鹿児島県・奄美大島沖で起きた北朝鮮工作船の銃撃・沈没事件から22日で20年になるのに合わせ、海上保安協会は20日、関連資料などをデジタル映像で展示するオンラインミュージアムを開設すると発表した。22日から公開。
協会によると、海上保安資料館横浜館に展示されている工作船や搭載されていた武器の写真が閲覧できるほか、事件時の海上保安庁の対応状況などをまとめた動画を見ることができる。
事件は2001年12月22日に発生…(後略)
検索しても出てこないなーと思ったら、文中にあるように「22日から」公開。ご注意
昨年、銃撃を行った巡視艇側も引退したという。
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……僚船と合流し、不審船を視界に捉えたのは昼過ぎ。漁船風だが、漁具は見当たらなかった。煙突があるのに赤外線カメラは熱源を感知しなかった。停船命令に従わない不審船に、僚船が警告した上で、まず上空、海面に威嚇射撃をした。それでも停船の気配がなく、1953年に旧ソ連の船に実施して以来となる船体射撃に踏み切った。
発砲したのは巡視船「いなさ」と「みずき」だ。被弾した不審船から火の手が上がると、落ち着いて消火に当たる乗組員の姿が見えた。田中氏は「練度が高く、漁船ではないと確信した」と振り返る。
強行接舷を試みると、自動小銃や機関銃で攻撃を受けた。甲板に「パンパンパン」と乾いた音が響き、機銃の台座に身を隠すと、上空で不審船からのえい光弾が光った。「恐怖はなかった」と語る田中氏だが、僚船の3人が負傷した。
巡視船も応戦し、数分後、不審船は自爆して沈没した。翌年9月、沈んだ船を引き揚げると、ロケットランチャー、地対空ミサイルなどの武器が回収された。見立て通りに工作船だった。
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自分はこの船が、東京お台場の「船の科学館」で展示されているのを見たことがある。
2002年、海上保安庁は、58億円の国費を投入し、中国の排他的水域内の海域から同船を引き揚げた。引き揚げられた船は、鹿児島に運ばれ第十管区海上保安本部により詳細な調査が行われ、その結果、船内からは、多量な武器と通信機類などが見つかり、重武装した北朝鮮の工作船の実態が明らかになった。また、この船は、1998年に発生した覚醒剤密輸事件において輸送船の役割をしていた「第十二松神丸」と同じ船であることが判明している。「長漁3705」から回収した日本製の携帯電話の通信記録からは、この船の乗組員が日本の広域暴力団と連絡をとっていたこともわかっている。
日本財団は、日本を取り巻く海の現状を多くの国民に理解してもらいたいとの願いから海底から引き揚げられた北朝鮮工作船の一般公開を海上保安庁に対し提案した。その結果、2003年5月、捜査を終了した工作船は、証拠品から解除され、海上保安庁の外郭団体である財団法人海上保安協会へ引き渡され、日本財団の企画により、船の科学館にて一般公開する運びとなった。
この工作船の輸送と一般展示には予想以上の困難が待ち受けていた。
(略)
…一般公開が始まる2日前、私の勤める日本財団の曽野綾子会長から工作船にゆりの花を供えたいとの依頼があった。花の傍には、「2001年12月22日、九州南西海域で沈んだ朝鮮民主主義共和国の若者たちに捧げる。日本財団会長 曽野綾子」との文が日本語、英語、ハングル文字で添えられている。
北朝鮮工作員のうち遺体が回収された8人は、今、鹿児島市の無縁墓地に葬られている。
現在は、こんな公式サイトからして小規模…というか無いに等しい場に展示されている同船。
海上保安資料館横浜館-Japan Coast Guard Museum YOKOHAMA-
事件のあった日=工作員たちの命日には、いま、だれかが花を飾ってくれているだろうか。
https://www.kaiho.mlit.go.jp/03kanku//kouhou/jcgm_yokohama/panhu3.pdf