ビッグコミックの「昭和天皇物語」はいま五・一五事件を描いている。
で、上で描かれた有名な
「話せばわかる」
「問答無用!」のやり取り前だが、
引用ツイートの画像のように「そもそも刺客(三上卓)はいきなり犬養毅を銃撃したが、弾切れ不発だった」らしい。
『昭和天皇物語』、犬養毅暗殺回。1932年にPPK/Sとはずいぶんハイカラな銃使ってるじゃないか。PPKならギリいけるかな? pic.twitter.com/wJDtFwaQwa
— やらか堂(モデルナミュータント) (@yarakado) October 5, 2021
このへんの話が、小山俊樹氏@tkoyama3の新書にも書かれている。
ロンドン海軍軍縮条約をきっかけに、政党政治を憂えた海軍青年将校、民間右翼らが起こした五・一五事件。首相暗殺、内大臣邸・警視庁を襲撃、変電所爆破による「帝都暗黒化」も目論んだ。本書は、大川周明、北一輝、橘孝三郎、井上日召ら国家主義者と結合した青年将校らが、天皇親政の「昭和維新」を唱え、兇行に走った軌跡を描く。事件後、政党内閣は崩壊し軍部が台頭。実行犯の減刑嘆願に国民は熱狂する。昭和戦前の最大の分岐点。
実際5.15事件って226事件より規模が小さいゆえに、余り語られないし、こういう研究書も少ないけど、それもさもあろうというほど事件自体がすっごいグダグダで、むしろ1周回ってそのぐだぐだっぷりが興味を惹かれる。
もし彼らが成功して「維新体制」とか成立しても、絶対に日本は戦争勝てる国になれねえな、と確信できる(笑)
本職の手榴弾の扱いすらどヘタクソで、テンパってやり方間違えるから不発しまくりだし…少なくとも、クーデターを実務面から見たらとても勲章は挙げられないようなポンコツ将校たちでした
515ぐだぐだ話
・官邸襲撃の足はタクシー運転手。脅かして、肩口を拳銃で殴りつけては言うことを聞かせて、首相官邸の表門を突破させた。
・だがその前、首相官邸がどの建物か調べてないのでだいぶ戸惑った。
・実行犯の三上の拳銃がどこかにあるかわからず、他人の拳銃を借りる
・そのとき「壊れてるから一発しか出ない」と言われたの忘れ、うっかり護衛の巡査を撃つ→弾切れ
・襲撃後、「最後は警視庁に行こう。この事態で集まっている警察の精鋭と戦って死のう」→伝わってないので「敵」がいない→しょうがない、日銀で手榴弾でも爆発させるか→成功したが、その後やることが無くなった。
よくまがりなりにも、首相暗殺に成功したな…
そして、このタクシー運転手が気になる。あまりにも突然に「歴史の登場人物」になってしまったこの方、その後はどんな生涯を送られたのだろうか…事件後は調書なんかも取られているかと思うけど、どこのどんな人なんだろうね。
・別動隊の牧田内相襲撃団のほうは、意思疎通不十分でリーダーは「牧野がいる共いないともいえない」「威嚇に留める」とか突然言い出し、仲間は「国賊牧田を殺さず何の決起か」と???状態。リーダーはその後「内通」が疑われるレベルでの失敗だった。
牧田襲撃団のリ―ダー・古賀はその後この失敗に関して泣き言をいう。
「いるかいないかわからないのは犬養も同じだったが、「在宅かどうか自信が無い」と伝えてなかったので、あっちは確信をもって徹底的に探した結果、幸運にも犬養を見つけたのだ」
「私の身になって考えてほしい。期間は2カ月、厳しい航空隊の訓練の合間、自由な土日だけ使って同志と連絡し、武器と資金を調達し、偵察と計画改定を…」
いや分かるけど、そんな言い訳するテロリスト見たことねえよ(笑)
ただ!五・一五事件の一番の重要部分はぐだぐだテロの実行部分にはない。
捕まった青年将校たちの「至純」を絶賛し、減刑を求める「世論」が沸騰したことだ。
同時代人の山本七平(ベンダサン)が、異様な光景としてそれを記したこともある。
togetter.com
戦前の日本では、天皇への反逆は極刑であった筈です。
反逆罪で起訴されるという事が、即座に死刑を意味した筈です。
その上彼らは史上で最も卑劣な行動をとったのですから、日本文化が「恥の文化」なら、このような恥ずべき行ないをした反逆者に情状酌量の余地などある筈はありませんし、(続たとえ軍の上層部が彼らの刑を軽減しようとしても、世論がこれに承服する筈はない、たとえだれが何かをして彼らを助けたとしても、少なくとも社会は彼らを受け入れる筈はない――と考えるのがわれわれの常識でしょう。
ところがそうではありませんでした。
彼らの受けた判決は、一見重いようでしたが、実質的な服役では、その罪状から考えれば無罪に等しいといってよいでしょう。また社会も、彼らを糾弾するように見えながら、実をいうと、彼らが裁判をうけている最中に、何と35万通もの減刑嘆願書が裁判長の手元に送られて来ているのです。
これは日本裁判史上最高の数の減刑嘆願書ではないかと思います。
従って戦後一部の日本人が常に主張するように、当時は軍部が横暴で、他の日本人は言いたいことも言えなかったのだ、とはいえません。
嘆願書を送る義務はだれにもないはずですから。
テロの目的が権力掌握でも要人暗殺でもなく「社会を変える」ことなら、ぐだぐだ515事件はこの上もない大成功かもしれないのだ。
なにしろ、犬養一人ではなくアジアで当時唯一の「政党政治」を葬り去ったのだから。
著者はこう問う。
それにしても、なぜそうなったのか。言葉を補えば、そもそもなぜ、政党政治はこの五・一五事件で終わりを迎えたのだろうか。犬養首相が死んだからといえば簡単な話となるが、それは十分な回答ではない。戦前に政党内閣を率いた原敬も、浜口雄幸もテロで遭難したが、政党政治はその後も続いた。「テロが起きた」という現象は、重要なきっかけではあるが、決定的な理由ではない
そして、その謎を探る手段として3人に注目する。西園寺公望、木戸幸一、森恪。森という人はしらなかったが、木戸や西園寺については意外でした。
で、裁判。
天の配剤に任せて何も弁明せず、といった議論もあったが、結局は法廷で維新の大義を訴える戦術に転換。
首謀者三上卓は、自分の視点で見た犬養暗殺を語る。
「話せばわかる」問答は
「苟も一国の首相が死に際して言い残す何事かを聞くのは武士道の情」としつつ
「首相個人に対する怨みは毛頭ない。私には当時の気持ちは悲壮の感があった。首相の態度は立派だが、我々は首相をにくまず、革命運動の犠牲者として撃つ積りである」
「首相が何事か語り出さんとするのを聞いたら、私は首相に『総ては天命である。我々は首相一個人を撃つのではない、安んじて眠れ』といってやりたかったのです。」
「首相個人に対する人間としての哀悼の念を禁じ得ない。と共に、首相の尊い死を転機として、これまでの邪悪に満ちた日本の政治が、我々の念願する天皇親政へ、又昭和維新への首途たらしめんと心中祈って止まなかった次第であります」
あー……どの面下げて、の言葉だな、と思う一方「間違いなく、日本人のある一面…、その琴線に触れる言い方ですわ、こりゃ」とも思いますわな。
笹川良一はともかく、「大菩薩峠」の中里介山も「一代の危急を救わんとする正大なる報国精神」などと擁護するしまつ。
さらには19歳の少女が、「五一五の方々を死なせたくない」と遺書を残して電車に飛び込んだという。
また自分は思うのだけど、
赤穂浪士や桜田門烈士を連想し、そこから逆算して「これだけ公然と武力反乱を行った連中は、赤穂浪士のような存在ではないか…いやむしろそうであってほしい」、そう日本社会は連想したのではないか。まだ娯楽も少なく赤穂浪士はそのエンタメのどまんなかにあった。
それが再現されてほしいという集合無意識……。
けっこう、これが大きいのではないかね。
この前NHK特番で「横綱・白鵬」の軌跡が描かれ、「日本人に愛されたかったがかなわなかった」という話をしていた。日本人は何を好み、何を嫌うか。五一五はその歪んだケース・スタディーになっているかとも思う。
小山俊樹氏の「五・一五事件」では事件後、それも太平洋戦争後の「それからの三上卓」も興味深い。
近衛首相にも接近し、東条とはその権力が「東条幕府」だとして対立し暗殺計画にも関与、憲兵にも見張られる。戦後は参院選挙にも出馬したそうだ。
「議会と政党を、30年来、骨の髄まで憎んできたわたくしが、いま、その憎しみを棄てて、自ら立候補する固い決心をしたのは、考えてみれば歴史の皮肉と言えましょう」
いやいやいや。
結果、落選して
「選挙終えし 後の怒りの しづまらぬ」という正直な句を残している。今月末、この句を再活用しよう(笑)
そして、事件の25年後「招魂祭」を行い、犬養の遺族(息子の犬養健)も招いた。美談に見えるが…
八木春雄(襲撃の仲間)は、この催しについて…三上の相談にあずかった。だが二・二六と違い、襲撃で亡くなったものはいない。「敵側の犬養位のもんだ」と八木が言うと、三上は一瞬なるほど、という表情をして「犬養でいいさ」と答えたという。
コントか。
三上はその後「三無事件」という、さらに不思議で無計画なクーデーター騒動に関わり逮捕される(諫める側に回っており、結局釈放された)などし、1,971年に66歳で死去。
生前、三上と橘孝三郎は「金を欲しがらない右翼」だという評判が立ったという。いや、じゃあ普通の右翼はどうなんだよ(笑)
そんなこんなの紆余曲折を経て、まがりなりにも”復活”した議会・政党政治は、いま、49回目の総選挙を迎えた。
自身も、参院選を経験した三上はどう見ているだろうか。
おくれても おくれても又君達に 誓ひし言葉 われ忘れめや
(招魂祭にて三上が詠んだ句)
五・一五事件はその後の二二六と比べて規模も計画性も小さく、あまり世間の興味を惹かない事件だけど(自分もほとんど知らなかった)事件が小さいからこそ、そこに鮮明に浮かび上がってくるものもあるな…、と、この小山氏の新書を読んで思いました
(了)