から付け狙うことがあれば、我々は聞きつけ次第に駆け付けて、敵方の復響を実行させないようにすること(第二十三条)。
公事持に恨みのある被害者や、その関係者は、決して大人しく泣き寝入りはしなかった。彼らは自ら進んで公事持を追い駆けて、そこが他領であろうと、どこであろうと、構わず復讐を遂げようとしていたのだ。だから甲賀の土豪たちにしてみれば、よそ者によって自分たちの領内で勝手な敵討ちがなされてしまうのが、いちばん迷惑な話であり、なにより阻止したいことだった。
さて、ここでちょっとおもしろくも意外なことになってくる。
その領域の権力は、どこかほかのところから平和喪失を認定された相手だからって「あ、そーかい、じゃあ自由に狩って、焼くなり煮るなり好きにしてくれそいつは」とはいかない。
そんな連中がヒャッハーするのも困るが、そいつを対象に自分の領民が「ヒャッハーする」のも、秩序を乱す混乱の元なのだ。
一、公事持を護送するときに、我々は討手として襲撃してはならない。もし納得せずに討手として駆け付ける人物は敵と同様にみなす(第二十五条)。
土豪たちによって捕縛された公事持は責任をもって元の土地に送り返される必要があったが、呆れたことに、この領内の者たちのなかには、護送中の公事持を勝手に襲って討ち取ろうとする者たちがいたようなのだ。たとえ相手がお尋ね者"の公事であったとしても、そんなことをする連中は「敵と同様にみなす」。その強い調子からも、領内の腕自慢荒くれ者による勝手な公事持の討ち取りが、一揆にとって由々しき問題であったことがうかがえる。どうして彼らは、そんな荒っぽい行動に出るのだろうか。
(略)
当時、公事持は誰が彼らを討ち殺しても罪に問われない特殊な存在とみなされていたことが大きい。ひとたび公事持に認定されれば、もう彼らの生命・財産は誰でも自由に奪い取り放題だった。法(LAW)の保護の外(OUT)に置かれた存在、まさに彼らはアウトローな存在なのであった。
そのために、懸賞金目的であったり、被害者にかわり復讐を買って出たり、といった事情から、腕自慢の者たちは、たとえ自身がトラブルに無関係であったとしても、隙あらば公事持を襲撃して血祭りにあげようとしていたのだ。同じく戦国時代に横行していた「落ち武者狩り」も、そのこと自体は罪に問われなかった。それも合戦で敗れた落ち武者をアウトローとみなす意識があったためである。まだ国家の司法警察権が未熟だった時代、犯罪者や政治的没落者の抹殺は公権力による刑罰ではなく、個々人の私刑(リンチ)に委ねられていたのだ。
だから、お尋ね者があちこちを徘徊する社会の真の恐ろしさは、お尋ね者自身にあるというより、いつでも彼らを討ち取ろうと虎視眈々と身構える人々の側にあったと言えるかも知れない。そんな殺戮に歯止めをかけようと、一揆の掟では公事持に対する勝手な襲撃を禁じていたのだ。
東と西、時代も500年ほど違う。しかし、またそこから300年ほど経過したアメリカ西部も含めて、法と暴力、正義と刑などでは驚くような一致点がみつかるものです。
こういう点からも「平和喪失」という概念には注目していいのではないでしょうか。(了)