ISISはモスルでの攻防で撤退戦を戦わざるを得ない状況になっているが、その過程でアル・ヌリ・モスクを破壊した。奴らはイスラム国でもスンニ派の守護者でも何でもない。単なる破壊者。 https://t.co/YvyUry1ZaR
— Kazuto Suzuki (@KS_1013) 2017年6月22日
イラク政府側を悪の勢力だと見る立場からは、悪の勢力がモスクを制圧して人々の宗教の守護者であると主張することは害をなすので、制圧される前に爆破してしまう方が害が少ないと宗教的には考えられますし、戦略的にも敵が勝利を宣伝することを避けられます。 https://t.co/K4oP1YU6DN
— 中東ニュース速報 (@chutoislam) 2017年6月27日
ただしそういうイスラーム法的な政治思想の論理で説得される人とそうでない人がおり、キリスト教的な「美しい宗教建築を通じて神に近づく」ということを望む人がいないわけではないでしょう。ですが、そのような立場を、法規範を遵守する立場よりも上位にあると主張することは容易ではありません。 https://t.co/Wrj80sW1hB
— 中東ニュース速報 (@chutoislam) 2017年6月27日
もちろん、これを外から非難することは自由ですし、立場を異にするものが非難する事で「イスラーム国」に態度を変えさせたり、参加し援助しようとする者を減らす効果も望まれます。同時に「異教徒が何を言っているんだ」という反発が、別の立場からは予想しにくい理路で現れてきます。 https://t.co/ooNOUyb651
— 中東ニュース速報 (@chutoislam) 2017年6月27日
私自身は「イスラーム国」の行為を非難する際に「イスラーム教ではない(はずだ)」と非難することは、それほど有効ではないと感じてはいますが、「してはいけない」とまで論じる根拠も私にはないと考えています。宗教的基準を示して「このやり方以外で宗教を語るな」と言うのは自由主義の原則の否定。 https://t.co/IcwiqGIRM7
— 中東ニュース速報 (@chutoislam) 2017年6月27日
私自身は、何らかの絶対的な宗教的基準をもって絶対に正しいことを語りたいとも、人間が語りうるとも考えておりません(現に語る人はいます)。それとは別に、宗教的基準を心に持っていないのに「突飛な」矛盾的議論を可能にする目くらまし飛び道具として「イスラーム」を使う人は批判します。 https://t.co/iRSk075ix3
— 中東ニュース速報 (@chutoislam) 2017年6月27日
うーむ、盗賊集団にしか見えない気もするISISだが、宗教的には「敵(と自分が認定するもの)がモスクを使うぐらいなら壊すのが宗教的に正しい」とか考えたりすることもあるし、それを我々が批判すると「異教徒が何を言ってるんだ」と反発をくらうこともあるのだ。
こういうパラドックスがたくさん。