INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「よつばと!」で、早くもジェンダーバイアスやステロタイプの社会的圧力を受け(?)、よつばが「着飾ったおひめさま」にあこがれてしまった、という話。

最新号…でいいんだっけかな?
えでみれば、どんな話がわかるだろう。ある意味衝撃的な、物語の転換点かもしれない。

なんともほほえましくも、さびしくなった話である。
これまで非常に、把握している限りは多少の限界はありつつも、ジェンダーフリー的な行動、言動をしていた小岩井よつばという主人公が、今回社会的な「女らしくあれ」という『空気』や『同町圧力』(字が違ったっけ?まあお隣さんは同じ町だから同町でいいだろう)によって、自分にはその自覚がないまま意識や価値判断が流されてしまい、


髪が長いのがきれい
ドレスをきるのがきれい
プリンセスはきれい


といった、ジェンダーバイアスにとどまらずに、自らの階級意識にめざめる前に、ゆがんだ形での特権階級への憧憬までを抱くようになってしまったのである。
これこそ、このゆがんだ社会の合わせ鏡でなくてなんであろうか。


いいたいこともいえないこんな世の中じゃ。
先生あなたはかよわき大人の代弁者なのか。
世の中は とても 臆病な猫だから他愛のない嘘を いつもついている。


だいたい民衆から搾取して、まさによつばが憧れたようなネックレスをしているような階級の敵に、何を憧れることなどあろうか。
いや、百歩ゆずって、そのプリンセスは「個人の資格においても最高の紳士(いや淑女)」と呼ばれるに値するような人なのかもしれない。

だが・・・・・・


「臣下にはなれん。…何故なら、偉そうに言わせて貰えば、民主主義とは対等の友人を作る思想であって、主従を作る思想ではないからさ。 わしはよい友人が欲しいし、誰かにとってよい友人でありたいと思う。だが、よい主君もよい臣下も持ちたいとは思わない」

ので
ある。


はいはい、釣り終わり。

まあ、太公望の釣り竿と同じで、釣り針がついておらんから、釣られた人もいなかったであろう。
よつばは「つくつぼーし」にも「殺し屋」にも「パンツマン」にも憧れた(最後はちがうか)のだから、それと同じくフラットな、ワンオブゼムとして、「おひめさま」にもあこがれた、と解釈もし得る…のだわな。ならばむしろ、一番理想的なるジェンダーフリーでありましょう。


作中では、どっちかはわからない。
というような話を少し前からかこう書こうと思っていた(だから画像を保存してた)のだが、そこに思いっきりつながるような

女子感出すだけで被害者扱いされる http://anond.hatelabo.jp/20160929065235

■女子感出すだけで被害者扱いされる

3歳の娘が女子感出すようになった。

ヒラヒラしたスカートやピンクの服を着たがったり、

しぐさも女子。

それを知人に話したら、

「かわいそう」と言われた。

「社会的に『女の子である』ことを期待されて、

それを演じているんだね」と。

いやいや。

俺も嫁も、自分達の好みの押し付けにならないように………(後略)

というのがはてなで話題になったので、じゃあこっちも書いておかなきゃな…、と書いておいた。

そこのブクマにも予告編をかいておいたんだよね

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160929065235
gryphon 後でかくつもりだったのだが、最新回のよつばと!ジェンダーステロタイプに(後略)…


しかしだなあ、ここからある意味本題なのだが、どうして・・・・これは子ども時代の周囲を見回して感じた、実に個人的なる経験、統計的証拠なき感想なのだが、やはり小さい女の子にとって(ドレスや宝石で着飾った)「おひめさま」への憧憬、その訴求力ははんぱない。


それはたとえば女性が女性であることの、たとえば生来的なものと関係あるのか…自分が学んだ時代の学問(といっても中学生で教えられるレベルだ)はそういうのをいっさい否定し、歴史的社会的に、女の子がお姫様に憧れるような風潮ができているから憧れるのだ、ということであった。


それでいいのかどうか。
女の子が、ある時期から、こういうふうな服装や装飾にあこがれるのは自然な発達段階なのか。
ぶっちゃけよくわからん。よつばも、これからどんどん、こういうものに集中してあこがれを持つようになり、銃や殺し屋に憧れたりするのは「こどもっぽい」としておすまし顔で否定するのかもしれん。



「こどもの憧れ」てな話でいえば、

上で「民主主義とは対等の友人を作る思想であって、主従を作る思想ではない」云々のモトネタを書いた作家は、中国史などの歴史小説も書いているのだが(SFやファンタジーに比べると、ぶっちゃけあまり人気はないが)、戦後の歴史でとくにかの国では政治状況に絡んで大きな騒動というか一大勢力になった「民衆の歴史こそが偉大なのだ」「名もなき人民の歴史こそ偉大なのだ」みたいな話には異議を唱えてて「その庶民、民衆こそが講談、芝居などの形で、英雄豪傑が活躍する物語としての歴史を一番愛好し、支えてきたんじゃないか!!」と、そういう”民衆史観”に反論したことがあったんですな。