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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「岩明均絶賛」が全てを語る。「チ。-地球の運動について―」(魚豊)のテーマは地動説

一つ前の記事(「ダンピアのおいしい冒険」に絡めて「海賊の世界史」を紹介した)でほんの少しだけ紹介したけど「ん?考えてみればこの作品を紹介してないよな?」と気づいたのだった。

動かせ 歴史を 心を 運命を ――星を。

舞台は15世紀のヨーロッパ。異端思想がガンガン火あぶりに処せられていた時代。主人公の神童・ラファウは飛び級で入学する予定の大学において、当時一番重要とされていた神学の専攻を皆に期待されていた。合理性を最も重んじるラファウにとってもそれは当然の選択であり、合理性に従っている限り世界は“チョロい”はずだった。しかし、ある日ラファウの元に現れた謎の男が研究していたのは、異端思想ド真ン中の「ある真理」だった――


命を捨てても曲げられない信念があるか? 世界を敵に回しても貫きたい美学はあるか? アツい人間を描かせたら敵ナシの『ひゃくえむ。』魚豊が描く、歴史上最もアツい人々の物語!! ページを捲るたび血が沸き立つのを感じるはず。面白い漫画を読む喜びに打ち震えろ!!

この書影じゃだめかー。
こっちで見せよう

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チ。地球の運動についてー1巻の帯カバーは岩明均の推薦文「まぎれもない才能」

そして、一字一句すべて再現しておこう
『まぎれもない才能を感じる。作者は思慮深い、親切な“案内人”に違いあるまい。そして「歴史」という、すでに答えの出ているはずの世界。なのだけど、あれ……? 読者(われわれ)は一体どこに、連れていかれてしまうのかな?』
…あ、あとから別の画像で、推薦コメントつきのが見っかった。

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岩明均の推薦文付きの「チ。」広告画像

岩明均が推薦した」
この一事を紹介するだけで、自分独自の推薦の言葉を1000字2000字並べるより効果だろう。

子路は一時衛から魯に帰っていた。その時小※(「朱+おおざと」、第3水準1-92-65)しょうちゅの大夫・射えきという者が国に叛き魯に来奔した。子路と一面識のあったこの男は、「季路をして我に要せしめば、吾盟ちかうことなけん。」と言った。当時の慣いとして、他国に亡命した者は、その生命の保証をその国に盟ってもらってから始めて安んじて居つくことが出来るのだが、この大夫は「子路さえその保証に立ってくれれば魯国の誓ちかいなど要いらぬ」というのである。諾を宿するなし、という子路の信と直とは、それほど世に知られていたのだ。
中島敦 弟子

とはいえ、第一話の試し読みがネット上にある。これも紹介するに越したことはあるまい。
spi.tameshiyo.me

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チ。地球の運動について 天体をめぐる議論

緻密な神学に位置付けられた従来の「天動説」に対し、「地動説」が観測や計算によって生まれ出ていくさま……、それを描く作品のようなのだ。

実のところ、「天動説から地動説へ」の経緯は、伝説に彩られて実情が見えなくなっている部分もかなりある。

…地球が動いているかどうかと、太陽と地球のどちらが宇宙の中心であるかは異なる概念であり、地動説は「Heliocentrism」の訳語として不適切だとの指摘もある。聖書の解釈と地球が動くかどうかという問題は関係していたが、地球中心説カトリックの教義であったことはなかった[1]。地動説(太陽中心説)確立の過程は、宗教家(キリスト教)に対する科学者の勇壮な闘争というモデルで語られることが多いが、これは19世紀以降に作られたストーリーであり、事実とは異なる[1]。
ja.wikipedia.org

…この裁判には疑問が多いことから、19世紀後半から検証が行われた[52]。第1の大きな疑問は、1616年の判決が2種類あり、内容がまったく逆であること、第2には、『天文対話』の発刊にはローマ教皇庁から正式の許可があったにもかかわらず、発刊をもって異端の理由とされたことである。

Giorgio di Santillanaらによれば、有罪の裁判記録そのものが、検邪聖省自身が偽造したものであった。もちろんこれをただちに信じるわけにはいかないが、無罪の判決文が無効という証拠がいまだ見つからないことと、第2の理由もこれにより説明がつくことから、署名のない有罪の判決文は偽造であるという考えが強くなっている[注 7]。ただし、この1616年の有罪の判決文が偽造であるという説については、偽造した者が誰なのかいまだにわかっていないということもあり、ただちにこれを認めることはできないという主張がある。
ja.wikipedia.org


ただ、その「19世紀以降のストーリー」に基づいて物語が描かれても、非常に興味深いものになるだろう。
いまもすでに、この地動説に関する文書を、人の手から手に、どう伝えていき、さらに研究を深めていくか?という、忍法ものの「巻物争奪戦」的な伝奇サスペンスふうな味付けもされているのだから。

編集部も、すごく手ごたえを感じているらしい。

「この作品はすごい。なぜなら、傑作だからだ」的なトートロジーというか、そのまんまストレートに「これは、傑作です」と認定すること、そのものをPR手段としている。

これ、講談社もやったことあったんだよ。それは「聲の形」連載開始のとき。
たしかに、それに値する話題作だった。

m-dojo.hatenadiary.com


つまり出版社は違えど、あれに相当するようなものだ、とビッグコミックスピリッツ編集部は思っていて、こういう売り出し方をしているのだろう。
そして、12月と1月の、連続2カ月コミックス発行というのも、ひとつのスペシャル的扱いなのだろうよ。

私達はこの世界に絶望すべきなのか――?

地動説を生き延びさせるために、神童ラファウが自ら命を絶ってから10年が経った。代闘士として殺人を繰り返す超ネガティブ思考の青年・オクジーは、同僚の超ポジティブ思考の男・グラスに「絶対の信頼がおける『希望』を見つけた」と告げられる。そしてグラスが取り出したのは、「火星」の観測記録だった――
あらかじめ絶望しておけばそれ以下の悲しみも苦しみもない。ならばこの世界に絶望しておくのが正解なんだろうか? いや、そんなことはない。 まったく違う。その理由はこの漫画に描いてある。

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「売りは傑作であることです」という、「チ。」の宣伝文

この作品の最初の章では、「あの手法」を使っている?

自分はこの手法を、別の歴史漫画「O」で読んで、『あーうまいことやるもんだな、確かにすごく効果的だ、それにここでしか使えないし。…でもやっていいんか、これ…』 と思ったんだが。
ただ、それはちょとしたトリックなのかもしれない。そのへんもちょっと興味がある。
その手法に関しては、語ってしまうとネタバレじみてしまうので、リンクを張る形で別部分で語る。
m-dojo.hatenadiary.com

ここは、どうなるんでしょうね???