「神風」が吹いた。果たして、それは真実か。『蒙古襲来絵詞』には、暴風は描かれていない。太平洋戦争以前、日本が他国から攻撃を受けた唯一の戦いである、と言っても過言ではない「蒙古襲来」に関する通説こそは、砂上の楼閣だった。第66回毎日出版文化賞受賞後、渾身の話題作刊行。
- 作者: 服部英雄
- 出版社/メーカー: 山川出版社
- 発売日: 2014/12/01
- メディア: 単行本
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あああっ!!この本の作者と同じだったといまamazonの一覧で分かった!!!
- 作者: 服部英雄
- 出版社/メーカー: 山川出版社
- 発売日: 2012/05/01
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書評:蒙古襲来 [著]服部英雄 - 本郷和人(東京大学教授・日本中世史) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2015032200013.html #bookasa
私の師、中世史家・石井進がもっとも愛した弟子がこの本の著者・服部英雄である。地域に密着しての綿密な取材には定評があり、著書は数々の賞に輝く…(略) 元寇研究には、石清水(いわしみず)八幡宮の周辺で作成された『八幡愚童訓(はちまんぐどうくん)』を用いるのが従来のやり方であった。だが著者はこの史料を欺瞞(ぎまん)に満ちたものとして斥(しりぞ)け…
(略)迫力に満ちた本であり、賞賛を集めるのだろう。だが学問的「突っ込みどころ」は多い。何より冒頭で、フビライの出兵意図を、十分な根拠も示さず「日本の硫黄が欲しかったため」と決めつけたのには驚いた。
元は伝統的な華夷(かい)秩序の樹立を望んだ。だから幕府が対応を誤らなければ元寇はなかった、というのが主流学説ではなかったか。だが硫黄の入手を切望していたなら…(略)
こちらは共同通信の書評
本書の帯に「『神風』が吹いた。果たして、それは真実か」とある。書店で見かけて驚いた人もいるだろう。しかし最大の読みどころは、蒙古(モンゴル)軍による2度の日本襲来時に吹いたとされる“神風”の否定ではない。実は、現在の日本中世史学界では、1度目の「文永の役」(1274年)は台風のおかげで勝ったわけではないという見解が有力なのだ。
真の問題は、嵐による蒙古軍壊滅を否定したにもかかわらず、蒙古軍は翌朝には帰ったなどという古い見方・・・(略)文永の役は威力偵察で、蒙古側に本格的侵攻の意図はなかったのではないかといった推測も加わった。
机上で組み立てられた学説に著者は疑問を投げかける。「勝っているのに一日で帰った。そういう戦争って、あるのだろうか」と。…(略)通説はもっともらしいが、潮位や兵力、移動距離、移動時間など数字を細かく突きつめると、矛盾をきたす。すなわち「物理的にムリ」なのである。
という感じで、書評を見る限り 賛否両論、論争的な本らしいねん。
「蒙古襲来は、いわゆる定説では説明できない」は、へんな言い方だが「異論クラスタではメジャーな話」であって…まあ、一般社会と歴史好きのアレは違うので「季節的に台風が来た例は無いよ」とか「第一回は威力偵察で、計画通りに帰っただけだったという説がある」とか「元は対南宋牽制で使者を送ったので、適当に返書しておけばそれで何事もなかったんじゃない?説がある」みたいな話は一般的には「へぇ!!」かもしれないが、今それを「大胆に通説に異議を唱えている!!」とやったら誇大広告のそしりを免れない。
そんな今、これだけ通説に異を唱えた本だ!と書評で紹介されているのだから、何かガッツンとくる議論が展開されてるんじゃないか??? という直感。まだ本そのものは読んでいません。
元寇を漫画で本格的に描く「アンゴルモア」1巻はなかなかに面白かったなり。
- 作者: たかぎ七彦
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2015/02/10
- メディア: Kindle版
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あれ????もう2巻が出ているなんて思わなかったぞ!!!たった1カ月で!!
- 作者: たかぎ七彦
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2015/03/10
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「秀頼出生は、計算が合うか問題」というのがある(笑)
差別に耐えながらも社会の重要な役割を担い、誇りを持って生きてきた人びと。中世の被賤視民を対象として差別の歴史を叙述。フィールド調査と史料の読み直しによって、被差別民の新たな活動と役割を明らかにする。また、非人の世界に身を置きながら関白にまで昇りつめた秀吉を賤の視点からとらえ直す。秀頼非実子説にたって、関係史料を見直す。
- 作者: 服部英雄
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- 発売日: 2012/05/01
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も同じ服部氏ということで書いておこうという話。
ちょうど1年ほど前の、磯田道史氏のコラムがこの関係の話だったのでtwitterでつぶやいていた。再録しておこう。
gryphonjapan@gryphonjapan
本日の読売新聞磯田道史「古今あちこち」はヒジョーに下世話で面白い話(笑)をしている。「豊臣秀頼は、秀吉の実子なのか。」
実は、歴史上いつでも通用する法則がある。「その子の誕生日の十月十日前、ご夫婦は部屋を共にされましたか?」と…。秀頼誕生は、1593年8月29日。(続く)
posted at 17:33:57
ところが、その前年、1592年6月5日、秀吉は朝鮮出兵のため、肥前名護屋城に来てずっと滞在してるんや。いわば長期出張。簡単にいえば淀殿はこの時、名護屋に来てたのか。というか来てなきゃ、自動的に秀頼は…。磯田氏はいう「淀が名護屋に来たならば」(続く)@gryphonjapan
(続き)「当然、来たという記録が残っているはず。だがその記録が無い!確認できる資料は1つ、それも縁の薄い田舎侍の伝聞。太閤関連の記録係は、あの名ジャーナリスト太田牛一(「信長の忍び」にも登場)。淀殿名護屋に来たるという記録の『無い』」ことで(続く)」
「自分(磯田氏)は「淀殿、名護屋に来なかった」説をとる。太田牛一著の「太閤様軍記の内」に記述が無いのが致命的だ。そうなると自然と、1593年8月29日生まれの豊臣秀頼は豊臣秀吉の子ではない、という結論に到達する。誰の子かは、詮索しないが…(談)」 @gryphonjapan
posted at 17:47:00
と、この話を、磯田氏はそもそも服部氏の上の本を基に展開されていた・・・筈だ。
おー、検索すると出てくる。
秀頼は秀吉の子でなかった。暴走した淀殿と怒りを秘めた秀吉が起こした大虐殺(後編) - 歴史ニュースウォーカー (id:emiyosiki / @emiyosiki) http://d.hatena.ne.jp/emiyosiki/20121231/1356925654
天下人に降りかかった衝撃スキャンダル!豊臣秀頼は秀吉の実子ではなかった!? http://bushoojapan.com/scandal/2013/10/08/7199
服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』(2012)
http://tmtkknst.com/LL/2013/02/06/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84%E3%80%8E%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E3%83%8E%E8%80%85%E3%83%BB%E9%9D%9E%E4%BA%BA%E3%83%BB%E7%A7%80%E5%90%89%E3%80%8F%EF%BC%882012%EF%BC%89/3、秀吉は差別階級の出である
ここから二部に入ります。先述の石井進『中世のかたち』は、秀吉が差別される階級 — 賤(あやし)の環境にあったということを初めて言及したアカデミックな本であるといいます。ここでは針売りだけでなく、猿真似といった大道芸もしながら生活をしていた秀吉の像を浮かび上がらせています。4、秀吉の右手は6本指である
フロイス『日本史』(16章317頁)には秀吉の指が6本であると書かれていますが、訳者はその信憑性を疑っているといいます。しかし、前田利家の伝記「国祖遺言」(金沢市立図書館蔵、加越能文庫)には秀吉の「右手」が6本指であることが記述されていることから、服部は秀吉の右手が6本指であるのは間違いないのではないかと考えます。5、秀頼は秀吉の息子ではない
たぶんこのパートが読者の関心をひいているところではないかとおもいます。Amazonの紹介文にもそのように書いてありますし、本の帯にも書いてあります。しかし、それよりも非人、河原ノ者の存在についての記述があったからこそ、この秀吉の記述も生きており、この二部の構成そのものがこの本の良さを示していると考えます。