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東京五輪2020+1、閉幕社説集

www.asahi.com

(社説)東京五輪閉幕 混迷の祭典 再生めざす機に

2021年8月9日 5時00分

 東京五輪が終わった。

 新型コロナが世界で猛威をふるい、人々の生命が危機に瀕(ひん)するなかで強行され、観客の声援も、選手・関係者と市民との交流も封じられるという、過去に例を見ない大会だった。

 この「平和の祭典」が社会に突きつけたものは何か。明らかになった多くのごまかしや飾りをはぎ取った後に何が残り、そこにどんな意義と未来を見いだすことができるのか。

 異形な五輪の閉幕は、それを考える旅の始まりでもある。

 ■「賭け」の果ての危機

 朝日新聞の社説は5月、今夏の開催中止を菅首相に求めた。

 努力してきた選手や関係者を思えば忍びない。万全の注意を払えば大会自体は大過なく運営できるかもしれない。だが国民の健康を「賭け」の対象にすることは許されない。コロナ禍は貧しい国により大きな打撃を与えた。スポーツの土台である公平公正が揺らいでおり、このまま開催することは理にかなわない。そう考えたからだ。

 しかし「賭け」は行われ、状況はより深刻になっている。

 懸念された感染爆発が起き、首都圏を中心に病床は逼迫(ひっぱく)し、緊急でない手術や一般診療の抑制が求められるなど、医療崩壊寸前というべき事態に至った。

 五輪参加者から感染が広がったわけではないなどとして、首相や小池百合子都知事、そして国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長らは判断の誤りを認めない。しかし、市民に行動抑制や営業の自粛を求める一方で、世界から人を招いて巨大イベントを開くという矛盾した行いが、現下の危機と無縁であるはずがない。

 政府分科会の尾身茂会長は4日の衆院厚生労働委員会で「五輪が人々の意識に与えた影響はあるというのが我々専門家の考えだ」「政治のリーダーのメッセージが一体感のある強い明確なものでなかった」と述べた。至極当然の見解である。

 ■失われた信頼と権威

 これまでも大会日程から逆算して緊急事態宣言の期間を決めるなど、五輪優先・五輪ありきの姿勢が施策をゆがめてきた。コロナ下での開催意義を問われても、首相からは「子どもたちに希望や勇気を伝えたい」「世界が一つになれることを発信したい」といった、漠とした発言しか聞こえてこなかった。

 不都合な事実にも向き合い、過ちを率直に反省し、ともに正しい解を探ろうという姿勢を欠く為政者の声を、国民は受け入れなくなり、感染対策は手詰まり状態に陥っている。

 安倍前政権から続く数々のコロナ失政、そして今回の五輪の強行開催によって、社会には深い不信と分断が刻まれた。その修復は政治が取り組むべき最大の課題である。

 今回の大会は五輪そのものへの疑念もあぶり出した。

 五輪競技になることで裾野を広げようとする競技団体と、大会の価値を高めたいIOCや開催地の思惑が重なって、過去最多の33競技339種目が実施され、肥大化は極限に達した。

 延期に伴う支出増を抑えるため式典の見直しなどが模索されたが実を結ばず、酷暑の季節を避ける案も早々に退けられた。背景に、放映権料でIOCを支える米テレビ局やスポンサーである巨大資本の意向があることを、多くの国民は知った。

 財政負担をはじめとする様々なリスクを開催地に押しつけ、IOCは損失をかぶらない一方的な開催契約や、自分たちの営利や都合を全てに優先させる独善ぶりも、日本にとどまらず世界周知のものとなった。

 この構造・体質に切り込まなければ、五輪を招致する都市は早晩なくなるだろう。IOCもそれを察知し、早手回しに32年の開催地を決めたが、持続可能性への疑義は深まるばかりだ。

 五輪憲章はIOCを「国際的な非政府の非営利団体」と定義する。実態はどうか、その足元から見つめ直すべきだ。

 ■虚飾はいだ先の光

 一方で、本来のオリンピズムを体現したアスリートたちの健闘には、開催の是非を離れて心からの拍手を送りたい。

 極限に挑み、ライバルをたたえ、周囲に感謝する姿は、多くの共感を呼び、スポーツの力を改めて強く印象づけた。迫害・差別を乗り越えて参加した難民や性的少数者のプレーは、問題を可視化させ、一人ひとりの人権が守られる世界を築くことの大切さを、人々に訴えた。

 選手の心の健康の維持にもかつてない注目が集まった。過度な重圧から解放するために、国を背負って戦うという旧態依然とした五輪観と決別する必要がある。10代の選手が躍動したスケートボードなどの都市型スポーツは、その観点からも示唆を与えてくれたように思う。

 強行開催を通じて浮かび上がった課題に真摯(しんし)に向き合い、制御不能になりつつある五輪というシステムの抜本改革につなげる。難しい道のりだが、それを実現させることが東京大会の真のレガシー(遺産)となる。

www.yomiuri.co.jp

東京五輪閉幕 輝き放った選手を称えたい

2021/08/09 05:00
 ◆運営面での課題を次に生かせ◆


 57年ぶりの東京五輪が幕を閉じた。新型コロナウイルスの世界的な流行という困難を乗り越えて開催された異例の大会として、長く語り継がれることだろう。

 今大会は、史上初めて開幕が1年延期され、大部分の会場が無観客になるなど、新型コロナの影響によって、当初計画から度重なる変更を余儀なくされてきた。

 ◆強化策が実を結んだ

 17日間の会期中、感染力の強いデルタ株の広がりで東京都内の新規感染者数が急増し、一部に中止を求める声も上がった。

 しかし、世界各国から集まった一流の選手たちが見せた力と技は多くの感動を与えてくれた。厳しい状況の中でも大会を開催した意義は大きかったと言える。

 選手たちは、五輪の開催が危ぶまれる不安定な状態で練習を続けた。大会中も感染対策のために、行動制限を課せられた。

 選手たちがひたむきに競技と向き合う姿に励まされた人は多かっただろう。全力を尽くして戦った選手たちを 称たた えたい。

 日本選手団は、金27、銀14、銅17の計58個に上るメダルを獲得した。金メダルは、過去最多だった1964年の東京大会と2004年のアテネ大会の16個を大きく上回った。メダルの総数も、最も多かった。

 特に個人戦男女14階級のうち9階級を制した柔道や、2冠を達成した体操の橋本大輝選手、競泳の大橋悠依選手らの活躍は見事というほかない。新競技のスケートボードで10代選手が躍動するなど、話題も豊富だった。

 悲願の金メダルに輝いた野球やソフトボール、卓球の混合ダブルスなど、日本ならではの「チーム力」も光った。

 政府は、東京五輪の招致が決まった13年以降、選手の強化費を増やし、柔道などメダル獲得が有望視される競技に重点的に配分してきた。今回の好成績は、こうした対策が実を結んだと言えよう。

 ◆女子の活躍が目立った

 一方、競泳はメダル獲得数が2000年のシドニー五輪以降で最も少ない3個にとどまった。若い世代の育成が課題だろう。

 東京五輪は、「多様性と調和」を大きな理念の一つに掲げた。

 開会式で日本選手団の旗手を務めたバスケットボールの八村塁選手や聖火リレーの最終ランナーだったテニスの大坂なおみ選手など、日本以外の国にルーツを持つ選手の存在もその象徴だ。

 様々な事情で母国を逃れた選手による「難民選手団」や、性的少数者(LGBT)であることを明かした選手も参加している。

 女性の活躍も目立った。583人の日本選手のうち、女子は史上最多の277人に上り、日本勢の金メダルの約半数を獲得した。

 男女平等を進めるため、混合種目も増えた。多様性を認め合う社会へと変わる契機にしたい。

 ◆浮き彫りになった問題

 今大会は、東日本大震災から10年という節目にあたり、「復興五輪」とも位置づけられてきた。

 コロナ禍で海外の人たちに復興の様子を見てもらうことはかなわなかったが、表彰式ではメダリストに被災地の花束が贈られ、選手村の食事には現地の食材が使われた。

 来日した選手や関係者は数万人に上った。選手村などで大きな集団感染が起きなかったことが、成功の証しと言えるのではないか。多くのボランティアに支えられたことも忘れてはならない。

 一方、現代の五輪が抱える課題も浮き彫りになった。

 暑さが厳しい真夏に大会を開き、夜間に予選を行うなど、選手にとって厳しい競技日程になったのは、国際オリンピック委員会(IOC)に巨額の放映権料を支払う米テレビ局の意向が優先された結果だとされている。

 大会の延期に伴う追加経費や無観客で失われたチケット収入の 補填ほてん は、ほとんど東京都や国が負うことになる。放映権料を確保しているIOCに比べ、開催都市のリスクが大きいとの指摘もある。

 開会式の直前には、演出担当者らが過去の人権軽視の言動などを指摘され、次々と辞任や解任に追い込まれた。

 大会組織委員会は、今回直面した課題を記録に残し、今後の五輪改革につなげるよう、IOCに提案することが必要だ。

 24日からはパラリンピックが始まる。開会式は、再び緊急事態宣言が発令されている中での開催となる見通しだ。政府や組織委は、五輪で得た教訓をパラリンピックにも生かさなければならない。

mainichi.jp
社説

東京五輪が閉幕 古い体質を改める契機に

毎日新聞 2021/8/9 東京朝刊 1699文字
 新型コロナウイルス下で行われた東京オリンピックが閉幕した。

 史上初の延期に加え、大半の会場に観客を入れず、選手を外部から遮断する「バブル方式」などの措置が取られた。祝祭感なき異例の大会となった。

 原則無観客で開催されたことによって、人の流れはある程度、抑制された。だが、マラソンなど公道での競技には、五輪の雰囲気を味わおうと人が詰めかけた。


 選手村では行動が制限され、ウイルス検査が連日行われた。ストレスの多い生活に選手から不満が漏れ、無断外出で大会参加資格証を剥奪される例もあった。

 選手にとっては「おもてなし」とは程遠い不自由な環境だっただろう。だが、感染を抑えるためには、やむを得ない対応だった。


 ただ、1年延期によるこの時期の開催が適切だったのかは、閉幕後も問われ続ける。酷暑の問題も含め、主催者と日本政府はきちんと検証しなければならない。

多様性求める選手たち
 期間中、多様な価値観を受け入れる社会を求めて行動を起こす選手たちの姿が目立った。

 サッカー女子では人種差別に反対の意思を示すため、試合前に片膝をつくポーズをするチームが相次いだ。英国が呼び掛け、日本をはじめ対戦相手も同調した。


 国際オリンピック委員会IOC)は、大会中の「政治的、宗教的、人種的」な宣伝活動を禁じている。だが、今大会では規則を緩和し、競技前などは認めた。

 禁止されている表彰式でも、陸上女子砲丸投げで銀メダルを獲得した米国の黒人選手が両腕を交差させ「X」のポーズを作った。「抑圧された人々が出会う交差点」という意味だという。


 性差別を許さないという意思表示もあった。ドイツの体操女子チームは、肌の露出が多いレオタードではなく、足首までの「ユニタード」を着て試合に臨んだ。

 重量挙げでは、男性から女性へ性別を変更し、トランスジェンダーであることを公表したニュージーランドの選手が出場した。競技の公平性を疑問視する声もあったが、「自認の性」が尊重された。

 国家の不当な圧力に抵抗した選手もいる。陸上女子短距離のベラルーシの選手は、予定外の種目に出場するようコーチから強要され、不満をネット交流サービス(SNS)に投稿した。

 その結果、帰国を命じられたが拒否し、隣国ポーランドへ亡命した。独裁下のベラルーシでは、大統領が成績の振るわない選手団に高圧的な態度を見せていた。

 「スポーツをすることは人権の一つである」。根本原則にそう記す五輪憲章は「すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない」と定めている。

 選手たちは「五輪の精神」を身をもって示した。何事にも縛られず、自由にスポーツをしたいという純粋な思いの表れだ。

コロナ下でひずみ露呈
 一方で、五輪を運営する側はひずみを露呈させた。IOCはコロナ下での五輪に対する国民の不安をよそに開催へと突き進んだ。

 IOCの財政は、米放送局の巨額放映権料と世界的スポンサーの協賛金に依存している。ビジネスを優先して、選手の健康や国民の安全が軽視された点は否めない。

 五輪をめぐる権限が、IOCに握られているといういびつな構図も浮き彫りになった。開催都市契約は「不平等条約」とも呼ばれ、その条項には中止の決定権はIOCが持ち、賠償責任は一切負わないとのくだりがある。

 IOCだけでなく、政府や東京都も開催ありきの姿勢を貫いた。「安全・安心」を繰り返すだけで開催の意義を語らず、政権浮揚に五輪を利用しようとするかのような姿勢が国民の反発を招いた。

 大会組織委員会森喜朗前会長の女性蔑視発言や開会式演出担当者の過去の言動など、関係者の差別的な体質が次々と表面化した。「多様性と調和」という大会ビジョンは見せかけに過ぎないと多くの人の目には映ったはずだ。

 五輪の暗部が白日の下にさらされ、「開催する意義は何なのか」という根源的な問いが人々に投げ掛けられた。

 古い体質を改めなければ、五輪は新たな時代に踏み出せない。憲章の理念を実現しようとした選手たちの声に耳を傾けることが、その一歩となるはずだ。

www.tokyo-np.co.jp

<社説>東京五輪が閉会 大会から学ぶべきこと

2021年8月9日 07時11分

 五十七年ぶりの日本での夏季大会となった東京五輪が閉会した。競技に挑んだ選手やコーチ、運営に尽力した関係者の努力はたたえたいが、招致の在り方から感染症が拡大する中での大会開催まで、私たちが学ぶべき教訓は多い。
 一八九六年にギリシャアテネで始まった近代五輪は国際情勢の影響を強く受けてきた。世界大戦で三度中止され、今回の東京大会は新型コロナウイルスの感染拡大で、初めて一年延期した大会として五輪史に名を刻む。
 会場のほとんどは無観客となり日本国民の大多数はテレビで観戦した。選手やコーチ、大会関係者は「バブル方式」という、外部との接触を遮断された「泡」の中で過ごし、感染すれば排除され、観光で外出すれば指弾される。
 こんな状況を目の当たりにすれば、コロナ禍の日本で今、開催する意味が本当にあったのか、との思いを抱くのは当然だろう。
◆復興五輪掛け声倒れ
 一九六四年に続く二度目の東京大会は、開催そのものが目的のような大会だった。
 戦災復興を掲げた前回に倣い、二〇一三年の招致当時、東日本大震災からの「復興五輪」をうたった。当時の安倍晋三首相は原発事故の影響を懸念する国際社会に対し「アンダーコントロール(管理下にある)」とアピールしたが、事故の影響はいまだ続き、特に福島復興は道半ばだ。
 「復興五輪」の掛け声も、感染拡大とともに「人類がウイルスに打ち勝った証しとなる大会」「世界の団結の象徴として実現する」へと簡単に変転していく。
 大会経費を節減するため、会場を都心に集約する「コンパクト五輪」を構想したが、炎暑の大会に選手への影響が懸念されると、マラソン競歩を札幌=写真=に移転するなど、会場は拡散した。
 一三年の招致立候補時は七千三百四十億円とされた大会経費はすでに、少なくとも倍以上の一兆六千億円以上に膨れ上がっている。
 新型コロナの感染拡大で想定が大きく外れたにせよ、当初掲げた理念は、いずれも破綻は明白だ。
 そもそも復興五輪だのコンパクト五輪だのということ自体が、招致のための方便だったのではないか。招致のロビー活動に買収疑惑が持たれたことも、理念なき五輪を強く印象づけてしまった。
 無観客でスポーツ大会の巨大な集合体と化した五輪を、感染の危険を冒してまで開催する必然性があったのだろうか。
 感染拡大下での開催強行には国際オリンピック委員会(IOC)の意向があったのだろう。一度決めれば、軌道修正が難しいのは、組織の弊害そのものだ。最古参のIOC委員が「予見できないアルマゲドン(世界最終戦争)でもない限り実施できる」と言い放ち、日本国内の開催中止論を一蹴したことを忘れるわけにはいかない。
 収入の七割以上に当たる巨額の放映権料を米国のテレビ局などから得ることでIOCの組織は肥大化し、商業化も過度に進む。
 かつての東京大会は十月のさわやかな青空の下で開かれたが、巨大マネーは夏季五輪を、米国内のプロスポーツ中継に影響がない夏の時期に固定してしまった。
◆巨大マネーで炎暑に
 日本の七、八月は炎暑にもかかわらず「温暖」「理想的な気候」という虚偽の表現でしか、招致できない現実が迫る。地球温暖化が進めば、北半球での夏季五輪開催は困難になるに違いない。
 国連機関でも何でもないIOCの硬直的で、国家主権をも顧みない独善的な体質に、私たちはもっと早く気付き、学ぶべきだった。
 もちろん五輪混乱の原因はIOCだけには帰せない。歩調を合わせて五輪と感染拡大との関係を否定し続ける菅義偉首相をはじめ日本政府の責任は、特に重い。
 首相は中止論を一顧だにせず、楽観的なメッセージを発信し続けた。そのことは五輪開催中、日本全国を祝祭空間に変え、感染を急速に拡大させた。国民にとどまらず、選手や大会関係者らの命と健康を危機にさらしている。
 首相は一体、どう責任を取るつもりなのか。
 平和への希求や人間の尊厳など五輪が掲げる理念は、今後も最大限尊重されるべきだ。ただ、IOCや、今大会では日本政府が、それらを実践するにふさわしい存在でないことも、感染拡大下での大会強行が浮き彫りにした。
 そのことに気付けたことがせめてもの救いであろうか。それにしても私たち日本国民は、巨額の代償を支払うことになったが…。

www.sankei.com

2021/8/9 05:00

【主張】東京五輪閉幕 全ての選手が真の勝者だ 聖火守れたことを誇りたい

東京五輪開会式で最終聖火ランナーをつとめた大坂なおみ選手=23日、国立競技場(桐山弘太撮影)
東京五輪開会式で最終聖火ランナーをつとめた大坂なおみ選手=23日、国立競技場(桐山弘太撮影)
これほど心を動かされる夏を、誰が想像できただろう。日本勢の活躍が世の中に希望の火をともしていく光景を、どれだけの人が予見できただろう。

確かなことは、東京五輪を開催したからこそ、感動や興奮を分かち合えたという事実だ。

新型コロナウイルス禍により無観客を強いられたが、日本は最後まで聖火を守り抜き、大きな足跡を歴史に刻んだ。その事実を、いまは誇りとしたい。

57年ぶり2度目の東京五輪が幕を閉じた。

日本勢の金メダルは世界3位の27個で、1964(昭和39)年東京五輪と2004年アテネ五輪の16個を超えた。銀14個、銅17個を合わせた計58個も史上最多だ。

日本勢躍進に拍手送る
バドミントンや競泳が期待されたほど振るわず、コロナ禍による大会の1年延期が多くの選手に影響したことは否めない。

代表選手の置かれた厳しい環境について、陸上男子400メートル障害で長く活躍した為末大氏は「マラソンでいえば、30キロまで来ながらスタート地点に戻されるようなもの」と語ったことがある。

開催の可否をめぐり世論が割れた中で、精神面でも不安定な立場に置かれたはずだ。それでも開催を信じ、鍛錬を続けた選手たちの道のりには、メダルの色や有無を超えた価値がある。

世界も強かった。競泳では、海外勢による6個の世界記録と20個の五輪記録が生まれた。陸上男子100メートル準決勝では、中国の蘇炳添(そ・へいてん)が9秒83のアジア新記録を出し、決勝の舞台に進んだ。9秒台のスプリンターが4人いる日本にも、進化の余白があることを示している。

今大会から採用された、若者に人気の「都市型スポーツ」は新しい景色を見せてくれた。

スケートボード女子パークの決勝が忘れ難い。金メダル最有力といわれた岡本碧優(みすぐ)が逆転を懸けた大技に失敗して競技を終えた直後、ライバルたちが駆け寄り、抱擁の輪と肩車で敗者をたたえた。その多くは10代の若者だった。

彼女たちが表現したものは、他者の痛みへの共感、挑戦する勇気への賛美、心の深い部分で結ばれた戦友との連帯だろう。コロナ禍の1年半で、他者を疑いの目で見ることに慣れた大人たちへの警鐘が、そこからは読み取れる。

無観客が、日本にとって大きな損失となったことは間違いない。だが、選手たちは連日の熱戦で観客席の空白を埋めた。誠意に満ちた「おもてなし」で、海外選手団から好評を得たボランティアも後世に残る財産だ。

国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は6日の会見で「無観客で魂のない大会になるのではないかと思ったが、そうはならなかった」と述べた。魂を吹き込んだのは選手たちであり、運営に携わった全ての大会関係者だ。招致決定から8年に及んだ開催準備の労に、心から感謝したい。

魂を吹き込んでくれた
開幕前は「観客のいない五輪に意味があるのか」との懸念もあった。それでも、大会を通して国内の歓喜は途切れず、世界からは賛辞が寄せられた。

世界で何十億人もの人々が、テレビやインターネットで観戦したことも忘れてはならない。

開催準備の過程は多くの反省点も残した。今年に入り、大会理念の「多様性」に反する言動で関係者が相次ぎ辞任するなど世界に混乱をさらし続けた。今後の検証は避けて通れない。

心ない選手批判もあった。スポーツを軽んじる人々が存在することを反映している。だが、スポーツは、人がどんな挫折からもはい上がれることを教えてくれた。その象徴が白血病を乗り越えて代表入りした競泳の池江璃花子(りかこ)だ。

「人生のどん底に突き落とされて、ここまで戻ってくるのは大変だった。だけど、この舞台に立てた自分に誇りを持てる」

こう語った池江だけではない。コロナ禍に屈することなく、五輪の舞台に集った全ての選手たちが、この夏の真の勝者だろう。

新聞記者

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  • シム・ウンギョン
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