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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「加藤紘一、その人と時代」…過去記事や、様々な本から。

きのう、第一報の記事を書いたのですけど、時間ができたのでやや長めに。結局「総理になれなかった人たち」の一人に入るだけのこの人を、なぜこうも記事で検証するのか。
それは以下のような理由がある

客観的に言って、ある時期「総理寸前」だった。そして総理だったら、日本の進路は変わっただろう…という『IF』。




そう、まずですね、ほぼ総理の目はないと思われていた小泉純一郎が、言葉の正しき意味で?の「ポピュリズム」…”われら人民”の後押しによって組織や政治のプロをなぎ倒し誕生したのが小泉政権なのだけど、あれはかなりの部分で、「森内閣が不人気を極めていたから、反動で新政権にどーんときた」だけであって(安倍ちゃん二期目、2012―13年と同じ)、「森の次の新しい内閣」だったら加藤紘一内閣であっても、発足後は同じような高い人気を得ていたのでないか?というふうに思うのだ。

そして、政界の狙撃手、手練手管に長けた闇の力を持つ野中広務も、政治信条や感覚的には近かった加藤に「乱」がなければ協力しない理由はない。おそらく内閣の重鎮となり、党内を抑える側に回っただろう。
そしてさらに、小泉純一郎はそもそもYKKだし、郵政民営化の扱いをどうするかは加藤の手腕次第だが、彼も多分協力する。となると、「人気者の補佐役」として加藤政権を支えるのだ。山崎拓も…女性問題がこのIFの世界でどうなったのかは不明だが(笑)、まあ加藤を支える。


北朝鮮と日本との関係もどうなったろうね。


しかし、実際は加藤氏は「待てなかった」。その背景を、ある小説では……

ここで、ある”小説”を紹介した過去記事を紹介したい。小説という形で、その当時の状況をリアルに解説するという、よくあるやつだが…
表題では「4年前」だが、記事自体がもう11年前だよ、驚きだね(笑)。つまり15年前に出た作品。
この記事を書いたのは、小泉の郵政解散を受けてだ。
ついでながら、格闘技の人気はピークを過ぎようとしていたが、まだまだ社会に根付き、選手たちがスターだった時代…


政治の季節に・・・4年前の政界ノンフィクション小説「寸前暗黒」の面白さ - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050814/p2

寸前暗黒 (文芸シリーズ)

寸前暗黒 (文芸シリーズ)

「いまさら4年前の、政界小説なんか読んでもねえ」と思う皆さん、それは大いなる誤解。
登場人物は今や引退したり被告人になったり、議会を解散したりとそれぞれだが、このとき小説という形であらわされたパーソナリティーと行動予測を、現在の状況という「模範解答」と照らし合わせることで、逆に何がどう変わったのか、何が意外だったのかがよく分かるのだ。


この種の作品で、特に重要なところは何かというと、個々人のパーソナリティーを現す個人情報だ。というのは政策評価や政局占いという点では、新聞の政治記者だってまあ、早くいえば「当たるも八卦、当たらぬも八卦」な部分は免れまい。
しかし、政治家のクセや人脈、交流、趣味嗜好や家族の横顔は、日常的に政治家に接する機会が多い政治記者たちが外すことはほとんどない。しかも、日々の記事では触れる機会も少ないので、勢いこういう場ではハリキることになる。


(途中もおもしろい(自画自賛)が、略)


また、森喜朗ナベツネが評した1シーン。

「一週間ほど前、『吉兆』での会合に森を呼んだんだ。こっちは中曽根さんと瀬島龍三日本テレビ氏家斉一郎とおれ。森は新聞の束を抱えてやってきた。のっけから、新聞を広げてこういったんだ。『ナベさん、これひどいじゃないですか』」
「何の新聞ですか」
「全国紙を全部持ってきたんだ。マラソン高橋尚子が国民栄誉(笑)をもらったという記事が載っている(略)。『各紙とも写真を載せてますが、みな私が高橋尚子に栄誉賞の盾を渡している写真です。ところが読売さんだけは私が写っていない。高橋尚子だけです。何か意図があるんですか』・・・・」

ナベツネ感想「ばかだよ、あいつは。」

(略)
(略)


もう少し、この本のストーリーを見てみるとする(といっても、基本的には現実政治どおりだが)。前半の山場は上に述べたとおり、小渕の急死でできた森政権への、加藤紘一の叛乱とその挫折である。これがまた、本当にある意味今回の「郵政解散」をネガポジにしたような部分があり、その分示唆に富んでいる。


時は2000年秋。失言相次ぐ森内閣への不支持率は7割を超え、鼎の軽重を問う声が巷間にあふれていました。加藤紘一は前述のナベツネらがつくる勉強会で、「森に内閣改造はさせない。私がやる。野党の不信任案同調も選択肢だ」と宣言した
ナベツネ勉強会のつくるネットワークは広く、深い。ある意味公然たる宣戦布告だった。
ここからあとの人間模様は、スケールは小さいながら「三国志」や「K-1vsPRIDE」もかくやという人間模様を見せる。

お馴染みのスーパー悪役”闇の帝王”野中広務加藤の乱の一報を聞き、こうつぶやく。

加藤発言を耳にした野中広務はつぶやいた。
「かわいそうに」
この野中の言葉は重い。

いや、重いっつーか怖いわ。

また、加藤の決起を最終的に促したのは、実はこの乱で森の親衛隊として反乱鎮圧の先頭に立った小泉純一郎だったという意外な話が出てくる。彼はYKKの盟友でも有る加藤に

「加藤さん、野党が内閣不信任案を提出しそうだけど、俺だったら同調するな。おれだったら同調するよ」
加藤は小泉の顔を見つめていった。
「そうだね。僕も同調するよ」

(略)
山崎(山崎拓)は携帯電話で加藤を問い詰めた。加藤はすべてを認めた。山崎は大きな声を出した。
「小泉にはめられたんだ!」

これは何だったんだろうか?牽制の意味で、そう言えば逆に加藤が自重すると思ったのか、そそのかして自滅させようと思ったのか、加藤の乱の成功も視野に入れ秋波を送ったのか。
まあ小説の中の話でもあるし、真偽を含めて実際のところは永久に分かるまい。



結局、「加藤の乱」は無残な失敗を見せる。なんでも、竹下派の中で、野中の前に青木幹雄と会って乱について相談したのが、ヒロムの逆鱗に触れたとか(笑)。
余談だが、加藤紘一政権というのは、歴史が少し歯車をずらしていれば、十二分以上にあり得たと思う。小渕恵三が再選を目指したとき、対立候補として出ないでずっと支える側に回っていれば、小渕氏が急逝しようが任期を全うしようが、間違いなくその後継になったろう。私は加藤氏の資質に大きな疑念を抱いているので、その失敗を幸運だと思っているのだが。

この加藤の乱の失敗の本質は、横丁のご隠居も政治のプロも意見が一致している。
著者は登場人物にこういわせた。

「権力闘争は生きるか、死ぬかだ。加藤は準備不足だった、といっているようだが、不足しているのは準備などではない。覚悟だ。覚悟が足りなかったのだ。」

「残念ながら、加藤は将としての器ではなかったということだ。(略)政治指導者に必要なのは、いかなる状況でも平常心を保てる強靭な精神力と、犠牲をものともしない非情さだ。」

いかがですか。
いま入手可能か、図書館などにあるかはわからないが、興味ある人は読まれては。執筆者は田勢康弘の別名だ、と言われている。


しかし、
覚悟もそうだが、「待ち」が足りなかったのだ、と、歴史を後ろから見ると思うわけ。
加藤の乱も、森内閣の自滅と自壊を待てばよかった、となるが、その前に
小渕恵三の再選を支持し、ずっと宏池会―創政会同盟を維持していれば、加藤紘一が小渕総理の後継者だった」という、これまた十分にあり得たIFもある。


ただ、当然、「当時はわからない」わけでな。
小渕が脳こうそくで任期半ばで急逝する、とか「森政権がまもなく終わる。竹下派の総裁候補ハシリュウは不人気だ」なんて未来人が告げていたらそりゃ、加藤だって待ったろう。それが分からないからこそ人は勝負に出る。小池百合子氏は、まさにそういう勝負に出てことし勝ったわけだし……

これが人生のアヤ、勝負のアヤ……。



西部邁の見た加藤紘一」もプレイバック。

ことし3月に書いて、けっこうブクマとかがついた記事。

『書き屋』『先生にXX円さしあげろ』…「政治家と付き合うこと」を赤裸々に書いた西部邁の本が異様に面白い。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160324/p1

小沢一郎は背広を着たゴロツキである。

小沢一郎は背広を着たゴロツキである。

表題でだまされてはいけません、この表題はあくまでも例示であり、自民・非自民ざっくりわけて両方ちゃんと遡上にあがっています(笑)。

この本、異様に面白かった…んだが、何がおもしろいかというと、西部邁氏の、自分の個人的な「政治家と接触して、そこで直接見た言動や印象の記録」なんです。
それも基本的に悪口(笑)。
(途中も面白い(自画自賛)が、略)

加藤紘一氏は、故唐牛健太郎に「後を託された」?その加藤氏は西部を「書き屋」と呼び…

あー、字数が多すぎて、写すのが面倒なので…画像

こっちだともっと画像が鮮明ですな
http://f.st-hatena.com/images/fotolife/g/gryphon/20160324/20160324113045_original.jpg?1458786676
加藤紘一氏は、日本政治史で90年代末に、ほぼ総理の座に指先が触れた…決勝進出、ぐらいまでした人物であることは間違いないだろう。
この人が総理だったら、平成史はものすごい違いがあったと思うよ(悪い方向に)。
その人物が、日本反体制運動で、やはり一番の影響力を発揮した一人から、末期がんのときに「後を託される」というのはちょっち、ダークファンタジーじみたロマンがある(笑)

だが、そんなこんなで「西部氏のほうから」加藤氏に会いたがり、しかも「森田実」氏を通じて会うことができるようになった…というのがまたなんともね(笑)。しかも、こういうときに会う場所は、やっぱり料亭なんだ…費用はどこ持ちなの??

約束の料亭で森田氏と一緒に座していた。しかし、30分経っても1時間待っても加藤氏はこない。
(略)
たぶん1時間30分遅れで加藤氏がやってきた。みたところ泥酔とは言い切れまいが、それに近い深酔いの状態とみえた。(略)当方は…「来るべき大衆社会の大混乱に備えるには真正の保守思想が必要で、そのためなら一知識人として尽力したい」ということだけを伝えた。いや、冗談口として『ゴーストライティングもいとわずに…』
(略)
それに対し加藤氏は「我々もそろそろ書き屋を必要としている。自民党は書き屋を集めていないからなあ」と応じてきた。『カキヤ』と聞いて、最初、私は何のことかわからなかった
(略)
いま、加藤氏がもう一つの言葉を吐いたことを思い出した。『唐牛さんがなんだかんだといっていましたがね』といったような言葉が氏の口から出たのである。

最後の話はどういう意味だろうか。加藤氏は「そういわれても迷惑だ」ということだったかもしれないし、というかその後も接点はやはりあったんか!!と驚く点でもある。
まあ、結局加藤紘一氏と西部氏は肌が会わず、
銀座のバーで2006年、女店主から「加藤先生がこの前いらして西部批判をやっていたわよ」と聞かされたという。
それも自民党政治家から「西部は左翼を裏切った反動で右翼になった」と言われた、というのだから(笑)。

そして佐々淳行の本から!!!これがキツイ!!!!


「公務であれば秘書官もSPも、九州まででも北海道まででもお供します。しかし、党務、閥務、ナイトクラブやゴルフ場のような私用には公用車は使わず、宮沢派宏池会の車とかタクシーとかでやっていただきたい。SPや運転手は週3、4回も車庫に泊まっている有様です
すると、色をなした加藤長官は
貴方はSPを使って私の行動を調べているんですか。SPが言いつけたのですか?」
と言うので
「いいえ、違います。みんなが知っていて、みんなが言ってます。SPは私に言いつけたりしません。SPは可愛がってください。彼らはいざというときは大臣を体で庇って守る役ですから」
というと、加藤長官は、声を大きくして
「彼らは、それで給料、貰ってるのでしょう?」…(後略)

佐々淳行は、防衛庁時代に上司である加藤紘一に「飛ばされた」らしい。そのへんの人事的な経歴は見ると面白そうではあるが。
で、加藤への恨み節は

私を通りすぎた政治家たち

私を通りすぎた政治家たち

にもっとくわしく載っていたと思うのだが、ちょっと本棚を探す時間がないので、たまたま目についた
ほんとに、彼らが日本を滅ぼす

ほんとに、彼らが日本を滅ぼす

からとった。正直、この本は佐々のかいたものの中ではデキがいいほうではない。上の作品のほうが、たぶん加藤紘一批判も含めて(笑)生き生きとしており、かつ描写が具体的である。
「ほんとに〜」の描写でも、ちょっとアレではあるが、他の作品では「円ドル買いに血道を上げる」「防衛庁施設のペンキ塗装に、地元山形の業者をゴリ押し」などなど、まあ「佐々メモ」無双の細かい描写がたっぷりと(笑)。


で…

けっきょく、お金の問題がね…

加藤紘一が総理大臣になった世界という「IF」でも、結局、そういう金銭問題が足かせになって政権は倒れ、大きなことはできなかったのではないか、と言われるとなんともだ(笑)

http://homepage2.nifty.com/tatsumi1123/back/H8-nagata/nagata58.html

[永田町コンフィデンシャル58号=永田町発平成8年9月20日(金)

「九月解散・十月総選挙」の党利党略ならぬ「個利個略・私利私欲」の舞台裏?

──連立与党・自民党も苦しいが、野党・新進党はさらに苦しい選挙状況に──

九月十九日の与党首脳会談で、「九月二十七日解散、十月二十日投票」がほぼ確定した。

「加藤の、加藤による、加藤のための解散・総選挙だな?」

加藤とは、自民党加藤紘一幹事長のことである。加藤氏は山崎拓政調会長小泉純一郎元郵政相らと自民党内の中堅・若手を糾合し、グループ「新世紀」を率いるポスト橋本をうかがう有力候補の一人と目されている世代交代派の旗頭である。が、その加藤氏は、六年前のヤミ献金疑惑をめぐる民事訴訟の『不戦敗』問題で、野党・新進党の集中砲火を浴びている。

新進党小沢一郎党首は新進党両院議員総会で「加藤幹事長の辞職がなければ臨時国会召集には応じない」と述べ、公然と審議拒否を宣言している。臨時国会が何時、召集されるのか、何を審議するのか──全く不明の時点で、国会での審議拒否宣言をする党首を持つ新進党は、摩訶不思議な政党である。

さて、自民党内で衆院の早期解散論から臨時国会冒頭解散論が急速に強まった背景には、三人の党幹部の強い意向・主張があった。加藤紘一幹事長、加藤幹事長の盟友・山崎拓政調会長梶山静六官房長官の側近・村岡兼造国対委員長の三人である。

山崎氏は八月の早い時期から、親しい番記者に早期解散・総選挙を主張していた。

「今、のんびりしとるやつがいたら、そいつはよっぽどの政治音痴や。わしは、ずっと一貫して冒頭解散だ、といっとるやろう。今は、支持率が高い。支持率が下がる前にやる方がいいに決まっとろう。いつ、どうなるか分からんからな」

山崎氏が言う「いつ、どうなるか分からんからな」というのは九月三十日に任期切れとなる自民党役員人事を指していると見られる。

ヤマタク小選挙区で苦戦が伝えられている。それだけに政調会長という党三役の肩書で選挙に臨みたいところだろう。来年度予算編成後の年明け解散・総選挙になると党役員人事がどうなっているか分からないからだ。ヤマタクは、臨時国会で盟友・加藤のヤミ献金疑惑が新進党の標的になり、国会の膠着が続き、追い込まれてからの解散よりは冒頭解散がプラスという判断があるようだ」

その加藤氏には、例のヤミ献金疑惑問題を選挙の『洗礼』を受けることで『みそぎ』としたいという思惑があると見られている。

「加藤さんは幹事長として総選挙の指揮を取りたいという思いが強いようだ。それに冒頭解散で総選挙となれば、みんなチャラになると読んでいるんじゃないかな。しかし、そう簡単ではないと思うけどな。加藤さんは自分の問題がチャラになり、『みそぎ』も済むと見ているようだ」(旧宮沢派中堅議員)

(後略)

民事訴訟の不戦敗」とは、彼の金銭スキャンダルを告発した人がいて、加藤氏はその告発を否定、ならばと告発者は「嘘つき呼ばわりされた」と名誉棄損で訴訟…だが「そんなことで争っている暇はない」的な理由で加藤氏は民事訴訟の「不戦敗」を選択した。
これは横山ノック氏や、社民党又市征治氏がとった戦術でもある。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080711/p4

ノックはそこから辞任、逮捕にいたり、又市氏はまあ生き残った。「民事不戦敗」(の持つ重み)の問題はいまだにいろんなところで登場するが、確定した感じはない。


その後、また別の金銭スキャンダル問題(「秘書の」とはなっているが)で議員辞職にまで追い込まれた。
そういう経歴から逆算することで、佐々淳行の告発もリアリティが出てくるわけで、なんともなぁ・・・・・・・・・・。
そして、こんな笑い話も当ブログでは記録に残していたよ。

毎日新聞(2006)1/25によると、自民党総務会で加藤紘一氏が

「カネですべてが片付くという考えの持ち主(ホリエモンのこと。この時、ライブドア事件で逮捕された直後だった)を応援したのはいかがなものか。反省すべき点は反省すべきだ」と発言。

武部幹事長は、最初は反省姿勢を示したものの、

いらだった武部氏はかつて加藤氏が政治資金問題で議員辞職したことを引き合いに出し「加藤先生はカネ、カネとおっしゃるが、先生が一番政治とカネの問題で苦労されたんじゃないでしょうか」

おひおひ。

それなりに手練手管には長けていたようだが…

なにしろ野中広務と組んで、新進党から議員を鞍替えさせて「単独過半数を獲得する」ということをやってのけたりした。
ほかにはこんなことも。

宮沢喜一首相は右翼と協議し、「天皇訪中」とのバーターで靖国神社に極秘参拝したらしい - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150803/p3
メモ。元はこの本から、だがうろおぼえで。

戦後70年 保守のアジア観 (朝日選書)

戦後70年 保守のアジア観 (朝日選書)

記憶による要約 

・「天皇訪中」は宮沢内閣下で実現した
・だが、1989年の天安門事件の記憶も生々しく…というか西側の制裁は続いており、反対論も極めて根強かった。
・あれやこれやの根回しをしたり、中国から「お言葉には一切文句をつけない」「万全の警備をする」「失礼なことは絶対にしない」といった妥協も取り付けたが、まだ際屋の反対論は根強かった
・そこで加藤紘一らが動き、右翼の中でも格別の権威を持つ「大東塾」に相談する(いのか?)
・賛成とか了承はいわれなかったが、文面にやや柔軟なものを見て取った政府は、さらに右翼とあれこれ詰めたらしい。

・その結果「バーターとしての宮沢喜一靖国参拝」が実現したとか、しないとか(同書では「実現した」と断定している)

NHKの証言ドキュメンタリー「永田町 権力の興亡」がいま見られればいいんだけど

NHKオンラインで見られるだろうか?
本にもなったらしい

NHKスペシャル 証言ドキュメント_永田町 権力の興亡~1993-2009

NHKスペシャル 証言ドキュメント_永田町 権力の興亡~1993-2009

あっ!!!まったく枝葉だけど、この番組の名曲だった、川井憲次作曲のNHKスペシャル音楽いろいろが、2014年にCDになっていたらしいぞ!!

Kenji Kawai Original Masters vol.1 ~NHKスペシャル~ (CD3枚組)

Kenji Kawai Original Masters vol.1 ~NHKスペシャル~ (CD3枚組)

はっきりいって、こっちのほうが大ニュースだ(笑)
この音楽を視聴なされ。
http://www20.tok2.com/home/gryphon/data/kawaikenji-nagatacho.mp3






ともあれ、こんなふうに、首相の座は射止められなかったけれどさまざまな足跡を残した人でした。どうか、やすらかに。

このtogetterも、少し更新した。

加藤紘一氏逝去。 その反響 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/1022934