INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

北朝鮮の美化・正義化をした一人に「松本清張」氏がいる【今月、朝鮮戦争70年】

【6月25日は朝鮮戦争70周年です】

朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)は、1948年に成立したばかりの朝鮮民族の分断国家である大韓民国南朝鮮、韓国)と朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)の間で生じた朝鮮半島の主権を巡る国際紛争[11][12][13][14][15]。1950年6月25日に金日成率いる北朝鮮が事実上の国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略を仕掛けたことによって勃発した[16][17]。
ja.wikipedia.org

共同通信で一貫して朝鮮半島の報道に携わってきた黒田勝弘氏の、こういう著作がある。

近いがゆえの因縁をソウル在住30年超の日本人ジャーナリストが追う

日本は朝鮮半島から離れられない――

激動の歴史の中で起きたさまざまな事件を追うと、
現代の絡み合った両国関係の背景が浮かび上がってきた。

35年に渡って韓国に暮らす著者は、終始、かの地に刻まれた「日本の足跡」が気になっていた。
韓国併合、敗戦と引き揚げ、国交正常化、南北対立――
激動の歴史の中で、日本は朝鮮半島へ押しかけ、押しかけられ、引き込まれ、そして深入りしてきたのだ。
そしてわれわれは今、韓国・北朝鮮との付き合い方に悩まされている。
少し時間をさかのぼれば、その理由が見えてくる。


この第十一章「朝鮮戦争が始まった」には小見出しで「著名作家・松本清張北朝鮮幻想」というくだりがある。

…日本社会の政治的、社会的混乱は、朝鮮戦争の後方基地の混乱、かく乱につながる。文字通り”第二戦線”での北朝鮮支援の戦いだった。
さらに、より端的な事件としては翌六月、大阪の吹田操車場で開かれた朝鮮戦争二周年記念の集会・デモがそうだった。ここでもデモが暴徒化し警官隊と激しく衝突した。吹田騒擾事件といわれたが、鉄道の操車場が舞台になったのは、具体的目標として「朝鮮戦争への米軍輸送阻止」が狙いになっていたからだ。
朝鮮戦争をめぐる日本での『戦いは、そうした政治的事件もさることながら、いわゆる知的世界でも激しかった。思想対立あるいはイデオロギー対立といってもいいが、その結果は今考えると意外だが、実は北朝鮮(共産主義勢力)支持派あるいは反米派が圧倒的に優勢だった。-ジャーナリズムをはじめ戦後日本の知的世界を支配したのは、日本の過去(軍国主義日本など)を過度に否定する、今でいう自虐史観、贖罪史観であり、過去への反動と未来志向として共産主義社会主義への憧れだった。筆者が大学生になった一九六〇年(昭和三十五年)当時も、まだその雰囲気は色濃く残っていた。
学生時代の周囲の知的雰囲気を簡単にいえば「贖罪意識と社会主義幻想と革命的ロマンティズム」だった。これを「朝鮮」に関していえば北朝鮮幻想(あるいは金日成幻想)である。筆者もその雰囲気の中にいた。
 
その結果、問題の朝鮮戦争については当然、北朝鮮支持が大勢であり、帝国主義サイドの米韓は態にで社会主義サイドの朝中は善玉ということになる。朝鮮戦争そのものについてもその図式だった。
あの戦争を誰が起こしたのかという起源をめぐって日本では、長い間、「米韓側が仕掛けたもので、北朝鮮はその米韓の侵略に対して反撃した」という、北朝鮮が主張する虚構の「祖国防衛戦争」論がまともに信じられてきた。あるいは教科書や新聞報道などでも、単に「戦争が勃発した」というあいまいな表現がもっぱらだった。
北朝鮮軍の侵攻」と書かないことで北朝鮮(共産主義勢力)側を擁護し彼らの主張に加担したのだ。朝鮮戦争を実証的かつ明確に、北朝鮮が引き起こした韓国への侵略戦争だと書いた研究者の本は、一九六六年に市販された神谷不二慶應大学教授の『朝鮮戦争』(中公新書)が初めてだったと思う。
したがって、戦いという意味では、朝鮮戦争の真相をめぐる日本に対する北朝鮮(共産主義勢力)側の謀略・情報工作は大いに功を奏し、彼らが勝利していた。以下では、その背景になった日本における朝鮮戦争をめぐる『北朝鮮幻想"の象徴として、作家・松本清張(一九〇九~九二)のことを取り上げる。というのは、筆者も彼のそうした作品にだまされた一人だったからだ。

(略)
……(松本清張は)『点と線,『ゼロの焦点』『黒い画集』『黒い福音』『霧の旗』をはじめ数多くの作品で知られるが、 一方で社会派推理作家らしく、戦後の日本社会を揺るがした多くの社会的、政治的事件を素材に、 その謎解き」に取り組んだ作品も多い。その代表作がノンフィクション作品集『日本の黒い霧』 である。

「この作品は一九六〇年(昭和三十五年)に月刊『文藝春秋』に一年間、連載された後、単行本と してまとめられ、一九七四年には文春文庫として出版された。さらに二〇〇四年にはその新装版が あらためて出版されている。 一九六〇年というのは筆者が大学に入学した年でもあるが、政治的には日米安保条約に反対する 学生運動を中心に大規模な反政府運動が展開されている。いわゆる「安保闘争」の時代である。あ る意味では左翼全盛の時代であり、学生として筆者もその渦中におかれた。 そんな社会的雰囲気のなかで書かれた『日本の黒い霧』は、戦後に起きた各種事件の背景には米 国の意図が働いていたという謎解きをしてみせたものである。二〇〇四年に出された新装文庫 版の帯では「恐るべき米国の謀略を暴く衝撃のノンフィクション」と銘打たれている。 このPR文句からも明らかなように『日本の黒い霧』は全編、すこぶる反米色の強い内容だった。 そこで謎解きの対象に取り上げられたのは十二件だが、……(略)…大胆過ぎる推理が展開されている。そしてその最後に登場するのが「謀略奪鮮戦争」である。

つまりあの朝鮮戦争は、北朝鮮ではなく米国の謀略によって引き起こされたというのが松本清張の推理だった。これが書かれたのは一九六〇年だが、この主張が半世紀以上たった今もそのままたのとして流通していることになる。
その後のソ連共産圏の崩壊によって公開された旧ソ連の内部資料や、開放・改革に踏み出した中国での証言、さらには米国立公文書館で公開された、朝鮮戦争当時、米軍が北朝鮮側から押収した秘密文書などによって,戦争の起源をめぐる「米韓の北進説」「米謀略説」はすでに完全に否定されている。もはや北朝鮮の主張を支持するのは北朝鮮しかいないのが現状である。松本清張も当時,著書ではこんな弁明を書いている。このような資料からみると,南朝鮮側が三十八度線で先に火蓋を切った、という強い印象は免れない。しかし,もう一度繰返すが、南朝鮮側に比して北朝鮮側の資料は極めて手薄である。比重は南朝鮮側に遥かに重い。従って,この資料からは韓国やアメリカ側に歩の悪い結論の引出しとなった。もし、同量くらいの資料が北朝鮮側から発表されていたら、この比較はもっと明瞭になり、公平になるだろう」
しかし,それにしては断定ぶりがひどい。その背景には明らかに北朝鮮幻想がある。「謀略朝鮮戦争」では戦後の朝鮮半島情勢が終始,米韓悪玉論と北朝鮮称賛で語られている。


うわー、だいぶ引用しても、まだ終わらないや。
分量的な問題があるので、以下は残念ながら箇条書きの要約にする。

・まるで”御用作家”の従軍記。たとえば反撃して敗走する北朝鮮軍が民家に飛び込んで軍服を着替えて住民のフリをして敗走することを「北朝鮮軍に対する好意がなくてはできない」「すなわち、革命への共感であり同情」と記述するなど。
・その後、清張は北朝鮮がらみの小説「北の詩人」を欠く。これもヒドイし、そもそも北朝鮮当局の「朴憲永裁判記録」に全面依拠して書いている。
北朝鮮の激しい権力闘争と、朝鮮戦争失敗原因の責任転嫁によるライバル粛清で朴憲永が処刑されたとされる事件の関係者を、清張は「米国のスパイだった」という扱いで、実名を出して書いている。当時から、強い批判もあった。
・人物像や経歴にもさまざまな嘘がある。なぜか、実際にはやせぎすの人物を「でっぷりと」「肥えた片頬」など、太り気味のように描写している。どうも、清張にとっては、「米国のスパイになり人民を裏切る、死刑になって当然の悪いやつ」は「肥えて肉づきがよく、ヘアスタイルも整っていて、眼鏡をかけた」ブルジョア風でなければならないという偏見があったようだ。


・・・・・・時代的な資料の限界は当然あっただろうが、推理小説家らしからぬ(?)エビデンスなしの偏見や余談に基づいた記述が多い、とは、松本清張の近代史系考察では他でも言われている。
あるいは敢えておもしろおかしく、伝奇的に推理したいという欲もあったのかもしれぬ。
それとは別に、問題設定力や、アナウンス力などでは評価される点も多い、などは、一回転していまの井沢元彦氏にも通じるものがあったり、という。


なんにせよ、
「日本の黒い霧」転じて「清張の黒歴史」になった感あり。