おくやみと、お見舞いを申し上げたい。負傷したかたは一日も早くご回復を。
まずは多くのひとの死、怪我ということがもっとも重要だし、ご家族や友人の思いは想像しようもない。
ただ、会社・スタジオの名前でいわれても作品名がほとんどわからないような浅い知識の自分でさえも、ニュースで報じられた作品は「あ!あの!!」みたいにわかる。
その創作拠点が焼かれたということは、命や健康とは比較しようもないとはいえ、その命をはぐくんだ肉体に見つけさせていた、才能と技術、努力と想像力…そしてその成果物としての絵や資料やアイデア……そういったものが、一緒に失われたことを意味する。
それは、命とは別に、いや一体不可分に尊いものだ。
石油ぶちまけ放火ということ
容疑者とその犯行の動機については、まだわからない。
一般的に、少なくともすべての人間の言動は、それを否定する材料の無い限りは、すべてが理性と責任、つまり自由意志のもとで行われたと解釈するしかない。
それでもなお、それを補強する前提は何もないと認めたうえで
「本当に、いわゆる”正気”のひとだったのだろうか」との疑念だけは言わせてもらった。
この報道が、同種の事件の「引き金」になる懸念。
あるかもしれない…と、やはり根拠なく思うのだが…「そうか、こういう手があるのか」と”気づいた”人間が行動を起こす、それは報道がきっかけだった…ということも、あるかもしれないとは気にしている。