記事入力 : 2020/07/13 08:59
【社説】ペク・ソンヨプ将軍を弔問するのは大韓民国大統領の義務だ
享年100歳でこの世を去った6・25戦争の英雄、ペク・ソンヨプ予備役大将に各界から弔問と哀悼の声が相次いでいる。ペク将軍がいなければ、今日われわれが享受している自由と平和と繁栄はなかったし、大韓民国そのものが存在しなかっただろう。70年前に破竹の勢いで押し寄せてきた北朝鮮軍の前で、洛東江に最後の防衛戦を敷いたペク将軍は、恐怖におののく兵士たちに「われわれが引き下がれば米軍も撤収する。私が後退したらおまえたちが私を撃て」と言って先頭に立って突撃した。ペク将軍は8000人の兵力で北朝鮮軍2万人の総攻勢を1カ月以上防ぎ、戦況をひっくり返した。奇跡のような出来事だった。ペク将軍は仁川上陸作戦成功後、米軍よりも先に平壌に入城し、1・4後退後のソウル奪還の際にも先頭に立った。
ペク将軍は韓国軍創設にも参加し、休戦会談では代表を務め、韓国軍初の大将になり、陸軍参謀総長に2回就任するなどして韓国軍を再建した。韓国軍を「民兵隊」のように扱っていた米軍も、ペク将軍にだけは「最高の野戦指揮官」として尊敬の念を惜しまなかった。在韓米軍司令官が新たに任命されたときは、必ずペク将軍を訪問して転入を報告し、米陸軍歩兵博物館には彼の肉声による証言が永久保存されている。「6・25の生きた伝説」「救国の英雄」「韓米同盟のシンボル」など、ペク将軍を説明する多くの言葉をいくら使っても、彼の業績を全て説明するのは難しいほどだ。
ところがこの偉大な護国元老が、自ら命懸けで守り抜いた祖国から晩年に受けた仕打ちを考えると、惨憺(さんたん)たる思いがするどころか信じられないほどだ。左派執権勢力は彼が日帝強占期に日本軍にいた記録だけを強調し、機会があるたびにあしざまに非難し罵倒してきた。ペク将軍は日帝治下で生まれた。その世代の人たちにとって、大韓民国という国そのものが想像もできないものだった。今の観点からその時代を裁き、ペク将軍を「独立軍を討伐した親日派」と呼んでいる。ペク将軍は「当時は中共八路軍とは戦ったが、独立軍など見たこともない」と語ったにもかかわらず、その言葉は聞こうともしない。
文在寅(ムン・ジェイン)大統領はペク将軍のような人物ではなく、南侵の功績で北朝鮮で重用された人物を「韓国軍のルーツ」と呼んだ。韓国与党・共に民主党はペク将軍の死去に哀悼の声明は一言も出していないが、これはどう考えても異常だ。ソウル市長の自殺について「過は過、功は功」として美化する人間たちが、国を救ったペク将軍の「功」からは顔を背け、「過」ばかりを無理やりつくり上げ歪曲(わいきょく)しているのだ。
韓国政府はペク将軍を12万人の6・25戦友が眠るソウル顕忠院に埋葬するよう求める各界の求めを無視した。「場所がない」というあり得ない理由で大田顕忠院に埋葬するという。しかも与党の一部議員らは「親日派破墓法」の成立を推進しているのだから、後になって何が起こるか分からない。左派団体からは「ペク将軍が行くべきところは顕忠院ではなく靖国神社」という言葉まで出ている。国と民族のために命をささげた英雄の安息の地である顕忠院にペク将軍が入れないのなら、一体誰が入るのか。金元鳳(キム・ウォンボン)のような人物を移葬するのだろうか。今の大韓民国を存在させた護国英雄の最後の道が、このような論争の対象になるのは恥ずかしいことだ。全ての国民を代表する公職者であり、韓国軍統帥権者である大統領がペク将軍を弔問するのは最も基本的な義務だ。
- 作者:白 善〓@57F6
- メディア: 単行本
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