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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「〇〇(同地での選挙で選出された公職者)をありがたがるXX(その地域全体)は終わってる」という表現について


「千葉県は終わっている」と、 渡辺輝人弁護士 https://twitter.com/nabeteru1Q78/status/1598692192436256769 より

あんなやつ、は当然直前のツイートが関係してくるのだろうな。

twitter.com


自分が評価してない人間が、その地の選挙で選ばれていることを理由に「特定の地名」のような属性全体を、「終わっている」と言っても、許されるのかあ。
「自分は以前その属性(今は違う)」は、何も関係ないというか、逆に言えばヘイト性を高めるのでは…。


玉城デニーをありがたがる沖縄県、終わってるよ」
「維新の政治家…松井や吉村をありがたがる大阪、終わってるよ」
…系の言説はけっこうネット上に目立つものですが、憂えるべきものだと思う。


木村幹氏が以前から警鐘を鳴らしていた。

togetter.com

www.newsweekjapan.jp




大阪の「民度」を問う声も
筆者は日本政治の専門家ではなく、故にその詳細な原因について論じる立場にはない。しかしながら、ここで取り上げたいのは、この躍進の中心となったのが、元来、日本維新の会が基盤とする大阪においてであり、SNSを中心とするインターネットの各所で、この大阪の状況を揶揄する声が、強く上がっていることである。曰く、新型コロナ禍において多くの死者を出したにもかかわらず、府政与党の維新の会が勢力を伸ばしたのは非合理であり、それは大阪の有権者の未熟さを示すものではないか。そしてそこから甚だしくは「民度」という差別的な言辞を用いて、大阪の有権者を嘲笑し、ののしる言葉すら溢れている。つまり、「お笑い百万人」「吉本の土地」である大阪の人々は、まともに政治を考える能力を持たないのだ、と。そこに予想外の惨敗を喫した、「リベラル」な人々の焦燥感の表れを見ることは難しくない。

とはいえ、実は世界の多くの国を見れば、一国内のある地域において、特定のイデオロギー的傾向を持った政党が大きな勢力を持つのは、それほど珍しいことではない。例えば、イギリスのスコットランドはある時期まで労働党の支持基盤だったし、アメリカでも、多くの州は赤と青、つまり、共和党が強い地域と、民主党が強い地域のどちらかに色分けされている。
(略)
重要なのは、政治的対立を安易に地域的文脈へと読み替え、そこに自らの地域的偏見を交えることが、如何に地域の間での不信感を生み、不毛な対立構造を作り出すか、に他ならない。即ち、政治的理由から行われる一定の地域の人々に対する、地域的偏見をも利用したレッテル貼りは、逆にそのレッテル貼りに晒された人々の強い反発をもたらし、彼らの間に攻撃者に対する強い憎悪を持たせることになる。そして、彼らはやがて攻撃される自らにアイデンティティを見出し、そして攻撃者とは異なるイデオロギーを以て自らを武装する。つまり、それは自らの敵をわざわざ作り出す行為でしかない。

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そもそも人々が自らの政治的立場を決め、その選択を行うに至るまでには、必ずそれなりの理由があり、考え方がある。だからこそ重要なのは、彼らが何故にその選択を行ったかを冷静に考察し、その選択をまずは尊重することでなければならない。にも拘わらず、その当たり前の作業を行わず、自らとイデオロギーを同じくしない他者に、感情のままに汚い言葉をぶつけるなら、その行為は民主化運動を行う人々に対して、地域主義と弾圧をもってした挙句、彼らを自らの対抗勢力へと育て上げたかつての韓国の軍事政権と、大きく異なることはない。重要なのは社会にイデオロギー的分断をもたらもたらすことではなく、冷静に分析し、互いが議論できる環境を作り上げること…(後略)