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【メモ】近代立憲君主列伝。占領軍のナチスの敬礼を無視したデンマーク王、「ベルギーは道ではなく国だ」の名言を残したベルギー王など

立憲君主制の現在: 日本人は「象徴天皇」を維持できるか (新潮選書)

立憲君主制の現在: 日本人は「象徴天皇」を維持できるか (新潮選書)

  • 作者:君塚 直隆
  • 発売日: 2018/02/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


この本自体は、もとっと幅広く制度や人物を紹介している(アジアの君主も紹介しているし、イギリスは清教徒革命の時代の記述もある)けど、俺用私的メモとして、以下の人物の記述をの残しておく
君主なら「列伝」じゃなく「本紀」じゃねーの?とかはおいとけ。

立憲君主列伝

イギリスのジョージ5世

「幸先の悪い新世紀」と呼ばれた1901年1月のヴィクトリア女王崩御の後を継いだエドワード7世の治世は9年しか続かなかった。7世崩御を受けて、1910年に英国王となったジョージ5世は45歳での即位であり、元々は王位継承権1位でもない、生粋の軍人であった(学歴もオックスフォードやケンブリッジではなく王立海軍兵学校卒である)。
ただ、第1次世界対戦に際し極めて謹厳実直で国民の模範になるような質素倹約、慰問や激励などを精力的に行い強い支持を得る。1924年、初の労働党政権が誕生した時も日記には「おばあさま(ヴィクトリア女王)が生きていたらなんと言うだろう」と率直な驚きを表明したものの、中立公平に新政権をサポートしスムーズな政権交代を せしめた。
その少し前、極東から軍艦に乗って訪れた皇太子裕仁、後の昭和天皇を極めて親身に歓迎し、昭和天皇立憲君主の模範としてジョージ5世を敬愛したと言う。

デンマークのクリスチャン10世

第二次世界対戦当時の国王。1940年4月9日、コペンハーゲンアマリエンボー宮殿の窓をスタウニング首相が叩いた。 ドイツ軍の奇襲を知らせるために。
宮殿を取り囲んだドイツ軍と国王の近衛兵は戦闘に入ったものの、16人の戦死者を出し降伏。デンマークナチスの「保護下」に入った。
この占領翌日から老国王は毎日コペンハーゲンを馬で散策した。それは無言の抵抗運動と国民からはみなされていた。なぜならドイツ兵が彼に敬礼しても国王は一切無視し、普通に挨拶する一般市民にはいつも通り優しく言葉をかけたのだから。
1942年9月、国王の72歳の誕生日にベルリンからヒトラー総統直々の電報が届いた。これに対して国王の返礼は「お言葉に感謝する。クリスチャン国王」という無味乾燥な返信電報でありヒトラーは激怒したという。
デンマーク在住ユダヤ人に「ダビデの星」をつけさせるという要求にも断固反対し、ドイツ占領下でデンマークユダヤ人は98%がホロコーストを逃れたと言う 。1945年5月デンマークが連合軍により解放されると5月9日国王は王妃と共に馬車でコペンハーゲンの大通りを更新し議会の開会式に向かった。

ノルウェーのホーコン国王

こちらも1940年4月9日…デンマークと同じ日にドイツ軍の進撃を受ける。 国王と皇太子は北に逃れ交戦するが長くは持ちこたえられず2ヶ月後の6月7日にイギリスに亡命し、「自由ノルウェー」という抵抗組織を立ち上げる。これはその後2016年に映画となっている。
ノルウェーの現国王であるハーラル5世ナチスの侵略時に3歳だった。
日本の上皇陛下は皇太子時代、最初のノルウェー訪問の時にホーコン7世と直接の面識がある。そのことを2005年の訪問の時に振りかえったスピーチは非常に感慨深いものとなったという。


ベルギーのアルベール一世

アフリカのコンゴ自分の私的な領土とし、富を得るために多くの人命を奪ったことで知られるレオポルド2世の後を継いで即位した(ただし息子ではなく甥てある)。
即位5年後の1914年8月2日、ドイツ軍(これはナチスでなく第1次世界大戦の帝政ドイツである)が隣国ルクセンブルグを奇襲した。そして同日夜、ドイツ政府はベルギー政府に通達を行った。「ベルギー領の、軍通過を許可してくれれば一切の危害を加えない」 …逆に言えば認めなければ敵に回るということである。
これを受けた閣議で国王が言った言葉が歴史に残る。
「ベルギーは国だ。道ではない」
この徹底抗戦は最終的には継続できず、国王は亡命政権をフランスに樹立することになるのだが一時はドイツ軍も撤退し、トータルで言えば彼らの計画が2日遅れたと言う。その間にフランスとイギリスが準備を整えることができ、第1次世界大戦の結果を左右する重要な出来事だと言われている。
ただしその後、1934年に事故死したアルベール一世の後を継いだレオポルト3世は、今度は第二次大戦において、ナチスに抵抗した他の立憲君主とは異なりドイツ軍との徹底抗戦を避け、全面降伏し幽閉生活を送る。 正しかったか間違ってたかはさておき、国語制度は維持されたものの、1951年に退位することとなった。