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谷幸雄、またの名を「スモール・タニ」と呼ばれた男に関する若干の新情報メモ






ゴング格闘技ベストセレクション 1986-2017

ゴング格闘技ベストセレクション 1986-2017

wikipedia:谷幸雄
谷 幸雄(たに ゆきお、1880年明治13年)- 1950年(昭和25年)1月24日)は、柔術家(不遷流講道館柔道)。身長160cm未満、体重は60kg未満。主に英国で活躍、「スモール・タニ」の愛称でも知られ、ロンドンのミュージックホールなどで数多くの他流試合を行った。新聞「スポーティング・ライフ」にキャッチ・アズ・キャッチ・キャンのライト級チャンピオン ジミー・メラーに勝利したことを称えられる。

目次

年譜
父や祖父も柔術家で、不遷流柔術は田邉又右衛門(不遷流第4代)に習ったという。

1900年9月に渡英[1]。E・W・バートンライト(E.W.Barton-Wright)が設立した「バーティツ」(Bartitsu)道場にも招かれ指導に当たった。この「バーティツ」より着想を得た作家のアーサー・コナン・ドイルが、自身の小説の主人公シャーロック・ホームズは東洋武術「バリツ」の習得者で、この技で「最後の事件」の際に危機を脱し、一命を取り留めた…との設定を思いついたとの説もある。
1903年「バーティツ」の事業は失敗し、同じく日本から来た柔術家である上西貞一らとともにロンドンミュージックホール(music halls)においてウイリアム・バンキアー(アポロ)の下で、チャレンジというジャケットマッチで対戦者を一般から15分もてば20ギニー、勝てば追加百ポンドという条件で募り、、これを関節技や絞め技で次々に返り討ちにして評判を呼んだ。11月には、”ロシアのライオン”の異名を取ったジョージ・ハッケンシュミットに挑戦状を叩きつけたが、実現しなかった。
1904年、三宅多留次(後のタロー・ミヤケTaro Miyake)と戦い敗れる。また共同で日本柔術学校を開設。
1906年、英文の著書「The Game of Ju-Jitsu - for the Use of Schools and Colleges」を出版(共著)。
1907年、前田光世が渡英し谷の道場で一時期指導者となる。他流試合においても谷と前田は協力関係を築き、谷と緊密な交流にあった前田によると「谷氏は警視庁で山下七段(山下義韶)の門人として初段になり、渡英後、幾多の苦戦を経て居る老巧者で、実力以上に勝負が巧みだ」とあり、谷は当時の日本でよく見られたように、はじめ地元で柔術を学び、後に講道館入門したケースではないかとも目