INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

【メモ】「インペラトーレ・ヒロヒト!」「お前たちは(戦争が)最後までだったから偉い」(ニコニコ)という人は、イタリアやドイツに90年代まで結構いたらしい(伝聞)

【日曜民俗学

昨日が終戦記念日でありましたが、お盆でもあり、この季節に、かつての知人友人に会う機会がありました。
その中で、80年代後半から90年代にかけてずっと音楽でイタリア留学していた人に会った。だいたい1年ぶりぐらいか。
この人は

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20040405/p1
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20040406/p1

という話に出てきたK君である。その記事でも「海外に留学した」と書いてあるが、留学先はイタリアなのだ。


ほんで、雑談の中から、ふつーに出てきた思い出話。
これまで話をしていて彼に一切の政治性を感じたことはないし(聞けば、そりゃあ何かあるのだろうが)、この話が持つ意味だってまったく自覚していたようには見えなかった。
とりあえず、録音してないから一字一句正確ではないが、以下要約する。

「イタリアの、田舎のほうにいくと、日本人だとわかると『インペラトーレ(だったかな?)・ヒロヒト!』と、ニコニコしながら言うんだよ。昭和天皇知名度って、やっぱりあっちはすごかった(※再度強調、80-90年代です)。」
「それ、褒めてるというか好意的な感じで」
「うん、そうだよ。で、『お前らは最後までやったから大したもんだ。俺たちは途中で抜けたのに』って、これも何人かから言われた」
「一人とかじゃなく?というか、やっぱりそれは戦争の話?」
「うん、決まり文句みたいな感じだったな。だいたいイタリア、ドイツ、ジャポンって単語並べてるし。ニコニコしてるから親しみの表現だよな」
「なんと」
「そういう話はドイツでもあった」
「!」

・・・・・・・・・・てな話。
以下、個人的に思う注釈。
・やはり「80年代―90年代」なことが重要なのだろう。いま現在の2015年から見れば四半世紀から30年。十年ひと昔でいえばふた昔。ど根性カエルの先生の教師生活と同じ。
「戦後70年」と「戦後40年」では、生物学的にその時代を青年壮年で生きた人の生き残っている数が違う。このへんの「肌感覚」や「親近感」はガラリと変わっているのだろう。
 
・また、年代でいうより、「インターネット前時代」「後時代」に分ける視点も考えられるだろう。ネット時代を便宜上、WINDOWS95発売の1995年と仮定し、情報と知識が爆発した時代の前と考えると…これも自分の実感で分かるが、とくに「海外情報」は言葉の壁があり、通信社の取捨選択や海外体験者の見分がメディアに載る時の取捨選択もあった。
 
・情報の絶対量が不足している中で外国人と接するとき、とりあえずの共通の話題として、「その人の国の有名人」を挙げることは、今だってある話だ。
イタリアでは、80年代―90年代で日本人と聞いてぱっと思い浮かぶのがやはり『インペラトーレ・ヒロヒト』であるのは、いい悪いは別にしてあり得る話だろう。サッカーの「ナカタ」がちょっとばかりのセンセーションを巻き起こすのは、もう少しあとになる…よね?
ブルース・リーと混同して「アチョ―のポーズ」をとられるのと本質的にはかわりあるまい。
http://ikeuchisatoshi.com/i-1215/
 
・ちなみにK君のいうには「俺の留学時期のイタリアで特に人気や知名度がある日本人は、タツミ・フジナミだった」のだという(笑)。
ちょ、それプロレスファンのバイアス…といいたいところだが、実際に新日本プロレスがいち早くクールジャパンのコンテンツとして、人気があったのは知る人ぞ知る話。アントニオ猪木が「コロッセオに板をしいて会場をつくり、ここでプロレスをやりたい」とか言い出してたぐらいだ。
 
・イタリアはそもそも、ファシズム運動をたとえばドイツのナチズムほどに断罪し、社会的地位を与えないような状況ではない。ムッソリーニの一族が議員の議席をもち、その流れをくむ「イタリア社会運動」が政党として活動していたのも有名だ。
いまは大きな「右派連合」に合流しているのか
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E9%81%8B%E5%8B%95




・とりあえずメモしたのは「この次はイタリア抜きでやろう」というジョークに代表されるような(これはこれで上の話とどんな整合性があるのかは一考だが)、「ヨーロッパで旧枢軸の国民から、それゆえの親愛の情を表明される」ということが、少なくとも21世紀のいまでは激減したっぽいし、また少なくともいまはポリコレに反するものとして封印されたようだ。(北野武ベネチア映画祭での受賞の際似たジョークをいい、盛大にすべった。)
(まあ、そりゃそうだろう)
…だが、その結果?「そういう話は、そもそも以前から都市伝説じゃないか?」というふうに、逆に否定論が行き過ぎる状況もないではない、と感じたので。

これは2014年の議論のまとめ

ドイツ人から日本人へ「次はイタリア抜きでやろうぜ」……ってジョーク、ホントに言われてる? - Togetterまとめ http://togetter.com/li/625839

よくできた都市伝説じゃないか?
本当にそういう記録が残っているのか?
みたいな話から、北杜夫小田実という、「まだ貧しい60年代に海外に行けた作家」の代表格からの実例が判明した…という一件でした。


それに関連して『実例』を聞いたということで、公開でメモしておく。
ちなみに、いつ、どこで、どんな人から聞いたか?などのディテールについては、雑談くずれなので詳しく聞いてはいないが、再度メールなどで確認することはできます。