現在発売中の小説宝石1月号より、柳澤健さんの『2016年の週刊文春』というノンフィクションの連載がスタートしています。早くも各所で話題です。
— 光文社新書 (@kobunsha_shin) 2017年12月26日
「文春社内は騒然としているでしょうね。まさか自分たちが文春砲に直撃されるとは思ってないから」
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小説宝石の1月号からはじまった「2016年の週刊文春」(柳澤健)。第1回の最後は、春画事件で3カ月の休養を命じられた新谷学編集長が、同じ苦しみを知る編集長経験者に連絡する、で終わる。あつい! pic.twitter.com/wcr0yaqkk2
— 星野貴彦 (@ho4not) 2017年12月27日
なかなか「小説宝石」は見る機会がないので、あとでまとめて読みたいと思っているのだけど、それは別にしていささか自慢すれば、自分はそれよりもっと前、2012年に
「2012年の週刊文春」は、伝説になるかもしれない。なぜこんなにスクープを連発? - 見えない道場本舗 (id:gryphon / @gryphonjapan) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120719/p4
元プロ野球・清原容疑者、覚せい剤の疑いで現行犯逮捕。週刊文春にまたも勲章 - 見えない道場本舗 (id:gryphon / @gryphonjapan) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160203/p2
のときも、こう書いてるな。
「これもまた 週刊文春 大勝利」(五七五)
(略)だから以前から言っているんだが、
今でこそ「ベッキーが」「甘利が」「清原が」が主語となるのだけど、これが10年後、20年後、30年後に伝説として語られるときは「当時の『週刊文春』が…」と、文春が主語となるのだろうと……。
今から、この時代の週刊文春のノンフィクションを描く準備をしておいてほしいものだ。
こうやって、一流の書き手によって、実際にノンフィクションが実現してるのだから、慧眼を誇ってもいいし、光文社に「お礼のカステラがまだ届いていないんだが」と催促してもいいだろう(よくねえよ)。
さてさて、話が変わって…こういう外部の目で見たノンフィクションとは別、に当事者である編集長が自ら語った 本があります。
「週刊文春」編集長の仕事術
- 作者: 新谷学
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2017/03/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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まあこの仕事術っていう言葉は、 あまり読書に興味のない、お仕事一辺倒の方が仕事の参考にと言って買うことを当て込んだタイトルで、いささか距離感があるが… それでも確かに人脈や情報の構築という点では参考になることは多々ある。
しかしそれは置いといて、やっぱり個別のエピソードがとてつもなく面白いのも事実だ。
ベッキー、 清原、 甘利明、飯島勲、 橋下徹、 ショーンk ……名前をもうすでに聞かなくなった人、今でも活躍してる人さまざまに、 報道で切り結んできた週刊文春だが、その中で、非常に面白く考えさせられたのが、山崎拓氏との関係である。
週刊誌の歴代スキャンダル報道の中でも屈指と言えるものが対山崎のそれだった。
しかし問題は「その後」なのである!
ここからがすごい。
…私は常に現場に対して「親しき仲にもスキャンダル」と言っている。もちろん自戒を込めた言葉である。食い込む、情報を取る、そしてきちんと書く。これが大切なのだ。我々の目的は親しくなることではない。
昔、 自民党幹事長を務めた山崎拓さんについて 「変態スキャンダル」と言って散々週刊文春で批判したことがある。その後、 人を介して「手打ちの飯を食いたい」と山崎さんが言ってると聞き「じゃあ会いましょう」と中華料理店の個室で向かい合った。
山崎さんは人間的にとてもチャーミングな人だった。彼はあの記事を見た瞬間、幹事長室でそのまま気を失い、気がついたら病院のベッドに寝かされていたそうだ。院長先生が来て「どこも悪くないようだけど、大事をとって入院しましょう」ということになった。翌日、院長先生が新聞を見ると週刊文春の広告に「山崎拓、変態スキャンダル」と書いてあった。
院長先生に「原因は文春ですね」 と言われた時は顔から火が出るほど恥ずかしかったと話していた。その表情は人間味に溢れていた。
中略
そこから交流が始まり、たまに連絡をもらったりするようになった。山崎さんが福岡から戻ると「あんたと飲もうと思って焼酎買ってきたんや」と言って焼酎を目の前にポンと出されたり、料亭で二人で飯を食ったこともある。しばらくして山崎さんに「新谷さん、わしをやったのと同じように、この男をやってくれんか」と言われて、ある大物政治家の資料を渡された事があった。
その後の顛末はさすがに書けないが、その時に思ったのが、我々の仕事で大切なのは主題の確かさでありリスクを恐れない闘争心だということだ。腕を見込まれて「自分をやったのと同じようにやってくれ」と言われれば本望だ。
編集長が書いたこの顛末で恐ろしいのは、金丸信や野中広務や山口敏夫といった梟雄タイプの自民党保守政治家の「懐が深い」といえば聞こえがいいが何とも底知れぬ感のある「人脈への欲望と才能」であり、またそれを利用して、かつて落選にまで追い込んだ相手ともこうやってパイプを結ぶジャーナリズム側の底知れなさだ。
そして何より、こういう雑誌のスキャンダリズムと「権力・反権力」についてあれこれ言うのがどこまで有効なのか、という話でもある。
週刊文春が
山崎拓のスキャンダルを暴いたときは「反権力」で
山崎拓と、「手打ちのごはん」を食べた時は「権力寄り、権力べったり」で
山崎拓から「わしをやったのと同じように、この男をやってくれんか」 と大物政治家の資料を渡された時は…「???」なのか、だ。
そうやって考えれば権力とか反権力とか、どういう基準であれこれ言ってるのという話である。2009年から2012年にかけては民主党政権だったりしたのだからなおのことだ。
そんなことを考えさせてくれる面白い本であった。
柳澤健の連載の方も、まとめて読むのが楽しみだ。たぶん図書館には バックナンバーが置いてあるだろうし。