こういう本を読んだ。
わたしたちは「家族」になれるのか?
- 作者:小泉 明子
- 発売日: 2020/10/22
- メディア: 単行本
◎アメリカ大統領選を左右する存在のひとつ、福音派 evangelicalと呼ばれるキリスト教右派はこれまで共和党の大票田として、同性婚、人工妊娠中絶、公立学校での祈りの実践、銃規制など文化的価値観のかかわる政治決定を左右してきた。
◎本書は、アメリカを舞台に1950年代からはじまった同性愛者の権利運動が、福音派を中心とする保守から激しい反動(バックラッシュ)を受けながらも、いかに自分たちの権利向上を訴え、2015年に同性婚(婚姻の平等)を実現したのか、その半世紀以上にわたるダイナミックな歴史を辿る。
◎過去に苛烈な同性愛者差別があった保守傾向の強いアメリカで、なぜ同性婚は実現しえたのか。本書ではこの問いに対し、「家族」という価値観に焦点を当て、保守の反動の中にある同性愛への忌避と恐怖の本質を浮き彫りにしつつ、同時に、社会が同性愛者の訴訟戦略に代表される権利運動をつうじて、彼らの権利保障の重要性を認識し、社会制度、法制度を大きく変えていく過程を忠実に描き出す。
◎終章では、アメリカの歴史をふまえて、同性婚の是非をめぐる議論がはじまったばかりの日本の現状や、現在、同性カップルがどのような不利益を被っているのか具体的に明らかにし、憲法や福祉の観点から同性婚を実現すべき根拠を説得的に提示する、時宜を得た挑戦的な一冊。
【目次】
はじめに第1章 ホモファイル運動のはじまり
第2章 宗教右派のアンチ同性愛キャンペーン
第3章 エイズ・パニックから婚姻防衛法へ
――1980年代からの変化第4章 本格化する同性婚訴訟
第5章 なぜ同性婚は実現したのか
──オバマ政権での展開と世論の逆転終章 日本で同性婚は実現するか?
画像クレジット
おすすめ書籍紹介
あとがき
註
主要判例一覧
索引
一読して思ったことは、自分は同性婚問題では単なるシロート…それもかなり、現状・現実の同性婚問題を追うというよりは法哲学的な思考実験寄りの興味をもつものとして、雑読的にサイトや本を読んだ程度の人間ではあたtが、それでも挙げられたトピックのだいたいは、「ああ、あれか」「以前読んだ話だな」と、とりあえず理解できる程度にはカバーしてた、という「自信」のようなものでした(笑)。まあ、方向性がそれなりに良かったんだろう。
んで、その「法哲学的思考実験寄り」で同性婚問題を眺めてて、何度もここで提示していた問題
・同性婚は、それを認める論理の枠組み上、必然的に「複数婚(一夫多妻、多夫一妻、多夫多妻)や、近親婚も認め得る」となるのではないか?
・同性婚(同性愛)を、宗教的見地から拒否し、その信仰を貫き、公言する宗教宗派がある。これに対し、社会はどう対峙すべきか?
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というか、ほかの同性婚の諸問題は、どこでもやってるからほかに任せて、うちは(他ではあまり扱ってない)この2点だけに絞った専門店でいいぐらいだ。
というか、拙ブログ内で「同性婚」を検索すると、99%がそれらの話題だもんな、すでに専門店だ。
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では、その二点に関して、同書ではどう書いているかを見てみよう。
宗教的信念との対立は「悩ましい」とのこと
分量的に、自分の興味範囲に関して一番詳しく描いているのは、この宗教的な意思におって同性愛、同性婚を否定することと同性婚の話である。143Pに「信教の自由に基づく同性婚の拒否…と同性カップルの婚姻する権利が両立しうるかは実に悩ましい問題」と明記されている。
…婚姻とは国が定めた法制度であるというのが一般的な見方だろう。しかし宗教的信念を固く持つ人にしてみれば、婚姻とはまず何よりも宗教的な制度であり、同性愛は罪(SIN)であるから同性婚は認められない。また宗教的信念は個人のアイデンティティに深く関わり、自分の意思で簡単に変えられるものではない。
にもかかわらず宗教的信念から同性婚を拒否する場合、性的指向に基づく差別とみなされる場合がある。一方で性的嗜好もまた同性愛者当事者にとってはアイデンティティーの加工なし、個人の意思で変えることが難しい尊厳にかかわる事柄である。ここでは譲ることのできない「アイデンティティーとアイデンティティ、換言すれば尊厳と尊厳との対立」が生じる事になる。
この点については、同棲カップル側には選択肢がある(マスターピースケーキショップの事例で言えば、同性カップルは同性婚に肯定的な別のケーキ店に頼めば良い)のに対し、同性婚を拒否した川自治体の免税措置を失ったり、解雇されるなどの不利益が大きい。
第4章で言及した憲法学者のカップル漫画、同性カップルと宗教的信念を持つものが負うコストが異なることから、宗教的信念に基づく同性婚への会を免除を支持する。また憲法学者のダグラス・メジャイメとリーバ・シーゲルは宗教的信念に基づく免除が性的マイノリティの平等を害する場合は免除を否定する十分な理由となり得るとし、宗教的信念に基づく免除は1:財やサービスへのアクセス確保 2:( LGBT など)免除の影響を受ける人々へのスティグマ防止がなされるように構成されるべきであるとする。
近親婚・複婚との論理的整合性に関しては注釈などで、書かれているほか、杉田水脈氏が新潮45に寄稿した文章が引用され、批判されている。
…同性婚を認めれば近親婚もペット婚も認めねばならなくなるといった主張は、2000年代のアメリカで同性婚反対の文脈で主張された滑り坂理論(スリッピースロープ)と同様である。同性婚をめぐる日米の保守はの主張がかくも酷似していることに驚くが、アメリカの宗教右派と日本の一部の宗教保守は情報交換や交流があるため、こうした類似性は決して偶然ではないかもしれない。(P171 )
これについては、明確に反論しておこう。
ひとこと、杉田水脈氏や「2000年代のアメリカ」で「同性婚反対の文脈で主張された」として、じゃあ、「反対の文脈にしなきゃいいじゃん」のひとことである。
というか、「滑り坂理論」という名称、自称なのか他称なのかしらんが、まずもって「普通の位置から、坂道によって”滑り落ちていく”」と考えること自体が、とんでもなく差別的なイメージでしょ。
近親婚・複婚とかは、同性婚や一般的な異姓婚から”滑り落ちた”奈落の底にあるのではなく、まったく<同じ場所>にあるんじゃないかい、という話で済むのであります。そして同性婚と近親婚、複婚の論理的な枠組みが同じ、という議論は、情報交換とか交流の結果かもしれないが、まずもって第一に「普通にものを考えていけば、結果的に誰もがたどり着く場所」だからかもしれないよ。だから法哲学者が議論しているわけでな。
複婚・近親婚についてはなぜか注釈のほうが詳しい。
憲法13条の幸福追求権から導かれる自己決定権を根拠として同性婚を認める場合、他の親密な結合である複婚(一夫多妻、一妻多夫、多夫多妻)いや近親婚も法制度として認めるべきではないか、という意見も出てくるかもしれない。白水隆は、同性婚禁止は性的指向に基づく別である一方、複婚の禁止は配偶者の数に基づく区別であり、【区別は気の特質やコインが包摂する中身が濃くなる←※ここ、たぶん音声入力の失敗。修正したいが元は何と書いてあったか…は忘れた】とするカナダの判例を取り上げている(白水隆、「平等権解釈の新展開」106P)
また 複婚は一夫多妻が主であり、女性差別的な側面があることから配偶者間の対等性を確保できないこと、当事者間の対等性の確保が困難であるほか、既に法律上の家族であることから親密な結合としての法的保護を認める必要性は薄いことなどが法制度として認めらない理由として挙げられる。
注釈35P
どれもこれも、根拠としてはヨワーイ。ただ、「カナダの判例」なるものが存在している、という知見は有意義だった。いつかは見ることもあるだろう。
自分はこれらの記述、こあれらの注釈を読んで「なるほど、同性婚と、近親婚・複婚との論理的整合性については、これからもことあるごとに突っついていく価値があるな」ということをますます確信した次第であります。
実は現在の結婚は、動機や物語が画一化しすぎているとも言える。男女や家が結ばれる理由には億千の理由・可能性がある。フォローで応援、閃きがきます。いいねで誰かの唇が自動で保湿。リツイートで誰かがトイレの神様のご利益をゲット。#漫画 #結婚 #一夫一妻 #一夫多妻 pic.twitter.com/HR3uCXP7WL
— 星野ルネ (@RENEhosino) March 1, 2021
おまけ。
そういえば、これも当ブログでは以前から論じてきた論点が、
同性婚の問題が議論される時に日本において話題となるのは、日本国憲法が24条で「両性の合意」と明文規定をしている点である。
これは同性婚を「禁止している」わけではないとする解釈、13条の幸福追求権や14条「法の下の平等」の方で同性婚も保護されるんだ、などなどの議論は既にあるが、ただそれであっても「同性婚は異性婚ほどには憲法上で保護されていないんですね」ということにはなってしまう。
同書では正直に「諸外国での同性婚の実現を受け、現行憲法の下でも同性婚は実現可能であるとする説も出てきている」と、 議論が最近のものであることを示している。
ちなみに注釈32、33Pによると長谷部恭男、樋口陽一、佐藤幸治、辻村みよ子、渋谷秀樹、高橋和之、川岸令和…などなどが自著では同性婚を現行憲法が保障している、という見解について否定的な記述をしているらしい(※同性婚の現行憲法保障説の否定と、同性婚に賛成・反対は別だから、そこには注意してください)