横田滋さん死去
— NHKニュース (@nhk_news) June 5, 2020
中学1年生の時に北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親で、40年以上もの間、娘の救出活動を続けてきた横田滋さんが亡くなりました。87歳でした。https://t.co/76re8j2Dtm pic.twitter.com/YwbSCMgtU4
多くの報道があった。
拉致問題は、1988年に国会答弁で政府も「拉致事件がある」との認識を示したものの・・・・・・・2002年に小泉純一郎の訪朝、そして金王朝の金正日自身がそれを認めるまでと、それ以前ではまるで世間の受け止めが違う。
2002年以前の拉致被害者奪回運動は、まず政府行政、政治家、メディアも多くが冷淡で、そしてまた、金王朝と組織的なつながりのある勢力や、シンパ的な人物からの積極的な「妨害」「懐柔」も多かった。
平成3年1月16日、私ども夫婦と私の妹、Iさん(北海道)のお母さんとお兄さんの5名は、外務省への「救出要請」の後、同省近くの会場で記者会見をもち、「事件を公表して世論を喚起し、国に早期解決を促す」事を企図していた。
一連の行程は全てNHKが手配し、同社は記者会見の幹事会社を引き受けていた。
しかし、15日夜神戸放送局の記者・山本浩氏から私宛に連絡が入り、「記者会見の前に、東京で会って欲しい人が居る」と申し入れがあり、事情が分からないまま、承諾した。
当日、記者会見場に報道各社を待機させたままで、有本・I(家族側5人)は、NHKの崎本利樹氏(東京)・田村啓氏(神戸)の2名の記者に、ウニタ書房の遠藤忠夫氏を紹介され、計8名による会談がもたれた。
遠藤氏は「氏名および住所を公にすると、日朝交渉に伴う水面下の努力が水泡に帰すので、止めて欲しい」と懇願し、「替わりに金日成の主治医につながる確かなパイプを有しているので、1~2ヶ月待ってもらえれば解決できる。」と事実上の会見中止を要請し、家族側は同意せざるを得なかった。記者会見は開かれたが、当初の私達家族の目的は頓挫した。
そういう「妨害」に立ち向かう芯の強さが横田夫妻には、物静かなふるまいの中にあったからこそ、逆に言えば2002年の一定の成果につながったのだろう。
それがなければ、ぶっちゃけ金丸信/野中広務/石井一/加藤紘一…氏らの進める路線の上で、日朝外交は進んだ可能性すら高い。
それでも家族会としての一定成果は揚げられても、個人としては多くの願いが叶わなかった。
本当に残念かと思う。魂に平安れと祈らずにはいられない。
- 作者:横田 早紀江
- 発売日: 1999/11/01
- メディア: 単行本
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