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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

同性婚の議論が深まると同時に、複婚や近親婚がその議論の延長上にあるという認識も浸透してきた。憲法記念日に感慨

憲法記念日ということで、ちょっと個人的な感慨を。


その前に、ちょっと一口話がある。宮崎市定呉智英が紹介していた話だが…いろいろ改変されたり寓話的になっている。
今回はここから引用しよう。

http://blog.livedoor.jp/night_is_gkbr-gkbr/archives/32035261.html

天才的に数学のよくできる中学生がいた。
学校の教師は彼に非常に目をかけていて、行く行くは大学に進ませて立派な数学者に育ててやりたいと考えていた。
ところが、この子の家は非常に貧乏で上の学校へ子供を進めてやれるような余裕はなかった。
教師は八方手を尽くして何とか進学させてやろうとしたが力及ばず、その子は家の為に働くことになってしまった。
ただ、彼は数学をあきらめたわけではなく、仕事の合間にコツコツと独学を続けていたようだ。

それから三十年たった。
今は老人になった教師の家に、ある日、その教え子がたずねてきた。
かつての少年も今は四十男のなっていたが、彼は目を輝かせて一冊のノートを差し出した。
自分は「大発見」をしたので、見てもらいたい、と言うのである。
教師が見ると、そのノートにはビッシリと数学の記号が書いてあり、それは連立方程式の解き方の論理だった。
彼は働きながらその合間に独学で考証を深め、自分で方程式の理論を築きあげたのだった。
教師は、それは今では普通の高校生が、授業で習っているもので、いまさら何の価値もない、とは言えず、深くため息をついて世界のむごさを嘆いた。


ただ、自分は…経験に照らし合わせて、「その青年、たしかにがっかりかもしれないけど、案外そうでもなかったかもしれないよ?過去の偉い人たちの発見や思想と、自分の独学での発見が一致していたら、何の実益が無くても、それだけでも満足なんと違うかな?」と思うのですよ。


それが表題に書いた「同性婚の議論から延長される、近親結婚や複数婚の法哲学問題」です。


自分がブログに、この問題を初めてテキストとして残したのは、2008年のことだと思ってたが、そこからさらに遡り、ブログを始めた最初の年、2004年だったようだ。正確には04年に複数婚、08年に近親婚を論じている。

毎日新聞5/3から。宗教と近代社会と(一夫多妻制度問題) - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20040503/p1

さてさて、ここで無茶な私見を。
個人的に気になるのが最近同じく全米で話題の「同性結婚」。大統領選の争点でもある。多様なライフスタイルを認めるのが民主社会だ。うん正しい。
でも、ちょっといいですかね?未成年に結婚を強要するのは一応自己決定ができないから、ってんで法的には納得できるとしてもだ。

「一夫多妻は根本的にイクナイ!」というのを、どう理論だてればいいの?
というのは、同性結婚がひとつのライフスタイルなら、一夫多妻もライフスタイルじゃない。とくにモルモン教(分派)が認めてるというのは、宗教的な意味合いがあるなら宗教弾圧では?
おお、それどころか大宗教イスラームは4人まで妻を娶れるではないか。
 
近代社会というのは、ある種の枠組みを作るときに、基本的には価値中立であるように組み立てられるが、例えば「結婚」を法的に定義するときなど、どうしてもある種の価値判断を基盤とせざるを得ない場合がある。
その際にどうなるか、どうすべきか。問題の根は深いね。

これをどう近代の法理論(他者危害原則)で裁けるのか - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080410/p3

この08年からオーストラリアで実際に起こった事件が元なのだが、ごく小さなトピックでしかない事件から、こういうふうに考えを巡らせたのは、まあごく少数、というか俺ひとりだったろう。

しかし、継続は力なり。こつこつこつと考え続けてきました。

法哲学的にどう「近親相姦」を否とできるかの理路が分からん。つーか訴えたら違憲判決出たりして http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100428/p5

憲法記念日特集で、リレー形式のシミュレーション小説を書こう。この結末は?? http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120503/p5

同性婚も個人の自由である。同様に一夫多妻も個人の自由である」と訴訟を起こされたら(ユタ州)。http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110730/p7

ユタ州「一夫多妻の権利」裁判、合法判決出たらしい…で、これが駄目な根拠ってどう構築するのよ、まじで。http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140113/p3

カソリック枢機卿のこの問いに、何と答える?&宮台真司はこう考える(同性婚問題) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20121124/p3

同性婚(結婚)制試論…愛と家族と「私」と、法と制度と「公」。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120512/p4

「婚姻制度」は一種の”パッケージ契約”。それは可能か?個別契約は不可能か?そもそも「公」に定めるべきか? - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150222/p3

私の提言、渋谷区で実現…同性カップルに「結婚に相当」と証明書を発行。そこから生まれる課題や論点は? - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150212/p2

「家族の在り方は多様でいい」―同性婚も、離婚後も2人で子育ても、愛する人を「養女」にすることも。或いは近親婚や複数婚も。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150701/p2

三省堂辞書の「結婚」項目は、既に同性婚を視野に入れた語釈をしている。http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140504/p2

改憲か、解釈改憲か、それとも護憲か…「同性婚憲法」がついに現実課題に。大屋雄裕氏の論考を再度紹介(with木村草太)http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140607/p2

そしていまや押しも押されもせぬ、はてなダイアリーとtogetterまとめの二冠王となっているワタクシ(なんだそれ)ですが、このテーマでtogetter界にも旋風を巻き起こす!(梶原一騎調)
自分でまとめたものも、コメント欄にお邪魔して議論を展開したものもある。

憲法24条(”両性の合意”)と同性婚の整合性〜大屋雄裕氏、木村草太氏 - Togetterまとめ https://togetter.com/li/531566
婚外子」裁判から大屋雄裕氏が語る、結婚制度のそもそも - Togetterまとめ https://togetter.com/li/562424
同性婚と同様に一夫多妻も認めろ」と結婚届が提出された…というニュースを受けての感想集 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/842981
同性婚禁止を違憲とした連邦最高裁の判決文の結びが歴史の教科書にに残るレベルだと思うので趣味で翻訳(意訳)してみた。 - Togetterまとめ https://togetter.com/li/839844
同性婚夫婦別姓を「選択肢が増えただけ」と認めるなら「近親姦/複婚」なども容認し得るか〜法哲学者・大屋雄裕氏の考察 - Togetterまとめ https://togetter.com/li/1036940
千葉市長・熊谷俊人氏「そもそも夫婦に『特権』のある制度とは何か」「パートナーを造らぬ選択への配慮も必要では」 - Togetterまとめ https://togetter.com/li/1048695
スウェーデン政党の組織が「近親相姦・屍姦・獣姦」の合法化を提言〜その反響 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/943345


そしてだ、こんなふうに思想を練っていくうちに、
「国に制度が無くても、まず地方自治体単位で、同性婚を夫婦的な関係と認めればいいじゃないか。形式的な書類の発行などでも構わない」と発案し、とある地方議員や首長にも提言した。
それからしばらく後、渋谷区で同性パートナーシップの条例が成立。この区には直接働きかけてなかったから、たぶん影響は何もないが(笑)「渋谷区パートナーシップ条例の”思想的な父”」と名乗る資格は得た(笑)


そして、フィクションの形でこの問題を突き詰めた、衝撃の作品がメジャー雑誌「アフタヌーン」に掲載される…

読切漫画「冬の海」は政治的大問題作品。よく載せたな、アフタヌーン…(ネタバレします) - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20151026/p1

「アンクルトムの小屋」「破戒」「橋のない川」「招かれざる客」「紳士協定」「ブロークバックマウンテン」(※議論を呼ぶ例もあるのは承知)…などのように、物語によって差別の問題を描いたこの作品。はっきりと文章や台詞で言わなくても「同性間の愛に向けられる偏見と、近親間の愛に向けられる偏見は同一カテゴリーだよ」と主張するものでした。



そして2017年の話になります。

トークイベント「徹底討論!同性婚法制化の問題点を推進派の弁護士さんに聞いてみた」開催しました! http://blog.goo.ne.jp/ochakkonomi/e/baa7d3e2ab19b9af113e30cdbe19a415
【近親婚について】

<みさえのギモン>
 「同性婚と近親婚は関係ない!」なんて言う人もいるけど,法律婚できない代わりに養子縁組してる同性カップルたくさんいるよね?現行民法の近親婚禁止規定で,いったん養子縁組しちゃうと離縁しても一生婚姻できないことになっちゃってるんだけど,同性婚法制化するならこのへんどうするの?同性婚人権救済申立してる人たちにも養子縁組してるカップルさんいるけど,その人たちは婚姻できないの?
ていうか「誰もが自由に結婚する権利」って言うんなら,そもそも近親婚禁止規定自体おかしくない?なんでダメなの?

<山下弁護士のお話>
 現状法律婚できないため代わりに仕方なく養子縁組している同性カップル同性婚法制化された際に婚姻できないというのはおかしな話であり,あらかじめきちんと救済措置を考えておかなければならない問題である。ちなみに,世界的にみると養子縁組というものは子の養育のための制度であり,家を継ぐ等の目的で成人間で簡単に養子縁組できる日本の法制度はかなり特殊なものである。
 また,近親婚全般についても,基本的には否定されるべきではないと考える。ただし,「育て/育てられ」の親子関係,対等でないタテの関係にも婚姻を認めるのは,婚姻が対等な関係であることから考えると個人的には疑問もある。
 なお,叔父と姪の間柄での事実婚関係を最高裁が認めた判例がある。同性カップルにとっても重要な判例で…(後略)

(略)

【複数婚について】

<みさえのギモン>
 「誰もが自由に結婚する権利」って言うんだったら,3人以上でも結婚できなきゃおかしいよね?ポリアモリーをカミングアウトする人たちも増えてるよね?そのへんどうなの?

<山下弁護士のお話>
 現代日本の法制度上重婚は禁止されているが,その根本的な理由は実は明確ではない。婚姻というものが対等な関係であるということを考えると,3人以上で本当に対等な関係を結べるのかというと現実的にはかなり難しいことも多いのではないかと思われるが,私としては,3人以上で結婚したいという当事者からの訴えがあれば,まずは真摯に話を聞きたいと思っている。ただ,非嫡出子の相続分差別がつい最近まで残り続けていたような日本の現状にあっては,複数婚の話はあまりに先進的であり,社会が追い付いてくるのはまだまだ先であるように思う。しかし,同性婚の議論を始めることで,複数婚や近親婚や,婚姻制度家族制度にまつわるさまざまな問題に…(後略)


どやっ!!
私が2004年から、考え続けてきた話は、徒手空拳、机上の論理じゃないかと言われればそれはあっさり認める。
しかし、以前からこの問題が議論されてたかどうかは知らんが、とまれ2017年、実際に同性婚を推進の立場で組織を作り(http://douseikon.net/)法律の現場におられる人…この問題に関して、おそらく日本で有数の経験を持つ方と言ってもいいだろう…その人が上のように語ったのであった。


そして!上のtogetterまとめやはてな記事にも登場していただいている法哲学者・大屋雄裕氏が、ことしこういう本を出した。

法哲学と法哲学の対話

法哲学と法哲学の対話

対話はすべての幸福か?
「法学」において法哲学の占めるべき位置はあるか,どこに。その内部での議論は実定法学に何を伝えるのか──こうした疑問を受けとめて,気鋭の論者ふたりの対話は,やがて法学の内外へと議論を誘発していく。対話がもたらすものは幸福か。知的世界は変わるのだろうか。

内容(「BOOK」データベースより)
法哲学者ふたりは私たちに「思考」という営為の、鳥肌が立つほどの凄まじさを見せつけるだろう。激しい応酬のさなかに、ときに遊びながら。それは幸福な越境か、さては狡猾な侵犯か。―境界を越える、学問領域のその内に/外に。


ぶっちゃけ、素人が読んでみると、今回の執筆者はみな「学者の論文モード」であり、たとえば大屋氏が新書「自由とは何か」や一般書「自由か、さもなくば幸福か?」を書いたときの文章とは一段も二段もちがう。
ありていに言えば、読むのはやや大変だ。

だが!!



どやどやどやっ!!!


同性婚の問題から敷衍して考えると、複婚や近親婚の問題が法哲学的なテーマとして浮上してくる」ということは、これで確定したといってもいいだろう。少なくとも暴言や放言として位置づけられる話ではない。
いや、法哲学者はノーカンだ、と言われればそうかもだが(笑)




http://omasuki.blog122.fc2.com/blog-date-20130701.html
で、アメリカの格闘家がほぼ同趣旨のことを語り「事実上の謝罪」をするはめになった、と記されている。
また、上のリンクにもあるようにリヨンのカソリック大司教がそう語り、これも騒動になった、と書かれているが、
が、
これはそうさせた「時代の空気」を批判すべきで、あるいは法哲学マインドが一般大衆にはなかなか伝わらない、という残念な事例なのでありましょう。



かつてまた別の碩学樋口陽一氏はこう語った。

個人と国家 ―今なぜ立憲主義か (集英社新書)

個人と国家 ―今なぜ立憲主義か (集英社新書)

樋口 「分かりやすい例でいえば近親相姦(インセスト)タブーでしょう。なぜいけないのかという説明抜きでとにかくそれはいけないとされ、だんだんいけない理由が「いけない」ということを言う方にも理解できるようになる。言われる側もその合理的な思考を受け入れることができるようになってくると、今までタブーとされていた規範はそれなりに重大な理由があったのだということがわかるでしょう」(223p)

彼にも大変学ぶところは多いが、この問題では「思考停止していた」と言わざるを得ない。
思考することをやめてはいけないのだな、と痛感するのである。




で、まとめると、
とにもかくにも、こういう辺境のブログで、ほぼ自分ひとりで思考を巡らせ始めて議論を積み重ねたテーマ(と、主観的には断定できる)が、徐々に形になり、そしてメジャー雑誌の漫画や、実際の運動組織・法曹の団体、法哲学の専門書などで語られるようになった、のであります。

ただ、こうも語られていると、
「いや、このテーマは昔から法律・法哲学の分野で一般的に語られてた、おなじみの話題なんだわ」
というのがオチなのかもしれない。
最初に紹介した二次方程式の挿話のようにね。
それでもまったく構わないので、少なくとも自分個人としては、こういう形で独学で考えていたものが「カタチ」になったということで大満足なのです。


そんな個人的な軌跡の回想を、「法」を論じるにふさわしい憲法記念日に振り返ってみました。

(了)