岩瀬達哉のノンフィクション「キツネ目」
レビューその2。前回はこちら
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そもそもグリコ森永事件の謎として言われていること…公にはそのような記録はない以上、なかったことになっているがかなり濃厚な疑惑として語られていること…
それは「結局どこかの企業は、怪人21面相との裏取引に応じ、犯人たちは大金を得ているのではないか?」ということであります。
そもそもその当時、大企業の経営者であり参院議員も務めていた人間がテレビカメラの前で堂々と
「例えば私がそういう境遇になったらね、ヤミですぐ払いますよ。何と言われるかもしれんけど」と語ったりするのだ。
グリコの方はともかく、犯人の要求を最初から突っぱね続けた森永は、実のところ小売業界の組合から吊るし上げに行っていたと言うのだ。
「あんたがいい格好してるから、みんな迷惑してるよ」と。
さらに、これは誰を責めるわけにもいかないのだが…森永は毒入り菓子を店頭に並べる犯人に対抗するため工場で数種類の製品をビニール袋に詰めた「1000円パック」を、街頭で社員が手売りで販売する戦術を行なった。こんな売り上げは焼け石に水で、実のところは「頑張れよ」とカンパをしに来る人たちに、ただお金をもらうわけにはいかないと考えて始めたようなささやかなものだった。しかし小売店の人たちからは
「会社帰りにお父さんが1000円パックを買ってくるからうちの店で子供や奥さんが何も買ってくれない。うちは頑張って、森永さんの商品を店頭に置いているのに…」
こんなジレンマに追い込む、犯人たちの全く新しい犯罪手法は確かに企業を恐怖のどん底に陥れていた。
実際に裏取引に踏み込む寸前だった、という企業や模倣犯に実際に金を出した企業も、いくつかは確認が取れているし、
またグリコや森永などは犯人との駆け引きの中で、多少犯人の言い分を飲むような行動を、警察と連携して行なったこともある。例えば「〇〇という広告を新聞に出せ」などは、それで犯人を罠にかけるためあえて従ったものもあるようだ。
ところがしたたかな犯人たち…の策略なのか、それとも自然発生的な噂なのか、それが「ついに江崎グリコは、あるいは森永は、裏取引に応じたらしい」という噂の傍証になり、尾ひれがついて疑惑の目が彼らに向けられることになる。
全国の ファンの みなさんえ
わしら もう あきてきた
社長が あたまさげてまわっとる 男があたまさげとんのや ゆるしてやっても ええやろ
ナカマのうちに 4才のこどもいて
まい日グリコ
ほしいゆうてないている
わしらも さいきんたべへんけど むかしはようくうたもんや
こども なかせたらあかん
うまい くいもん のうなったら
わしらもこまる
江崎グリコ ゆるしたる
スーパーも グリコうってえ
当時、自分は子供心に素直に受け取ったけど、世間はそうじゃない。
業界関係者だけでなく新聞記者たちも想像をたくましくした。朝日新聞大阪本社の社会部記者も裏取引を疑い、グリコ広告部長の布川裕保を取材している
さらに犯人は、他者を脅迫する時に「グリコは 6億で 話ついた」と触れ回っているんだから、実際に現場の企業人たちが疑心暗鬼に陥るのも無理はなかった …
しかし、このグリコと犯人との裏取引の話は、ものすごく劇的な形で、うやむやのまま幕が引かれる。その幕を引いたものとは・・・・ここからがスゴイ。
新聞広告と終結宣言に加え、もう一つ予期せぬ出来事が加わったことで、裏取引が俄然信憑性を帯びることになった。
グリコの株主総会に、松下電器(現パナソニック)の創業者で、グリコの非常勤取締役でもあった松下幸之助(当時89歳)が、高齢を押して出席したのである。関西財界に絶大な影響力を保有する幸之助が出席したことの意味を、多くの企業経営者は、グリコのことでもうこれ以上騒ぐな、 幕引きにしろとのメッセージではないかと勘ぐった。
ある菓子メーカーの元副社長は、 誰もが感じていたが口には出さないことを言ってのけた。「結局ね、松下幸之助さんが出てきたということは、関西財界はこの問題は沈静化させろということだと思いましたね。すでに裏取引は行われていて、これが表に出たら大変なことになる。だから関西財界を抑えるため、 睨みを利かせるために出席したんだと言われていましたね。とかく裏取引の噂が絶えなかったですから」
松下幸之助はグリコ創業者江崎利一と戦前から親交がありともに無一文から事業を起こしたものとして「文無し会」という懇親会を開く仲だったと言う…
元大阪府警捜査一課の捜査員は、当時を思い返すと腑に落ちないことが多々あると語っている。
「脅迫状が来たら裏取引などせず、すぐに警察に届けるようにと菓子メーカーや食品メーカーを回ったことがある。その時、応対に出た役員の中には、まともな話ができへんくらいの動揺する人がいたもんや。手が震えて何にも話さへんから、どないもならんかった。 要は、警察が来たということは、届けていない脅迫状のことがばれて、裏取引したのが分かったんやないかと勘ぐったんやと思うよ。でないと、我々が訪ねたぐらいで、あんな反応になることないわな」
著者の岩瀬氏も、 あとがきでハウス食品と森永製菓の当時の経営者に取材した時の事を欠く中でこう付け加えている。
一方、犯人と裏取引したと噂の絶えない企業の経営者たちは、誰一人として取材に応じようとしなかった。このコントラストは強く印象に残っている。
もう一つ、グリコ森永事件を語る上で外せない一件について書いておく。
当時の滋賀県警本部長の焼身自殺である。
同県警の山本昌二県警本部長は、ごく異例の、ノンキャリアからその地位まで上り詰めた「兵隊元帥」だった。
この一件がなかったら、怪人21面相の一連の犯行は、表面的にはもっと暗さ、陰湿さが糊塗され、悪のヒーローとしての声望は更に高まっていたかもしれない。
亡くなる直前、警察の仲間を引き止めて、突然乃木希典の話をし始めたそうだ。1時間ぐらい乃木大将について話す山本に苛立ったその仲間は、話を打ち切って席を立つ。しかし自殺の方が伝わった時に「ああ、彼は軍旗紛失の責任を取って死んだとされた乃木のことを思っていたのかもしれない」と…。
そしてその一方、この事件に関しては「実はグリコ森永事件とは関係ない、滋賀県警が抱えていたスキャンダルに起因する」という説が一方で流布されているのだそうだ。
そうだとしたら警察の闇は深い・・・・・・・と、恐ろしくなるところでさらにもう一転、こんな見方をする人もいるのだという。
「深層心理として、グリコ森永事件でなく、別の案件で死んだというふうに考えたい人もいるんだよ。グリコの捜査の失敗で死んだんじゃないということで自分が精神的に助かるという人がいる。警察省の当時の幹部の中に」
……。確かにこの事件の捜査で、亡くなった山本滋賀県警本部長を直接罵倒・叱責した幹部はいる、間違いなくいるのだ。
警察の闇が深いんだか浅いんだか分からなくなってくるところ。
「これ以上に、深く深刻な暗部がある」のか「自分の責任を軽くしたいために『自殺の真相は別にある』と思いたがっている」、どっちの方が警察にとっては不名誉なことなんだろうか…