販売日当日に紹介はしたのだけど、皆さんは入手できたかな。
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自分は発売日未明だからあまりに早すぎて自粛し、画像を加工して載せたが当然その後は適宜引用ポストがあり、「老け」の表現の妙なども味わえるだろう。
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んで、これが載った過去記事を、ありがたくもブログ内の「注目記事」にしてもらった。
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これは「1995年、漫画版機動警察パトレイバーが連載終了時に、リアルタイムで書いた感想文」である。それを2008年にこのブログに載せた。
その質はともかく(笑)、年代的にヴィンテージになったな。まだ少年漫画としての評価が大きく、マンガ批評界隈とちょっと距離あるジャンルだったし、アニメ版もテレビアニメ延長後の新ビデオ版、押井守映画の影響力が大きくて、だからその当時「漫画版オンリー」で論じる文章は稀だったと記憶している。
いまこれを読み返すと、文章の趣旨は、かなり「当たり前」のことを書いているようにも思えるけど、
今時代を振り返ると、なにしお1995年連載直後の感想ってことは、「当たり前」なのはむしろ「ゾルトラーク現象」なんだろう、と自画自賛することができる。
なにしろホント、「漫画版連載終了直後に書いた文章」の部分は、今となっては競争相手もいないからいばりほうだいだ(笑)
ほかにあるというなら是非読んでみたい。PCの奥底から取り出せる人いませんか・・・・・・・(まあ自分もそうだったが、ワードのバージョンがめちゃ古かったぞ!)
それでは以下、再掲載。最初の部分は2008年紹介時の前フリだ。
わたしは、何度も「ゆうきまさみの漫画版が一番パトレイバーの中では面白い」と言っているし、オールコミックの中でも上位(一番?)に位置するような作品ぐらいに評価している。いまやあちこちで散発的なゲリラ戦をやるしかない漫画界のSF勢力も、一応盟主としてハードSF…??じゃないけどさ、ハードっぽい部分も無くも無くは無いわけではない「鉄腕バーディ」をまがりなりにもメジャー誌でかいていた(過去形)彼を一応は盟主に仰いでいいんじゃないかと思っている。
id:eg_2 さんなぞは「ヤングサンデーがリングスとしたら、その中の前田日明的存在」とか言ってたな。これをどういう評価だと捉えるかは論者次第だ(笑)
ま、それは置こう。漫画版論はちょっと大きなネタだから。
で、もともとパトレイバーというのは非常に大胆な試みとして「当時としてはお安い値段で、シリーズのビデオセットを発売する」という、作り方からして革命的なリリースがされた、と後世の歴史家は記す。(当時はそういうことはよく分からなかった)
で、いまや世界のオシイこと押井守が監督をやったんだが、いろいろと好みの違いもあり、あとは脚本の伊藤くんも開き直ったように「最初のシリーズは面白いのだが、5、6巻(クーーデター篇)をのぞき全部番外編だ」というようなテイストもある。
だからテレビ版っていうのは、天下の傑作として語られることがないけど、実は最初から正統派なツクリではありましたね。あんまり覚えていないけど。
あ、今おもいだしたぞ。ゆうきまさみ自身がスタッフが集まった座談会で
男の子が欲しかったんだけど生まれたのは女の子。でも子供が生まれたのがうれしいってのがOVA。
その女の子が、すごい美人になったなあ…というのが映画版(の一作目)。
わー、ほしかった男の子が生まれたよ!ってのがテレビ版
だと。まあ感情論とか本気の批判かは別にして、押井守とゆうきまさみや出渕裕はやっぱり根本的に路線が違う人らしい。
それは当人たちがあっちらこっちらでみとめている。
違う人が集まったのが上手く作用することもあるんだわな。このへんの議論はもっと詳しい人に譲ろう。
ちなみにゆうきは上のたとえで、「じゃあ、漫画版は男の子ですか女の子ですか?」と聞かれ
「あれは私生児。」
と答えている(笑)。
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うわ、これは恥ずかしいが時代の証言。1995年のパトレイバー論。(※漫画版のです)
いまね…ちょっと魔が差して検索したら、まだ連載終了直後に書いたということになる文章を発見してしまったよ。
パソコントラブルに私もずいぶんと見舞われたものだが、このへんの文章は無事保存されている…もう消えていたほうがよかったのに、という気もちょっとはするが(笑)。今から読むと当たり前だけど、この当時は新鮮だった指摘とかもちょっとはあるんですよ(笑)
あと、ワードの形式がすごく古かった(笑)
ここからが1995年の文章です「機動警察パトレイバー」
■全く新しい「リアリティ」
去年終了した「機動警察パトレイバー」を筆者はその年の最大の収穫とした。と言っても、足掛け6年以上の長編であり、また内容的にも10年に一度の傑作であるから、たんにベスト1に選んで事足れりとするわけにはいかない。また未読の読者にこの作品の魅力を判って貰うためにも、少々身をいれて論じなければなるまい。(いやあ、なんて偉そうないいかただ)
この作品がロボット漫画・アニメ史の中で、エポックメイキング的な意味合いを持つのは、既に多くの人が指摘している様に、「リアリティ」を確立する全く新しい方法を発見したことであろう。
フィクションの世界においては、「リアリティ不可逆の法則」とでもいうべきものが厳然として存在する。(といっても筆者が勝手に唱えているのだが)つまり、あるジャンルにおいて誰か一人がリアルな描写を持ち込むと、それ以降の作品は設定を荒唐無稽に戻すことはできず、ひたすらリアルになっていくしかなくなるのである。白土三平以降の忍者もの、松本清張以降の推理小説を考えてみれば判るだろう。
ロボットものの世界においては、それは勿論「ガンダム」であった。(といっても詳しいことはよう判らん。ガンダムが再放送されていた頃、我々は小3ぐらいだった。その前というと、こんばとらあとかまじんがあとからいでーんとかだが、それらのデティールは全く思い出せん。)地球連邦とジオン公国との「戦争」を極めてリアルに描いたこの作品はその後の(広い意味での)SF界に決定的な影響を与えた。あの「銀河英雄伝説」でさえ、この作品の影響を抜きにしては論じられないだろう。(もっともその前に「宇宙戦艦ヤマト」があるが。ちなみにゆうきまさみは松本零士の孫弟子にあたる)さらにガンダムは海外にも影響を与えた。ある雑誌で、珍しい海外映画のコレクターが「1番効果的なのは、外国のマニアにガンダムのビデオとの交換を持ちかけること」といっていたのを読んでびっくりしたが、「ターミネーター」や「エイリアン2」の監督が大ファンであることや、スピルバーグが映画化権を買おうとしていたという話を聞いて、納得したことがある。
話がそれたが、パトレイバーを論ずるときにはどうしてもガンダムを論じなければいけないのだ。
ともあれガンダムはいままでの荒唐無稽な設定を捨て(本当かどうか知らんが、昔のロボットものでは、熱光線の配電コードを逆にして冷凍光線を出す(爆笑)というシーンも有ったそうだ。ここまでいくと荒唐無稽とかを越えてシュールですらある)たリアルさをもちこんで大成功を納めた。
しかしながら、「リアリティ不可逆の法則」は当然この場合も適用され、以後の作品は余りにも煩雑な設定やストーリーによって普通の読者を排除する結果となってしまった(らしい。この辺は直接知らないのでいまいち確証がないが、若手評論家で、演劇論と政治学の専門家である(どーゆー人なんだろね)佐藤健志氏の本にも同様の事が書いてあるから間違いあるまい。)
それに対して、「機動警察パトレイバー」は全く新しいリアリティの与え方を発見した。すなわち、「現実にある日本の東京」を舞台にするやり方である。コロンブスの卵と言うか舞の海の奇襲戦法と言うか、とにかく上手い方法だ。しかし、ただそれだけ−−設定だけを変えて、内容的な変化がなければ筆者が94年のベストにあげたりはしない。作者のゆうきまさみは、日本の現実と地続きであるという−−考え方によっては物凄い制約とハンデだ−−設定を十二分に生かした世界を造りあげた。例えばこの漫画の初期、主人公らの敵となるのは、過激化してテロや実力行使も辞さなくなった環境保護団体であり、その後「警備会社の名目で企業グループの暴力活動を行なう集団」「米軍の秘密研究が事故で流出した生物兵器」などが登場した。これらの設定は「近未来の日本の犯罪組織」を考えたときに、リアリティとSF的想像力(いわゆるセンス・オブ・ワンダー)の両方の観点から見ても、極めて高い評価を与えうるであろう。簡単にいえば「ありそうでない」世界を造った訳で、1から10まで想像で築き上げられる宇宙ものやファンタジーとはまた別種の苦労があったことだろう。そしてさらに賞賛されるべきなのは、ドラマの中にも「現実と地続きのリアリティ」を持ち込んだ事である。たとえば11,12巻では、外国人労働者問題をテーマとして扱ったし、12〜14巻ではレイバー導入の陰に不正献金があったという疑惑と、それに苦悩する隊員の姿が描かれている。いずれも少年誌には不適当なほど大きく重いテーマだが、それをきちんと料理しつつエンターテイメントとして見せた。見習え石坂啓。ま、それはとにかく、この12巻からの「レイバー不正疑惑編」は迫真のドラマであり、御用とお急ぎの人はここから読み給え。しかしすぐ全巻読みたくなるだろうけど。
■類型を抜けたキャラクター・内海と後藤
主人公野明を含めて、この漫画の登場人物はすべて水準を越えた造形がなされているけども、以下の2人はその中でも突出した存在である。
この物語の軸は主人公・泉野明の所属する特車2課と多国籍企業・シャフトの「企画4課」の対決からなっているが、このシャフトの中心人物内海課長というのが非常に変わった、しかも魅力あるキャラクターなのだ。どんな大犯罪だろうと平気でやれる男なのだが、その原動力は金銭でも会社での出世のためでもなく「楽しいから」というゲーム感覚の動機なのである。 劇中、上役が彼を評して曰く、「手段の為には目的を選ばぬ男」。
「パトレイバーのデータを奪うため」という名目で会社の金を湯水の様に使い「グリフォン」を完成させた彼は、パイロットとしてのすぐれた適性をもつ少年・バドを人身売買組織から買って(!)対決させる。といっても本音は、最強のロボットを作り、それを証明するという「ゲーム」こそが目的である。(この性格設定は、ロボット同士が戦う必然性を創る上でも上手くできているといえる。)その行動があまりに会社組織を無視しているために、上層部から猛反発を食らうが、持ち前の機転と人を食った態度、そして組織のパワーバランスを上手く操る事によって生き残り続ける。この内海の会社内での物語はストーリーの柱の一つであるが、そのサスペンス、人間模様、どれをとってもあの「課長島耕作」なんぞ比べ物にならない。「課長内海の成功方程式」なんてのが出たりして(笑)。
上の人間なんてアタマから馬鹿にしてて、犯罪も遊びのつもりで、そのくせ残酷なことも明るくやれる男・・・・。いままでに見られなかった全く新しいキャラクターである。彼の影のように常によりそう右腕・黒崎や煮え湯を飲まされ続ける専務、徳永も味が有っていい。
役者でいえば.....「月はどっちにでている」の岸谷五朗なんかどうだろう。ちょっと違うか。
これに対するのが主人公の上司・後藤隊長。普段はボーッとしていて、日がな一日中水虫の治療をして過ごし、どんな緊迫したときにでもとぼけた、ジョークとも本音ともつかない台詞を口走っては呆れられているがその実、事態の裏の裏までを見通す洞察力を持っている。しかしそれを表には出さずに、巧みに部下や上司を誘導して思い通りの結果を出させてしまう「指導者の狡さ」をもった男なのである。迫力も凄みも持ち合わせているが、それを表に出さないのは警察という組織に出来る事と出来ない事をわきまえつつも、その中で最善を尽くそうとする「熱く醒めた正義感」の持ち主だからだろう。主人公野明が、敵であるバドの境遇を知って動揺したときに彼女に与えた台詞は単に感動的といった表現では表しきれないほどシビれるもので、哲学書か何かのの元ネタがあるのかと思わせる程だ。
ゆうきまさみが2年に1度は読みなおすという「坂の上の雲」の大山将軍と児玉参謀を足して二でわったような男である。別の言い方をすると、「銀英伝」のヤン=ウェンリーをもう少し寡黙にして、「中年の哀感」を加えると後藤隊長の感じになる、とも言える。役者でいうと、軽い感じで演じる山崎努か。
■主人公の成長物語
しかしこの漫画の主人公である泉野明も前述の2人とは別の意味で、確固とした人物造形がされていた、と言うより徐々にされていった。1巻から読んでゆくとわかるが、1・2巻頃の彼女は、自分が乗り込むロボットをまるでペットか兄弟のように溺愛して、出動の際には自分の愛機に傷がつくことを何より恐れていた。警察の機動部隊が機体に傷を付けるのを嫌がるというのもマヌケな話で、これが良いギャグとなっていたのだが、内海のロボット「グリフォン」との闘いの中で、自らの使命−警察官としてなすべき事−を自覚し、(プロのプライド)を造りあげていくのである。それを端的に表現しているのがさっき述べた愛機への態度の、変化の過程だ。
彼女が自分の愛機に対して兄弟の様な愛情を持っていることは変わらない。しかしそれが当初の自分一人のための愛情でなく、共に正義と責任を遂行するためのものに変わったのである。
1巻でほんの少しの傷で「キズがついちゃったじゃないかあ!」という台詞がでたのに対し、6巻でのグリフォンとの死闘では、完全にボロボロになっても「もう少しだ、頼むよ」と彼女は機体に話しかけるのだ。愛機への愛情表現という点では同じかもしれないが、そのベクトルはかなり異なっているではないか。こういう微妙で、しかも自然な変化を作者は極めて上手に表現している。その技術と感性には脱帽するしかない。
一方、敵のグリフォンを操縦する少年、バドは野明より遥かにすぐれた素質をもっていながら、あくまでも自分の機体をおもちゃと見なし、内海と同じくゲーム感覚を捨て切れない。
善悪の判断力を持たない彼は言われるまま遊び気分で犯罪を繰り返し彼女と対決する。「義務」を背負った側と「無邪気」に行動する側。このコントラストがクライマックスで光る。パトレイバー漫画版最終決戦
このような「警察官」の倫理が成立していく過程において興味深いのは、新米警官たる彼女らが、段々と正義感に目覚めるといった単純な構図だけでなく、逆にその正義感を時として押さえ付けられることもあるところだ。それは硬直した組織の為であることもあれば、警察というものがもつ限界のためであったり、あるいは解決不可能な人間社会の原罪の為だったりもする。
彼女らはその矛盾に歯痒い思いをしながらも、後藤隊長のサゼスチョンなどによって、「自分たちの出来る範囲で最善を尽くす」というかたちでの責任感を持つようになっていく。
警察官は、否、どんな人も全ての悪に対して無限の責任を負うことは出来ない。しかしその中で自分に課せられた義務を果たしていこうとする人々の気高さ、これがこの漫画が感動を読者に与えうるものにしている最大の要素だろう。松本零士−新谷かおる−ゆうきまさみという系譜に、なんとなく納得しませんか?
成長物語といえば、主人公・野明は篠原遊馬という指揮車担当官とコンビを組んでいるが、この2人の感情の交流は今の漫画には珍しいほど、さらりと触れられているだけである。不満な読者もおそらくいただろうが、最近の少年漫画が大体そういうのに流されているのに比べれば、そういうベタな感情表現を嫌うこの作者の態度には好感が持てる。もっとも「少年漫画」というジャンルではそもそもこれはくくれないけどね。ところどころで時代を感じさせるな。なつかしの90’s。
漫画の第一話が読める、けど
※ここだけ修正、載せた2008年は期間限定の企画だったが、現在はビッコミのスタンダード的に一話無料になった
bigcomics.jpこういう形で”古典”に触れる機会があるのはいいこと。
だけど、この作品に限っては第一巻はまだ方向性が決まらない段階で、敵方「シャフト」が登場し、警察側の内部事情など骨太のドラマが展開されるのは2巻目からだから、その事情はお含みおきいただきたい。
今の高校生、中学生なんかには「夏休みの課題図書」としたいぐらいだ。
「これがSF漫画だ、その可能性だ!」と言いたいのだが
なぜかゆうきまさみはSF界の権威ある「星雲賞」をパトレイバーではなく「究極超人あ〜る」で受賞している(笑)
http://www.asahi-net.or.jp/~RH7R-OOSW/seiun/year.html
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