今日(6月10日)は時の記念日。天智天皇が、日本で初めて水時計(漏刻)を設置した日にちなみ、大正9年(1920)東京天文台等によって定められました。画像は『日本書紀』の「漏刻」の記載です。#時の記念日 pic.twitter.com/EquR42cXWl
— 国立公文書館 (@JPNatArchives) 2016年6月9日
元の記事のリンク
「戦場の時計はチクタクでなくStill live, Still live,と時を刻む」 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140611/p2
を紹介するだけでもいいかもなのだけど、今回も文章を入れておこう。
(書き手は終戦後、フィリピンで武装解除され、ほぼ絶食状態のまま船で輸送され、やっと仮の捕虜収容所に入る。そのとき身長176センチで、体重は40kgだったという)
・・・闇の中のカンバスベッドの手触りは、「人間としての扱い」への手触りだった。そしてその手ざわりを感じたとき、内地を出たときからここまで持ち続けたものが、一枚の軍用毛布だけでなく、頑丈な懐中時計だったことに気付いた。そしてそれに気づき、その音が耳について離れなくなったとき、去ったはずの戦場がまた甦ってきた。
時計は砲兵と切り離せず「時計は兵器」であり「時計の規正」は私の軍務の一つだった、なぜそうなるか。「何時何分射撃開始。何時何分射撃停止」と命じられたとき、部隊長から分隊長までの時計が一分一秒の狂いもなく調整され、同時に歩兵部隊とも調整されていないと、とんでもない事故を起こす。
だが、戦場には時報はない、したがって各人の時計が常に同一時間を指しているように調整する「規正係」が必要になる。この規正が神経症的にやかましく言われたのも、補給力なき日本軍が最後まで「突撃主義」だったためと言える…(略)…「1分6発3分間、射程延伸100メートル」という形で「お題目」のようになっていた。いわば歩砲の双方に名人芸が要請されており、10秒の狂いも友軍を誤射して徹底的にたたくという悲しい結果になる。そのため時報なき戦場での「時計の規正」のため、これが平時でも躾のようにうるさく言われ、私のような性格的に「分秒単位」の嫌いな人間には少々神経に来るほどだった。
(昭和)19年の2月ごろ、後で硫黄島で戦死した近衛師団長栗林中将が連隊に査閲に来た。彼は連隊長の報告を聞き流しつつ、いきなり私たち見習士官の前にズカズカと来て「時計を出せ」と言った。砲兵が持つのは通常頑丈な懐中時計である。全員、時計を掌に載せて不動の姿勢をとった。標準時を基準とすればある者は2、3分進み、ある者は4、5分おくれ、その誤差の幅は6〜10分くらいだったと思う。
「時報のある内地にいながら、この誤差は何たることか。このようなことで、時報のない野戦にいったらどうなるか!」と、丸いめがねに丸顔の、立派な口ひげの師団長からこう一括され、連隊長以下一言もなかった。一同その後で大目玉をくらったことは言うまでもない。
私が持ち続けてきたのは、その時のその「時計」であった。武装解除でも「時計という兵器」は残された。
(略)
頑丈な懐中時計はちょうど盲腸の少し上の位置にあり、暗黒の静粛の中で、疲れきって深々と下がった頭がそれに近づくと、時を刻むかすかな音は、まるで心臓の鼓動のように耳にひびいた。後に、わたしはガダルカナル以来日本軍と死闘を繰り返してきたコノーという米軍軍曹と仲良くなったが、彼も私同様徹底した時計嫌い、「戦場の時計はチクタクと時を刻まず、スティルリブ、スティルリブと時を刻む。あんなものは生涯もつ気がない」と言っていた。私がその幕舎で思い出したのもそれで、死を待つという状況におかれたとき、心臓の鼓動のように感じられるあの時計の音だった。
もっともこういう感じは、勝利のみの軍隊はもっていないであろう。コノー軍曹が上陸したときの初期のガ島では、米軍はしばしば、突入する日本軍の前に立ち往生している。こういうとき、じっとそこで友軍の反撃を待つ間の時計の音も、また異様なものかもしれない。従ってすべての米兵が彼のようであったわけではなかった。
実際この時計は、心臓の鼓動と同じように、「スティルリブ、スティルリブ……」と打ち続けてここまで来た。だがこの音は常に、近づく死の足音ともいえる音でもあった。それを感ずるのは激動の最中ではない。ちょうど今夜のような、シーンとした状態で洞窟やタコツボの中、あるいは平原のただ中で、死が、歩一歩と徐々に静かに確実に迫ってくるとき、「審判の時を刻む」というあの言葉にも似て刻一刻、「スティルリブ、スティルリブ…」とそこへ至る時を刻む。死が近づいてくるといま書いたが、本当の感じはそうでない。むしろ時が「スティルリブ、スティルリブ、スティルリブ、スティルリブ……」と言ういつつ、自分を死の方へ押しやって行く。
(大幅に略)
…本収容所への移動は意外に早く、その日の午後に来た。……柵外に出され、そこにすわって指示を待つように言われた。(略)…晴れ間に、非番らしい米兵がやって来て、1カートンのタバコと二箱のレーションを両手で高くあげ「トケーイ、トケーイ、ウォッチ、ウォッチ」と大声で言いつつ、陽気に我々の間を歩きまわった。その態度は率直で暗い影がなく、気持ちがよかった。
私は懐中時計をとり出すと、その紐を指にかけ、すわったまま、黙って高く手をあげた。彼は目ざとくそれを見つけると、近寄ってきて私の膝にどさりと煙草とレーションを投げ出し、私の指にかかった時計を手にすると、驚くべき早さで蓋をあけて中身を見、何も言わずに立ち去った。
それ以後私は、時計を身につけたことがない。
以上
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