352ページ、12万字書き下ろし。未発表スケッチ多数収録。
出会いと別れの“大泉時代"を、現在の心境もこめて綴った70年代回想録。「ちょっと暗めの部分もあるお話 ―― 日記というか記録です。
人生にはいろんな出会いがあります。
これは私の出会った方との交友が失われた人間関係失敗談です」
――私は一切を忘れて考えないようにしてきました。考えると苦しいし、眠れず食べられず目が見えず、体調不良になるからです。忘れれば呼吸ができました。体を動かし仕事もできました。前に進めました。
これはプライベートなことなので、いろいろ聞かれたくなくて、私は田舎に引っ越した本当の理由については、編集者に対しても、友人に対しても、誰に対しても、ずっと沈黙をしてきました。ただ忘れてコツコツと仕事を続けました。そして年月が過ぎました。静かに過ぎるはずでした。
しかし今回は、その当時の大泉のこと、ずっと沈黙していた理由や、お別れした経緯などを初めてお話しようと思います。
(「前書き」より)――お話をずっと考えていると、深い海の底から、または宇宙の星々の向こうからこういうものが突然落ちてくることがある。落ちてこない時はただ苦しいだけだけど、でも、それがふっと目の前に現れる時、宝物を発見した、という気持ちになります。自分が見つけたというより、エーリクが見つけてくれた、そういう気分になります。
そしてこの言葉を見つけたことで、『トーマの心臓』を描いて本当に良かったと思いました。
(「17『ポーの一族』第1巻 1974年」より)――今回、この筆記を書くに当たって、封印していた冷凍庫の鍵を探し出して、開けて、記憶を解氷いたしましたが、その間は睡眠がうまく取れず、体調が思わしくありませんでした。
なので、執筆が終わりましたら、もう一度この記憶は永久凍土に封じ込めるつもりです。
埋めた過去を掘り起こすことが、もう、ありませんように。
(「29 お付き合いがありません」より)【目次】(※一部)
●前書き
●出会いのこと ― 1969年~1970年
●大泉の始まり ― 1970年10月
●1972年『ポーの一族』
●下井草の話 1972年末~1973年4月末頃
●『小鳥の巣』を描く 1973年2月~3月
●緑深い田舎
●引っ越し当日 1973年5月末頃
●田舎と英国 1973年
●帰国 1974年
●『トーマの心臓』連載 1974年
●『ポーの一族』第1巻 1974年
●オリジナルであろうと、原作ものであろうと
●排他的独占愛
●鐘を鳴らす人
●BLの時代
●それから時が過ぎる 1974年~2017年
●お付き合いがありません
●あとがき(静かに暮らすために)【特別掲載1】「萩尾望都が萩尾望都であるために」(文・マネージャー 城章子)
【特別掲載2】 萩尾望都が1970年代に描き溜めた未発表スケッチ
【特別掲載3】 マンガ『ハワードさんの新聞広告』31ページ
萩尾望都「一度きりの大泉の話」読了。
— テリー・ライス (@terry_rice88) 2021年4月21日
70年代に「少女漫画」という可能性を(結果的に)開拓した作家が当事者として経験を訥々と語った、本人としてもこれを読むすべての人にもあまりにも「ヘヴィ」な内容。
読み終えたら、もう大泉サロンだとか花の24年組となどと「歴史を美化」する事は許されない pic.twitter.com/DdxPbHOPes
そんな大きな楔をその歴史の当事者である漫画家から打たれたら、ファンはおろか読者は従う他ないだろう。
— テリー・ライス (@terry_rice88) 2021年4月21日
真面目に読み終えた所で最初に浮かんできた言葉が「申し訳ない、ごめんなさい」だから。
いやもう、歴史を持て囃して、輝かせようとしていた人々は自分も含めて反省すべきだなと思いを馳せた。
なんだろうか。
— テリー・ライス (@terry_rice88) 2021年4月21日
ある歴史的な事実に対して、後年の人々は尾びれ背びれを付けて、それがさも美しい時代かのように飾り立ててしまう事に対しての当事者からの違和感が語られているし、それを語らせてしまった周囲の罪深さははやり重く受け止めるべきだなと思う。
少女漫画の黄金期、という大きな時代のうねりを一時代として、美しい記憶としたいというなにがしかの大きな意志が働きつつある中で、厳然としてNOを突き付けた一冊なのであの時代で一儲けしたい人がいなくなればいいね、という気分にはなるし、そう願いたい祈りの書でもあるな……。萩尾先生スゴいよ…
— テリー・ライス (@terry_rice88) 2021年4月21日
前書き読めばわかると思うけど、この本は明確に「(歴史を美化したい当事者・人々に)冷や水を浴びせる」意図で書かれているので、覚悟して読んで欲しい。この本を書くきっかけが萩尾先生の身辺状況の変化に直結してる理由で先生自身も腹括って語ってるので。
— テリー・ライス (@terry_rice88) 2021年4月21日
もちろん萩尾先生も現在に至る少女漫画の潮流があの大泉にいた頃に始まり、可能性を切り開いていった事には評価してるわけだけども、自らの身に起こった事とは切り離せないし、相当に複雑な感情が渦巻いているようなので今まで語ってこなかった理由も頷ける……。そして本書に対する一切の取材拒否も。
— テリー・ライス (@terry_rice88) 2021年4月21日
そんなものを、周囲の何も知らない人々が弄んでいいシロモノなわけもなく。トキワ荘みたいに神格化することが出来ない、ヘヴィかつ複雑極まりない人間関係の話だな。ファンもなんとなく感じ取っていただろう「断絶」と「深く埋まることのない溝」が目の前に広がっていて、途方に暮れる読後感だった。
— テリー・ライス (@terry_rice88) 2021年4月21日
あ、あとこれから読まれる方はもう一人の当事者である竹宮惠子先生による「少年の名はジルベール」を先に読むことをお勧めします。(この感想ツリーの最初の呟きの右画像の本)。そもそも「一度きりの大泉の話」が出る事になったのはこの本が発端なので。
— テリー・ライス (@terry_rice88) 2021年4月21日
以下のリンクは「少年の名はジルベール」の感想ツリーです。竹宮先生視点の大泉時代だけど、なんかこう肝心なところは隠されている書き方でしたね……。https://t.co/EWotihPDCR
— テリー・ライス (@terry_rice88) 2021年4月21日
自分は「大泉サロン」という言葉を聞いたのも初めてなぐらいのものなので、何とも言いようがないけど、おそらくトキワ荘的なものだろうと文脈で理解した。
トキワ荘の「神話体系」というものは確かにあり、その範囲内において
青春の葛藤や悩みがあったことも、特に最近は色々語られているけど、逆に言えば中心的な当事者が「いやトキワ荘とか新漫画党なんて、そんな楽しいもんじゃなかったよ」という重厚な証言が出るようなもの?
だとしたら、それは確かに大きなことだろうな、と……
お、この記事をこしらえたあと、元のツイート冒頭にブクマコメントがついている。おいらが先頭か。
b.hatena.ne.jp
- 作者:竹宮 惠子
- 発売日: 2016/01/27
- メディア: 単行本
【ご注意】
※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。竹宮惠子の大ヒット自伝が、ついに文庫化!
★文中に多々登場する竹宮作品、書籍執筆時に著者が本当は入れたかった作品の中身(コミック立ち読みファイル)を、主だった12作品・計130頁の参考画像集として電子版だけに収録。
石ノ森章太郎先生に憧れた郷里・徳島での少女時代。
高校時代にマンガ家デビューし、
上京した時に待っていた、出版社からの「缶詰」という極限状況。のちに「大泉サロン」と呼ばれる東京都練馬区大泉のアパートで
「少女マンガで革命を起こす!」と仲間と語り合った日々。当時、まだタブー視されていた少年同士の恋愛を見事に描ききり、
現在のBL(ボーイズ・ラブ)の礎を築く大ヒット作品『風と木の詩』執筆秘話。そして現在、教育者として、
学生たちに教えている、クリエイターが大切にすべきこととは。1970年代に『ファラオの墓』『地球(テラ)へ…』など
ベストセラーを連発して、
少女マンガの黎明期を第一線のマンガ家として駆け抜けた竹宮惠子が、
「創作するということ」を余すことなく語った必読自伝。漫画ファンはもちろん、そうではない読者からも
感動の声が続々と寄せられ、
朝日、読売、毎日など各紙書評や
各種SNSで大反響だった単行本が、ついに文庫化。カラーイラスト増ページ、「文庫刊行によせて」を収録。