【日曜民俗学】【創作系譜論】
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— カップヌードル (@cupnoodle_jp) September 6, 2016
こうやってナレーションのかたちで聞くと、やっぱりたけしは事故以降、発音にわずかにその後遺症が残るな。
しかし、この滑舌の悪さも含めて、俳優としての個性や味にしてしまうだけの大きさがやはりあったのだろう。ここまでくれば、もう無敵である。
その事故を起こした「スクーター」に乗るシーンが撮られているというのも、なんつうか皮肉だ。
でもその話ではない。
こんな時代にバカをやる。
それ自体に意味なんてない。
叩かれて、叱られるだけだ。
でも、オレたちはバカをやる。
それは、時代を変えるためじゃない。
時代に、テメェを変えられないためだ。
なかなかの名言だが…ご存知の通り、これには元ネタがある。
伝説の「古舘伊知郎VS古賀茂明セメントマッチ」「3.27(サンテンニイナナ)事変」でも紹介されたので、そちらで記憶している人もいるだろう。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1701.html
古賀茂明
「(フリップ出す)これを、えー、今、安倍政権の中でですね、どんな動きが進んでいるのかなと」古舘伊知郎
「古賀さん、ちょっとごめんなさい、時間が(ない)…、ちょっと…」古賀茂明
「あ、だからそういうこと言わないでほしかったんですよね、だから(フリップしまう)」←だから振ったの自分でしょ?(^△^;古舘伊知郎
「いや、だから、ちょっと、これは…」古賀茂明
「ただ、言わせていただければ、最後に…」古舘伊知郎
「はい、はい、…はい」古賀茂明
「(別のフリップ出す)これをですね、えー、是非、ま、これ古舘さんにお送りしたいんですけど、マハトマ・ガンジーの言葉です。『あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである』と。つまり、圧力とか自粛に、慣れていってですね、まあ、あー、何もしない、一人でやったってしょうがない、ただ叩かれるだけだ、ということでやっていないと、知らないうちに自分が変わってしまって、本当に大きな問題が起きているのに気がつかないってことはあるんですよと。これ私も、すごく今、自分に言い聞かせていつも、生きているんですけれども、是非これは、みんなが考えていただきたいことだなと、いうふうに思っています。(後略)」
だけれども。
ガンジーも当然たけし以上の超著名人だし、放道ステーションも人気番組だし、古賀茂明さんもある意味で有名だ(笑)。
それでも、「北野武」が「言葉に重点を置いた」「大資本の商品のスポットCMで」この言葉を連呼する。
するとかなり多くの人が「北野武、ビートたけしの言葉」として印象に残るだろうね、いい悪いはともかく。
それに対して怒っている人もいる。
これをビートたけしの言葉として流通させるのは、歴史への冒瀆だし、何より泥棒だ。『あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。 そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである』──マハトマ・ガンジー
— 北丸雄二 (@quitamarco) 2016年10月27日
メルマガでも書いたけど
— 杉村喜光(知泉)三省堂辞書、来春発刊予定 (@tisen_sugi) 2016年10月29日
ビートたけし出演のCM
「時代を変えるためじゃない。時代にテメェを変えられないためだ」
が、ガンジーの言葉
「世界を変えるためではなく 世界によって自分が変えられないように」
が元ネタだと知らず、さすがたけし、と賞賛している人は多い。
そしてそういう例はいろいろあって…
http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50692205.html
「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」を引用して、
披露宴で気のきいた祝辞をのべた議員を知っています。これは、徳川家康のものと伝えられている 『東照君遺訓』 の文言です。
(略)
この文言は 『論語』(泰伯篇)の次の一章にもとずいていると思われます。「曽子日[いわ]く、士は以[も]って弘毅[こうき]ならざるべからず。任重くして道遠し。
仁以って己の任となす。亦[また]重からずや。死して後已[や]む。亦遠からずや。」
こちらは真偽不明的な議論がされているが…
http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6076.html
リンカン大統領は「人民の、人民による、人民のための政治を地上から消滅させてはならない」と演説した。しかしこのとき、ほとんどの聴衆は疲れて演説を聴いていなかった。そして実はこの句はリンカンのオリジナルではなく、イギリスの宗教改革者ジョン・ウィクリフ(1320-1384)が1384年に出版した旧約聖書の序文に書いたものである。それもウィクリフの言葉を直接引用したものではなく、ユニテリアン派の牧師セオドア・パーカー(1810-1860)の著書からの孫引きだった。(Abraham Lincoln,Gettysburg,Theodore Paker)
リンカーンのゲティスバーグ演説に引用され有名になった。…とされているが、実際にはウィクリフの聖書の実物にはそんな表現は出てこない。
自分の知ってる、最大級のそれは……
「この道を行けば…」数多い「偽名言」ミステリーを追え!(日曜民俗学) - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070701/p2
から再掲載。
http://d.hatena.ne.jp/fullkichi1964/20070405
猪木がよく引用するかの有名な詩「道」。「道」
この道を行けば
どうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せば
その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ
これを猪木はよく一休禅師の作として紹介していますが、ちょっと考えればおかしいってことは分かりますね。「一休は室町時代の人なのに、なんで文語文じゃないんだ!!」って話で(苦笑)。そこで調べてみると、これは浄土真宗大谷派の住職であり大谷大学の助教授でもあった清沢哲夫氏の詩の改作なのですよ。http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000028008
http://plaza.rakuten.co.jp/dch30/diary/200612020000/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B2%A2%E5%93%B2%E5%A4%AB
話としてはこれでおしまいになるんだが、ウィキペディアの清沢哲夫によりますとそのご生涯は「1921年1月26日-2000年1月20日」。
……著作権、残りまくりですね(笑)
つうか、アントニオ猪木が引退のときに引用した19941998年にはご存命だし。人生訓なんて人から人に伝わっていくものだとか、清沢氏本人だって知ってて問題視しなかった(かもしれない)とか、本当に一休禅師のものだと勘違いしてたとか、ラップのサンプリングでフレーズにいちいち著作権をいうと音楽文化が育たない、とかいろんな視点で(法的な意味とはまた別に)弁護も可能だとは思うが、実際に会場でアレを聞かされた側から言わせてもらえば、
「ここは敢えて遺族に著作権を振りかざしてもらってでも、あれ(※これがしょーもないラップ音楽になってたのです)を抹殺してもらいたい」とか感情的に思ってしまったものでした。
逆に、すでに清沢氏遺族から許可を取っていればそれはそれで笑えるのだが。
(後略)
そう、猪木議員の場合、上記ラップ音楽のほかグッズなど、ちゃんとご商売に転化していたのであった。
しかしまー、ですな。
山本夏彦は、こういうのは一々出典を明確にする必要や、初出を調べる必要もなく、ぜんぶ「古人」ですませればいいのだ、と語り、実際に「古人」を連発していた(笑)。
「たとえ肉体は売っても、正義を売り物にするなかれ、と古人が言っている」
「古人はつとに「機械アレパ必ズ機事アリ」と言った」
「「人ノ患(ウレ)イハ好ミテ人ノ師トナルニアリ」と古人は言っている」
などなどは「夏彦ぶし」として、結果的には今の人は知る人が多かろう。
でな、
「清沢哲夫」と「アントニオ猪木」を例外として、だいたいにおいて著作権が切れている(笑)
もちろん、ガンジーもだ。ガンジーも言葉がフリードメインになるレベル(日本においてです。海外じゃまだ生きてるよね)
あとで書こうと思ってたこと。
— gryphonjapan (@gryphonjapan) 2016年10月29日
ただ、これまでも超有名人が「(引用の)名言」を語って、それがイメージにもぴったりだと、最初に語った元の人の言葉より有名になることはあるわなあ。
1948年没のガンジーの著作権は切れてるし…https://t.co/Jss1MV7Qny
フリードメインをありがたく利用して、何か不都合があろうか。
45秒ぐらいのところに出てくるテロップ「学長 ビートたけし」という記述がまずいか?
だが、再度読んでみるとガンジーの引用は全体の一部だな。これだけ再構成すると、再度著作権が発生するのではないか?
それに、狡猾というかしたたかなことに、54秒のところで
「この理念は、すべてゴーストライターが書きました。」と出てくる。
ここで、「カッコいいセリフですが、たけし本人の言葉じゃないですよー」というのをギャグとして落として、アリバイ処理をする。
その上で「元ネタはガンジーでしょ?」という、大きなところから目をそらす!!
それが引用だとしても「もともとゴーストライターって書いてるでしょ?たけしさんのセリフじゃないって強調してるわけで、ね」と保険をかけておく!
その巧妙なトリック!!!!!!
というわけで
著作権とか、そういうことも含めて、この「名言簒奪」劇は大成功といっていいのでしょう。
玉座を奪われた正統の家系は、亡命政府をどこかに作ることも、銀仮面をかぶって復讐の鬼となることもあるかもしれませんが(笑)、まあ仕方ないですねえ。
だいたい、意図的じゃなくてもやっぱり、今現在旬の人が引用したらその人のイメージがついて回ることはある。ただ、できれば一言引用もとに触れて、出典をたどれるようにしてほしい…というのが、アマチュアの「語源探しマニア」としての熱望、要望です。
この時、前田日明は出典について触れてたような、触れてなかったような……(記憶曖昧。)
前田日明兄さん語録 「選ばれし者の恍惚と不安、二つ我あり」
「選ばれる者の恍惚と不安、二つ我あり」って日明兄さんはおっしゃってますね。
太宰治の引用と言うことは有名ですが、太宰の短編集「晩年」に収録されている「葉」という短編からでした。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card2288.html撰(えら)ばれてあることの
恍惚(こうこつ)と不安と
二つわれにあり
ヴェルレエヌ「ヴェルレエヌ」はフランスの詩人ポール・マリー・ヴェルレーヌと言う人で、同じく詩人であったランボーの友人だったそうです。
「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」
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「選ばれる者の恍惚と不安、二つ我あり」
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「選ばれし者の恍惚と不安、二つ我あり」