まず「5月35日」とは何かというと…一昨年の天声人語より
中国では天安門事件=「六月四日」とあからさまに書けないので「五月三十五日」と表記する(天声人語) - 見http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140606/p2
「12月32日」という奇妙な日付が出てくるのは、きょうが命日のヨハン・シュトラウスの喜歌劇「こうもり」だ。大みそかの日めくりを破ると、1月1日と思いきや12月32日になり、観衆がどっと笑う▼ひるがえって、「5月35日」は笑えないし、説明が要る。中国で25年前に天安門事件が起きた。その日付「6月4日」は中国政府が最大級に敏感な語だ。ネットに書けば当局に削除される。監視をかわす隠語として広まったのが5月35日だった▼8の2乗という隠語もあった。8×8=64。すなわち6月4日の意味だが、どちらも今では使えない…(略)
それを踏まえた上で、このツイートを。2万以上リツイートされ、ブクマも60近くされているから、ご覧になった人もいるかな。
本日、中国でアップされた一枚の写真だ。知っている人は知っているが、歴史上では決して忘れてはいけない日なのに、しかし、この表現は中国国内に限って、もう精いっぱいなのかもしれない。 pic.twitter.com/uEs4JwfjDa
— 毛丹青 (@maodanqing) 2016年6月4日
涙を抑えることができない。
それは、近代的、啓蒙的な民主化や情報公開の運動であると同時に、中華帝国に連綿と受け継がれてきた「歴史を支配する意思と、それにあらがう意思」を見るからだ。(まあ、これは当方の勝手な見立てである)
何べんも、この手の話題のときに紹介した「正気の歌」。
http://ja.wikisource.org/wiki/%E6%AD%A3%E6%B0%97%E3%81%AE%E6%AD%8C
この宇宙には森羅万象の根本たる気があり、本来その場に応じてさまざまな形をとる。
それは地に下っては大河や高山となり、天に上っては太陽や星となる。
人の中にあっては、孟子の言うところの「浩然」と呼ばれ、見る見る広がって大空いっぱいに満ちる。
政治の大道が清く平らかなとき、それは穏やかで立派な朝廷となり、
時代が行き詰ると節々となって世に現れ、一つひとつ歴史に記される。
(略)
例えば、春秋斉にあっては崔杼の弑逆を記した太史の簡。春秋晋にあっては趙盾を指弾した董狐の筆。
秦にあっては始皇帝に投げつけられた張良の椎。漢にあっては19年間握り続けられた蘇武の節。
…(略)
ある時は諸葛亮の奉じた出師の表となり、鬼神もその壮烈さに涙を流す。
「太史の簡」とは。
http://www.c-able.ne.jp/~s-town/seiki.htm
斉の宰相崔杼が、主君霊公を殺したとき、事実を隠蔽しようとした。
しかし、職務に忠実な史官は「崔杼、其の君を弑す」と記録した。
怒った崔杼はこの史官を殺したが、そのふたりの弟も同じように書き、殺され、4人目の弟がついにそれを記録に残した・・・
このはなし、あとで続く。