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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

10年前、雑誌が特集した「特攻体験を騙った男たち」に、大山倍達も出ていた……/漫画「チェイサー」も合わせて


大山倍達外伝―「証言」で綴るゴッドハンド70余年の軌跡

大山倍達外伝―「証言」で綴るゴッドハンド70余年の軌跡

という本を最近読みました。今あらためて確認したら

本書は極真カラテの専門誌である「月刊ワールド空手」に連載中の「大山倍達総裁のちょっとイイ話」を修正、加筆し…

とあるのだが、確認するまで気付かなかったように、そんなに一方的に礼賛するようなものではなく、人間的魅力を欠陥まで含めて紹介する、そんなふうな本である。…と同時に、さすがに今は「空手バカ一代」や「四角いジャングル」レベルでの神格化はできないから、少し陣地を放棄してあらたに防衛線を引きなおすというか…「タム・ライスをKOはしてなくても、プロレスラーと戦ったことは事実ではないだろうか」というような、そういう形での護教論、という部分もなくはない。ただ、そういう意識で描いているからこそ、分かる部分もある。

そういう点で、一番興味深かったのは第十三章。

戦後60年「特攻体験を騙った男たち」>を読む

でした。
戦後60年、と冒頭にあるように、10年前。それもこういう意地悪な視点をさせたら右に出るものは無い「週刊新潮」の特集だった…。

http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I7039239-00?ar=4e1f
特別読物 戦後60年「特攻体験」を騙った男たち
日高 恒太朗

詳細情報

タイトル 特別読物 戦後60年「特攻体験」を騙った男たち
著者 日高 恒太朗
出版年 2004-08-26
対象利用者 一般
資料の種別 記事・論文
掲載誌情報(ISSN形式) 04887484
掲載誌情報(ISSNL形式) 04887484
掲載誌情報(URI形式) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000010774-00
掲載誌名 週刊新潮 / 新潮社 [編]

2004年の記事なら、ネットに痕跡が残ってるか?と思ったが、残念ながらちょっと見つけにくい…逆に今回紹介の「外伝」によって内容が分かるくらいのものだ。

著者は、週刊新潮の記者から取材申し込みがあった場面を回想する

用件というのは以下のようなものであった。
「今度、週刊新潮で特攻隊についての記事を載せることになった。(略)実は、本当は特攻隊員ではなかったにも関わらず、『隊員』を名乗っている人が相当数いる。調べてみたところ、極真会館大山倍達先生もそのひとりのようだ。それが真実なのかどうか調べているうちに、基さんのかいた本<大山倍達 炎のカラテ人生>が最も真実に近いのではないか…(後略)」


取材を受けた基氏は、別の著書、「大山倍達の真実」

大山倍達の真実

大山倍達の真実

を持参し、大山の”生の声”を紹介している。そもそも整備兵だったのではないか、云々という話もあるが…

ある日、突然上官が「君、飛行機の操縦できるか」と。「できます」と言ったら「やってみろ」と言われて、それでテストにパスしたらね、「君、乗っていけ!」と言うのよ。やあ、嬉しかったね。その時は死にに行くのに嬉しかったよ。バカな、ちょっと頭が足りないね。今考えてみると…
(略)
明日は発つ、という時に終戦を迎えた。生き恥を晒したということよ。

これらを受けた新潮の特集では「山梨少年航空技術学校」在籍という経歴にも疑問が提示されたそうだ。「在郷軍人による一種の予備校、養成所的な機関ではないのか?」と。だが、基氏は「やはり現『日本航空高校』である学校に、大山は入学していただろう」としている。
また、大山の三女は、直接本人から「出撃ということになり、飛行機に乗り込んだところでタイヤ故障のために離陸できなかった」「終戦が1週間伸びたら、間違いなく特攻で死んでいた」と聞いたそうだ。

「車で皇居近くを通ると、父は決まって”終戦の時にはここで特攻隊の仲間がハラを切ったんだ”と言ってました」

証拠になるのではないか、と基氏が元特攻隊員に大山の特攻服姿の写真を見せたところ、「記念写真でしょう。ゼロ戦のプロペラは3枚ですが、これは2枚だから練習機ですよ」と言われたとも。



ほかの「騙った人」とは誰か?
この特集記事によると、有名なあの人(後述)のほかに、超大物の名前を挙げた。
1990年代、細川政権による政権交代の立役者の一人だった。連合会長の山岸章氏である。
1998年の読売新聞で「特攻隊員であった私の戦後53年はオマケである」と、人生の覚悟を語った、あるいは騙った山岸氏は2004年8月、週刊新潮の取材を受けついに自白した。
 
「いや、実は私は特攻隊に編入されていないんだ」。
ただ「編入されていない」はともかく、特攻をやる予定だった、という基本姿勢はまだ崩してないっぽいね。


そして一番有名な「特攻経歴が問題になった人」と言えば、鶴田浩二氏。
ウィキペディアには「 人物像 3.1 「特攻崩れ」の虚実」という項目まである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E7%94%B0%E6%B5%A9%E4%BA%8C

「特攻崩れ」の虚実[編集]
上の記述の通り元海軍軍人である。若き特攻隊員の苦悩を描いた『雲ながるる果てに』(家城巳代治監督、1953)に主演して以来、特攻隊の出身、特攻崩れだとしていたが、実際には元大井海軍航空隊整備科予備士官であり、出撃する特攻機を見送る立場だった。戦後、元特攻隊員と称するようになる者は多く一つの流行でもあったが、鶴田はあまりにも有名人であるため同隊の戦友会にばれ猛抗議を受けるが、一切弁明はしなかった。
 
黙々と働いては巨額の私財を使って戦没者の遺骨収集に尽力し、日本遺族会にも莫大な寄付金をした。この活動が政府を動かし、ついには大規模な遺骨収集団派遣に繋がることとなった。また、各地で戦争体験・映画スターとしてなどの講演活動も行った。生涯を通じて、亡き戦没者への熱い思いを貫き通した。これらの行動に、当初鶴田を冷ややかな目で見ていた戦友会も心を動かされ、鶴田を「特攻隊の一員」として温かく受け入れた。
 
特攻隊生き残りの経歴については、映画会社が宣伝の一環ででっち上げ、本人も積極的に否定せず、特攻崩れを自称する当時の風潮に迎合しただけというのが実情とされている。しかし特攻隊員を見送る立場であった経験から、実際の特攻隊の生き残りよりも本物らしく演じ、『男たちの旅路』においてはこのイメージが最大限に活用された。


大山倍達にしても、基氏は「一命を捨てる覚悟があったのだろう」と結論付けている。最後の最後、日本はありとあらゆる抗戦を続ける予定だったのだから、非公式なレベルで「お前、飛行機操縦できるか、できるからお前も特攻してもらうぞ」ぐらいのことを言われたかもしれないし、言われなかったかもしれない…


ただ、そもそもなぜ「特攻隊騙り」はそんなに多かったのか。
戦後は闇市焼け跡の暴力社会の中で「俺は特攻帰りだ」は「命知らずの危険な男だぜ」というハッタリ、脅しにもなり、それによって権威やパワーが実際にあったのだろう。相当乱暴というか力勝負、任侠じみた世界でもあった戦後労働運動でもしかり、なのではないだろうか。ちなみに、右翼の会合では元特攻隊は上座、だとか…。



この本では、「牛の角折り」が賛否はともかく、やはり非常に大変であること(そもそも牛の角は鹿などとは違って神経も血管も通っていて、牛にとっても折られるとイタイので猛烈に抵抗する)。
また、ウイリー・猪木戦に関して、当時「パワー空手」編集部にいた作者が、純粋な気持ちで報道に接していた、極真門下生からの本気度1,000%のピュアな怒りや戸惑いの手紙を受けたことを報告している。熱い時代といえば聞こえはいいが、そういう「ピュア」な思いを受け止める側…とくに真相を当時から知っていたバックステージの人々は、そのピュアを受け止めることにプレッシャーもあったのではないか。
この前まとめた、昭和新日やUWFに関するtogetterにもつながるのかもしれない。

http://togetter.com/li/770530



そんなこんなの話もありつつ、今年2015年は、戦後70年を迎えた…。



ライバル?漫画家の視点で描く手塚治虫伝「チェイサー」でも、「特攻経歴詐称問題」が語られてる。

チェイサー 1 (ビッグコミックス)

チェイサー 1 (ビッグコミックス)

時は昭和30年代前半。まだ週刊漫画雑誌もなかった時代…既に時代の寵児となっていた“漫画の神様”手塚治虫に人知れず挑み続ける一人の漫画家がいた!!海徳光市。月刊誌に3本の連載を抱える、そこそこの人気漫画家である。海徳は、手塚治虫と同じ歳で、表向きは「手塚って、つまんない漫画いっぱい描くよなあ」と批判しつつも、裏でこっそり手塚漫画をコレクションする。そして、手塚がアレをしていると聞けば、自分も真似をし、コレをやっていると聞けば、それに挑戦してみる。どこまでも手塚治虫を“勝手にライバル視する男”…海徳光市の奮闘記!!
 
【編集担当からのおすすめ情報】
こよなく尊敬する手塚治虫先生に対する、作者コージィ城倉先生からのオマージュと言っていい作品です。この世の中に沢山存在する手塚治虫先生に関する活字本、漫画本の中でも、明らかに異彩を放っていると自負しています。ビッグコミックスペリオール誌でも、またネットやツイッターで話題騒然です!!主人公・海徳光市が面白すぎると大評判です!!


この、手塚治虫を徹底的にライバル視しているが、それは全面的な尊敬や憧れの裏返し、という漫画家さんは、戦記漫画の第一人者で、「自分は特攻帰りの叩き上げ。経験に基づいた戦記漫画しか描けないが、そこでは負けないし、手塚治虫にはこんな戦記漫画はかけないだろう」と自負している、という設定。


もちろん架空の人物です。
これ、最初は「(註)この漫画家は実在した!」と断言してたが……

http://tezukaosamu.net/jp/mushi/201210/special1.html
――海徳にモデルはいるのでしょうか? ちょうど戦闘機のマンガは戦後しばらくして流行っていた、と聞いたことがあるので、似た人がいないか、と思って探してみたのですが分からなかったです。
 
城倉:  ズバリこの人! という人物はいないです。冒頭「この人物は実在した!」と描いていますが、これは読者を引き込むためのフックのようなもので、ラストで何となく匂わせているとおり、じつは全くの架空の人物です。あえて言えば、海徳は僕自身ですね。僕が昭和30年代に生きていたら、もしかしたら海徳と同じ事をしていたかもしれない。だから、「実在している!」(笑)

まあ、言わんとすることはわからんでもないが、どんなウソでも堂々と「実在する」とか「実話だ」と言い切っちゃえば、ある程度は騙せる、と(笑)……。


いやいやいや、そもそもにしてからが。
上のインタビューでも「あなたは梶原一騎派、だからアンチ手塚だと思ってましたよ」と取材者から言われ、あわてて否定してるぐらいなのがこの作者さんです。というか…
  
【原作者としての名義「森高夕次」は、影響を受けた作家である梶原一騎の別名「高森朝雄」をもじったもの】ウィキペディアより)
 
やからね。


だから、元々の理由としては「深い教養と、不自由ない上流階級で育った経歴を持つ手塚治虫」と対比させ、しかも手塚がスポーツ漫画と並んで苦手だったとされる『ヒロイックな軍事戦記漫画』の第一人者…ということで主人公の設定を「特攻帰り」としたのだろう。
だけど連載の中で

という疑惑を提示したのは、ほぼ間違いなく、最初に「この人物は実在した!」でもオマージュを捧げている「梶原一騎大山倍達」に対しての研究を反映、参考させてのことだった、と断定できるでしょう。
つうか山梨云々は、大山氏そのまんまのハナシだし。




この作品は、もう「手塚もの」というべきジャンルが漫画界に確立した今でもなお、独自の視点があふれていて面白いものだが、この「特攻の経歴詐称?」問題はどう今後関係してくのでしょうか。ちょっとばかり気になるものです。
あ、2巻も出てた。探さねば。

チェイサー 2 (ビッグコミックス)

チェイサー 2 (ビッグコミックス)