今日は現在より72年前、朝鮮戦争が起きた歴史的な日です。金日成の貪欲が招いた北朝鮮の侵略に向かって自分の身を捧げながらも戦い抜いた数多くの英雄に最も厳粛な感謝を申し上げます。
— セモ (@Polandball_2003) June 24, 2022
彼らの犠牲が無かったら、私は今ごろ監獄のような国で飯もちゃんと食えず「将軍様万歳」を叫んでたはずです。
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学徒兵
— スウビャム💉💉💉 (@Foxtrot19_RADAR) July 12, 2021
6月25日。北朝鮮の奇襲で始まった朝鮮戦争は、当時の機甲戦力を前面に押し出した北朝鮮軍隊に押され、釜山の洛東江で国の存廃を決定する戦闘を繰り広げることになる。その過程で中学生だった彼らも国を守ろうという気持ちで軍に志願し、最前線で戦うことになった。この手紙もそんな学徒兵が書い pic.twitter.com/LZ9azcS1ga
た手紙だが残念なことにこの手紙は彼が直接送ることができなかった。
— スウビャム💉💉💉 (@Foxtrot19_RADAR) 2021年7月12日
この手紙は浦項戦闘で死亡した48人の学徒兵中一人、イウグン郡の胸に抱かれていた血のついた手紙が、死後発見されたのだ。
彼の年は中学3年生だった。
引用された学徒兵がモデルかどうかは知りませんが、「砲火の中へ」(原題)という映画にも似た話が出てきますね。観てて泣きそうになりました(韓国映画は涙腺を緩ませるものが多い)。
— TawaraStar (@TawaraStar) 2021年7月12日
戦火の中へ | TOHOシネマズ https://t.co/Qk60w26DCX #tohocinemas_m
はい、この映画がそのイウグン学徒兵の話を扱った映画です。
— スウビャム💉💉💉 (@Foxtrot19_RADAR) 2021年7月12日
すごいですね。まさにこの映画を思い浮かべるなんて。
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動画『アメリカはなぜ朝鮮戦争を戦ったのか?』を訳してみた。2016年5月公開。5分でわかる朝鮮戦争。アメリカにとって韓国がどのような国なのかを理解する一助になればと思います。https://t.co/fjiyenk44d pic.twitter.com/57B9Pa5GTI
— tarafuku10 (@tarafuku10) July 29, 2019
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今日、朝鮮戦争を話題にすれば、多くの人はぼんやりとした目であなたを見るだけだろう。第二次世界大戦が終結して5年しか経っていなかった当時、朝鮮戦争は、民主主義と共産主義が真正面から角を突き合せた、世界の未来を変えるような紛争だと認識されていた。 pic.twitter.com/ErdfpuA1BT
— tarafuku10 (@tarafuku10) 2019年7月29日
朝鮮戦争は、1950年6月25日、ソ連の支援を受けた共産主義の北朝鮮が38度線を超え、米国が支援する反共産主義の韓国に侵攻したときに始まった。数週間のうちに、共産主義者は韓国全体をほとんど呑み込んでしまった。当初、米国はまごついた。対応すべきか、いや対応できるかどうかすら量りかねていた。 pic.twitter.com/x5H7wOmR9j
— tarafuku10 (@tarafuku10) 2019年7月29日
第二次大戦後、米国は軍事予算を削減しており、人も装備も足りなかった。米国は、ソ連の拡張主義的な脅威について、まだ完全には気づいていなかったのだ。
— tarafuku10 (@tarafuku10) 2019年7月29日
原子爆弾の開発の成功と中国における毛沢東による共産主義の勝利に活気づくソ連は、米国の意思の欠如を感じ取り、武力侵略を北に促した。 pic.twitter.com/xb87Dqrt83
しかし、数週間のうちに、ハリー・トルーマン大統領は、朝鮮半島の南の端にある釜山周辺にまで押し込められた国連軍を救うため、軍を急派した。1950年9月後半には、ダグラス・マッカーサー元帥が仁川(インチョン)上陸作戦を成功させ、反撃を開始した。 pic.twitter.com/m6p3FqlSse
— tarafuku10 (@tarafuku10) 2019年7月29日
マッカーサーは速やかに半島の南半分を取り戻した後、米国が主導する国連軍を北朝鮮に送り込んで半島を統一しようとした。しかし、中国国境の鴨緑江を越えてきた何万人もの中国人民志願軍の不意打ちを受け、数に劣る国連軍は再び南部に押し戻された。 pic.twitter.com/il8XVDRFNV
— tarafuku10 (@tarafuku10) 2019年7月29日
1950年12月に最高司令官として韓国に着任したマシュー・リッジウェイ大将の卓越した能力により、米国率いる国連軍は100日ほどで共産主義者を38度線の向こうに押し戻した。戦闘は熾烈を極めた。韓国の首都・ソウルの支配権は、最終的に西側が手中に収めるまで、共産主義勢力と国連軍の間で5回移動した。 pic.twitter.com/fuTcY0AjW8
— tarafuku10 (@tarafuku10) 2019年7月29日
1952年から1953年にかけて、両軍とも決定的な一撃を繰り出すことはできず、戦争は膠着状態に陥った。1953年7月、緊張の解けぬまま、紛争は遂に休戦を迎えた。それから60年以上にわたり、スターリン主義の北朝鮮と、1980年代までには民主的で経済的大国に成長する韓国の間で、冷たい戦争が続いた。 pic.twitter.com/vtQeT0CMl4
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朝鮮戦争で死んだ米国人は35,000人超。これは、核時代初の大きな軍事衝突であり、米国が明確な勝利を手中にできず、降伏条件の交渉で絶対的優位性を発揮できなかった戦争でもある。朝鮮戦争を戦い、半島全体の統一なく南部を取り戻したことは、莫大な人的犠牲と財務的損害に見合うものだっただろうか? pic.twitter.com/zMsewkcG2O
— tarafuku10 (@tarafuku10) 2019年7月29日
半島南部を救ったことの価値は、言うまでもなく、民主的で繁栄する国へと進化した今日の韓国である。5,000万人の韓国国民は、夢にも思わなかったような自由と豊かさを享受し、ヒュンダイ、KIA、LG、サムソンなどの企業は一流の製品を世界に供給している。 pic.twitter.com/84Cy1PVc4U
— tarafuku10 (@tarafuku10) 2019年7月29日
韓国は模範的な地球市民であり、米国の強力な同盟国だ。何百万もの自国民を飢えさせ、殺し、国際社会に多大な損害を与えてきた北の共産主義体制とは極めて対照的だ。米国が介入して韓国を支援しなければ、平壌の非道な政府が半島全体を支配し、核武装した独裁者はより大きな力と資源を得ていただろう。 pic.twitter.com/BiA8IjCZgl
— tarafuku10 (@tarafuku10) 2019年7月29日
韓国を救うという米国の努力は、共産主義の中国とソ連に対して、米国をリーダーとする自由社会は、共産主義者による軍事力での自由国家の乗っ取りをこれ以上許容しないというメッセージを送った。それにより生まれた抑止政策は、共産主義社会が日本、台湾、西欧に対して同様の奇襲をかけるのを防いだ。 pic.twitter.com/Gu4unPm1Hn
— tarafuku10 (@tarafuku10) 2019年7月29日
最後に、朝鮮戦争は、軍備縮小と孤立主義の危険性を米国に気付かせ、世界の共産主義を封じ込めるという党派を超えた外交政策を生んだ。この政策により、1989年にソ連は遂に崩壊し、米国は冷戦に勝利した。
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朝鮮戦争は、北朝鮮の解放と半島の統一に失敗したことから、米国の完全な勝利といえないが… pic.twitter.com/fMleO9VtPV
…勝利であることはまちがいない。そしてそれは、軍事的な勝利であるだけでなく、道徳的な勝利でもある。朝鮮半島で35,000人のアメリカ人が死んだ理由は、朝鮮半島の少なくとも 半分の人々の自由を守るためだった。米国の利益となるような物質的な資源は朝鮮半島には何もなかったのだ。 pic.twitter.com/PTDjUtoFDw
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朝鮮戦争には、ぼんやりとした視線以上の価値がある。誇りをもって記憶し、研究する価値があるのだ。
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フーバー・インスティチューションのビクター・デイビス・ハンソンでした。(了) pic.twitter.com/xt1iBCSaq4