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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

ジャイアント馬場、チェ・ホンマン…いわゆる「巨人症」の運動選手とは何かについてのメモ

巨人軍の巨人 馬場正平

巨人軍の巨人 馬場正平

  • 作者:広尾晃
  • 発売日: 2015/11/15
  • メディア: 単行本
国民的スター“ジャイアント馬場"の知られざる野球時代。

新潟三条での青春時代、モルモン教との出会い、難病“巨人症"との闘い、憧れの読売巨人軍入団、長嶋茂雄王貞治との交流、プロの壁、成功率1%の大手術、二軍での馬場旋風、早すぎる引退。
偉大なプロレスラー・ジャイアント馬場の「野球選手」としての実像に迫る。


という本がある。
ジャイアント馬場がプロレスラーとして活躍する前は…、考えてみればダジャレみたいだけれども「読売巨人軍」に所属し二軍で結構いい成績を収めたピッチャーであることは「プロレススーパースター列伝」「ジャイアント台風」の読者には周知の事実。しかしまぁそもそも、その両作品読んでない人がほとんどらしい。

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どえらくジャイアント馬場ってのはでっかい!/プロレススーパースター列伝より

義務教育の足りないところがよくわかる(なんでだよ)。


実は自分も「列伝読者」だった少年時代はそんな発想はなかったんだけれども、考えてみれば二軍選手であっても、天下の巨人軍でプロ野球選手として活動するというのは、その時点でアスリートとしての超エリートなのである。
そしてプロ野球というのは日本のスポーツの中で一番記録性という点で充実している。そういう記録や証言をもとに、プロ野球選手としてのジャイアント馬場を検証した本である。
先行して柳澤健「1964年のジャイアント馬場」でも、かなりのスペースをとってこのプロ野球選手(アスリートエリート)としての馬場正平を記述しているけど、逆にその本の足らざるところ、細かな事実関係を修正すると言う特質もある。

1964年のジャイアント馬場 (双葉文庫)

1964年のジャイアント馬場 (双葉文庫)

  • 作者:柳澤 健
  • 発売日: 2019/01/10
  • メディア: 文庫


ただ自分はプロ野球についてはあまり詳しくないこともあり、野球選手としての歩みの紹介より、もっと個人的に興味深い記述があった。
それは第2章「巨人の系譜」。
そもそもジャイアント馬場の大前提である2メートル9センチの長身は、通称で「巨人症」と呼ばれる脳下垂体腺腫(下垂体腺腫)によるものであることを説明し、その上でこの病気の特徴、現在の医学的な治療法、その治療法確立までの歴史、そして古今東西の著名なスポーツアスリートの中で巨人症が疑われる人たちの「系譜」をたどっているのである。

考えてみればこれもまさに「周知の事実」ではあるんだけれども、やはり少しばかり機微にわたる話なので、あまり公には語られてこなかったものだと思う。


そもそも「ジャイアント馬場」という名前に特別の意味を感じる昭和のプロレスファンももうすぐ、時代の忘れ物になる。平成の格闘技で強烈な印象を残した韓国の大巨人チェ・ホンマンも、今では覚えてる人がどれぐらいいるだろうか。

そして後述する理由で、これからこの話題はさらに知る人が少なくなっていくだろう(いいことではあるが、これまた後述するが厄介な問題もひとつある)。だからこそ、ここで総括しておきたい。


以下、かなりボリュームのある記述を箇条書き化する。

・脳下垂体腺腫は良性の腫瘍。だがなぜ腫瘍ができるかわからない。少なくても遺伝ではない。


・脳下垂体は頭蓋骨のほぼ中心、眉間から奥に向かって7センチ前後にあり、細い茎で脳からぶら下がっている。脳から垂れ下がっているから脳下垂体というのだ。


・大きさは女性の小指の先端ぐらい重さは1グラム程度。様々なホルモンを分泌するので、腫瘍の場所によって症状も様々。巨人症状もそのうちの一つである。「成長ホルモン産生腫瘍」と呼ばれる。


・発症時期が15歳以下だと身長全体が異常に伸びる。成人になってから発病すると身長は伸びないが額や顎が突き出て手足が肥大化する。以前は末端肥大症と言ったが、今はアクロメガリーと呼ばれる。病気としては巨人症状と末端肥大症は同じ病気。


原発性脳腫瘍は100万人あたり100人が発症し、その1/520人が脳下垂体腺腫、さらに1/4程度がアクロメガリーになる。男女差、国の差などはなく、確率的にいえば宝くじより低い確率だ。


・この病気では視野が欠ける症状も出てくる。ジャイアント馬場が野球で大成しなかったのはこの視野が欠ける症状が出たからでもあった(手術した後治ったかもしれない)。またそもそも成長ホルモンが徐々に悪い影響身体全体に与える。糖尿病、心筋梗塞、大腸がんなど。巨人症とは15歳以下で発症することだから平均寿命は40代であってもおかしくない。ババの61歳は長命と言える。

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ジャイアント台風」馬場の巨人軍時代の脳腫瘍手術について
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ジャイアント台風」馬場の巨人軍時代の脳腫瘍手術について

www.sukima.me



・ここが重要だが、現在治療法は確立している。様々な検査をした後手術するのだが、ジャイアント馬場が巨人時代に行った開頭手術ではなく、今は鼻から内視鏡入れて手術が可能になっている。傷も残らないし手術時間は2時間程度。まれに腫瘍が広がってる時は開頭手術もあり得るけれど。


・ただ手術をすれば症状は止まるが、その時点で伸びてしまった身長が縮んだり肥大した指先などが元に戻るわけではない。
今は小学校時代などに頭一つ飛び抜けたり特徴的な外見の症状などが出た時にすぐ検査するからそのまま大人になる子が少ない。子供の時に発症して初めて巨人症になるから、皆無であってもおかしくないのだが…一言で言えば周囲が「気付くかどうか」それがすべてである。





・巨人症と脳下垂体の関連性は1883年にフランスで発見された。それまでも、宝くじ一等以下の確率ながら、人間社会にそういった異様なほどの巨人が生まれてくることがある。そのうちさらにまれにその巨体を生かした仕事に就く人もいた。


昭和10年代に昭和10年代に出羽ヶ嶽文治郎という身長207センチ体重203kgの大巨人がいた。ラジオアナウンサーが「大男総身に知恵が回りかね」などと普通にしゃべる時代だった。その前はさらに遡ると相撲興行にはこういう巨人の土俵入り専門力士として育成し、一種の見世物、意味が違うけれど看板力士、として活躍した江戸時代のそれらの錦絵にも特有の症状が映し出されていることもある。


・この本には、巨人症の可能性がある主な力士とその成績という25人の一覧表がある。


・作家の篠田達明が唱えているのが「宮本武蔵も巨人症だったのではないか」という説。子供の頃から並外れて大きかった、顎や手足が大きかった重たい刀を2本も持って戦うにはよほどの力が必要だった…などなど。冬場武蔵の没年はジャイアント馬場と同じ61歳である。


・ちなみに身長が非常に低いいわゆる「小人症」も、脳下垂体の異常である。成長ホルモンの産生を促す信号が脳下垂体に届かなくなったため起きる現象だ。これは成長期に成長ホルモンを注射することで治療できるがかつて成長ホルモンは非常に微量しか採取できなかった(死んだ人の脳からしか取れなかった)。だが現在は遺伝子を組み替えて大腸菌から成長ホルモンを作れるためこの病気もほぼ克服された。

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低身長症の現在の治療法(「巨人軍の巨人 馬場正平」より)


・・・・・・・・・なるほど、である。

実は自分の経験で言うと、巨人症に関する知識の大半は、ブラックジャックの一挿話でしか知らなかった。

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ブラック・ジャック「デカの心臓」
そこでもジャイアント馬場を彷彿させるように、とんでもない巨体と怪力を持ちながら、心穏やかで優しい少年が「鯉の養殖を一生の仕事にしたい」と願いつつ、相撲部屋やプロレス団体からスカウトがひっきりなしに来る。だがブラックジャック先生が「病気ででっかいんだから心臓は普通の大きさだ。激しい運動すると大変なことになるぞ」と警告し…と話が続く。
www.phoenix.to
ameblo.jp

子供なんで病気のそれぞれの違い(個体差)というのがよくわからず「巨人症の人は、心臓が普通の大きさで激しくスポーツすると大変だというのならジャイアント馬場はどうなるの?」と思いつつ、その疑問はずっと調べなかった。


ちなみになぜジャイアント馬場は「巨人症」かと知っていたかと言うと、ポリコレという概念すら全く知らない亡き父親が、ジャイアント馬場を見るたび、アンドレ・ザ・ジャイアントを見るたび、チェ・ホンマンを見るたび、柔道の篠原信一を見るたび…ほぼ例外なく「こいつらは巨人症なんだよな」と、毎回のように口にしていたからであります。



治せる以上は、治療した方がいい。そのためには症状が出た時の「気づき」が最重要!!


バスケットボール界には現在も多少いるみたいだし、格闘技界でもUFCで活躍するまでに大成したアントニオ・シウバという選手がいた。(2メートル越えのオランダ選手も別にいたけど、彼はどうかなあ)。
チェ・ホンマンアントニオ・シウバも、プロ格闘家になってから、脳下垂体の手術を受けたことを覚えている。

成長ホルモンの異常で体が大きくなりその結果としてスポーツで活躍するとなると哲学的と言うか倫理学的なことを考える余地もあるのだけれど、やはり健康面での後遺症を考えると早期に発見し早期に治療を行い「巨人症の人間は一人も世界でいなくなった」とあるべきなのでしょう。

それはそれでありつつ、その運命を自分の人生の障壁とせず、自分が選んだ分野で活躍した「巨人アスリート」に、あらためての敬意を抱きたい。


補足 この本では、ジャイアント馬場の「モルモン教信仰」についても興味深かった。いかにも日本人的な…

Prologue
1章次男の末っ子
2章 「巨人」の系譜
3章 幸せな日々
4章 祈り、モルモン教との出会い
5章 短い夏
6章 巨人軍の一員になる
7章 長嶋茂雄前夜
8章 プロの壁
9章 大手術
10章 キャリアハイ
11章 挫折と転生
Epilogue
馬場正平年表(プロレスラーになるまで)
馬場正平巨人軍全戦績


これについても、いろいろ自伝とかで分かっている部分もあったが
熱心な牧師さんと出会った。
まだ物のない時代に、とくに馬場の巨体に関する服や靴などの問題でアメリカとのコネクションなどもある教会が、靴の入手などで助けてくれた。
そんな支援や牧師の人柄、集会での人間関係などに感銘を受けて、正式に洗礼を受けた(全身を川につかるのです)
教義も熱心に学んだし、集会にも積極的に出た。
だが、上京して野球選手からプロレスラーになるうち、ゆるやかに信仰を離れて、タバコ、酒、コーヒーなど、モルモン教の禁止のものをたしなむようになった。
それでもモルモン教を逆に「積極的に棄教」するという意識はなく、のちに「結婚式をモルモン教の教会で挙げたい」と、牧師に相談したりもしている。だが「急にいろいろあってね…ゴメンナサイねっ」「おおっ!恐れ入谷の…」じゃねえや(笑)
モルモン教のほうから、「結婚式を教会で挙げるとなると、再度信仰の道に立ち返り酒、たばこ、コーヒーの類をやめて、集会にも毎週出てもらうことになりますが…」となって、立ち消えになった。
それでも、好意的な関係はずっと続いた


・・・・・・・・・・・のだという。日本的な「信仰」の在り方として、ほんとうにいかにもそのへんにありそうな話であり、かつてイーデス・ハンソンが「見た目は日本人離れしているかもしれないが、馬場さんはまさに日本人の中の日本人だ!」と語ったのも、真に納得がいくのである。


補足 ブクマより

通りすがり2

追加情報:今日現在この本はキンドルのアンリミテッドにあります。